第十6話「忘却の彼方」F
今から始まるのは、完全にひねくれた思考が取り払われた俺の一ヶ月前の話。
まだ捻くれたままのあの日の自分。世界を睨んだ瞳を持っていた頃の物語だ。
ーー6月21日午後2時ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーー記憶。記憶とは何か。
過去の自分の行動を主観的に評価死、再構成したもの。故に同じ共通の過去の出来事でもそれを経験した人それぞれに違う記憶が存在する。だから記憶は、
ドスンッ
「どう?びっくりした?」
後ろの席から、ニヤリと嬉しそうな顔で西澤興、可愛らしい男の娘が飛びついてきていた。
「お、おいやめろよ。意識しちゃって危うく、、」
「危うく、?」
彼女の無邪気な顔は俺の理性を壊す。それほどまでに癒しの女神なのだ。そのせいで思わずプロポーズしちゃいそうになったよ。どうしてくれるんだあ。
「なんか、二人とも仲良いね。妬いちゃうよ……。」
吉田優香。このクラスのマドンナ的存在、クラスの男子の母性をくすぐり、今や上野動物園のパンダくんにも勝る勢いである。
しかし、いつも思うことがある。彼女たちが可愛すぎてどうにかなっちゃうとかではなく、俺がなぜ彼ら彼女らに好かれているのか、である。
俺自身ものすごく捻くれている。それはこの世界の常識であり、世界の真理である。だからこそ不思議に思う。もはや恐ろしいくらいに不気味に思う。捻くれて僻む、それが俺のデフォルトであるならば、なぜ友人ができる。それもこのクラスにおけるマドンナに。
意味がわからない。おかしい。
そう片付けて、でも今は実際そうなのだからいいや、などと考えるのはバカのすることだ。
今の自分を認めれたらもうそれでいい、そんなことはただの詭弁だ。
なぜ、そうなったか、そこが一番大切で、必ず途中式と結果は密接に関係している。
俺は一つの事実、世界の真理を知っている。それはこの世界に生きるすべての人種は、機会、能力そして性格によってその個体の人生が決まるということだ。
不運な事故に遭えばそれはリスク回避能力が低かった。
頭の悪い大学に行ったのなら、それはそいつの能力と機会がなかった。
いじめられたのなら、それは機械がなかった。
どんなに自分の内面を鍛えてもどうにもならないことは、お前の機会が無かっただけ。
全てがこの、そいつの性格と機会と能力でいく末は決まるというのは間違っていない。世界の真理だからだ。
そしてこの性格機会能力の三要素を一つの式に代入し、そいつの未来がその式の結果として出される。
数式で片付けられる故、この数式に外れ値は存在しない。意味不明な飛躍は存在しない。この物理的な現実世界はそういうふうにできている。
では俺は?
俺の機会性格脳内をその式に代入した時、結果いわゆる俺の未来はどうなる?
長い思考の末たどり着いた解。その解と密接に関わりのある思考回路。それらが互いに大きくずれていることなどそうそうないだろう。つまりここでいう結果への途中式。
それはその結果に行き着くための必要な要素。
数学的にいうと必要条件。俺の三要素が、式に代入されて結果が出て、その結果が今の自分の状況だろう。
数式に外れ値は存在しない。そしてこの世界にも、だ。
じゃあなぜ今の俺はこんなにしあわせなのだ?
途中式に代入したのが0を下回るマイナスであるならば答えが、友人ができるというプラスにならないだろう。
だからおかしくなる。この式は間違っている。この式は成り立たない。
この途中式に俺の性格、機会、能力を代入した時、結果が青春の代表者になるか?
あえて言おう。僻んで捻くれたこの俺の結果というやつが青春を謳歌する結果になることなどない。
断じて、ない
俺はこう言ってはなんだが、かなり捻くれている。
この捻くれた性格が彼女らを呼び寄せることは決してないと言える。本来俺のうちだす途中式から導かれる結果、いわゆる今の俺の状況。
そいつは確実に、孤立だろう。今の俺は本来なら孤独に生きて、世界を睨んで呪っているだろう。
いや、そうでないとおかしい。
しかし結果は違っている。現にクラスのマドンナと委員長と仲良くなっている。そんな結果がどうやって導かれた。この捻くれた性格という要素を代入した途中式から。
不可能だ。
ありえない。
おかしい。
じゃあこの式自体が何者かによって歪められているのだとしたら。
サイコロを60回投げて6が出るのは何回?
10回だ。6面あるサイコロは6分の1の確率で6が出る。
普通はこう考えるだろう。
しかしそれが6しか出ないサイコロなのだとしたら。
60回、6が出る
だから俺は思う。
何者かが介入しているのでは?と。神の定理を歪ませるやつがいるのか?と。
もう一度いう。
1+2が千手観音になるはずがない。それほどまでに俺の性格と今の現状はおかしい。必ず何かが間違っている。ただ他の要素、機会と能力が高くても性格でまず不可能だ。次元が違う。ならなぜ。
やはり今のこの現状はそんなにもずれている。
世界が暗転した。
俺の思考という名の蜘蛛の糸はある真相に辿り着いた
あってはならない答え。救いようのないご都合主義。フィクションの世界の先に見出した全くの出鱈目。
全てがわかったような気がした。
否、全てを理解した。
これは流石に誰にも気づかれない。
誰にも理解しえないだろう。
なんせこれは俺と彼女の二人だけにしか知りえない記憶だから。
どんなに不可能な状況だからこそ、俺は解を出す。
捻くれた思考のせいで、現実世界では常に孤独で陰鬱なぼっちだけれど、思考の世界ではこれ以上ないくらいに深くそして無限大に広がっている。
その広大さは、この世界に存在しない事実をも想像しうる力。
途中式から結果までの飛躍的すぎる進化。それは常人には意味不明と鼻で笑われるだろう。
あいつはバカだ、なにを考えているのかわからない。
そう言われるだろう。
そして幸運なことに、俺も自分がよくわからない。自分でもなにを考えているのかわからない。それでもこの考えに辿り着いたのは事実であり、結果だ。俺は捻くれている。だから現実世界では孤立している。けれども思考の世界なら、飛躍した考えも許される。飛び越えた素行の行き着く先も制限されない。
だから俺は自信を持って言える。これが俺の全て。本物の俺に向かって、この捻くれて世界を見下すこの俺を手の中で遊ばせた罪、償ってもらおうか。
さあ、意気込め。俺が見つけてやるから。
_________________________________________________
6月21日の一ヶ月後の私はひねくれた思考をほとんど完全に、失った。
6月21日宣戦布告した時の私には知る由もないが、だが、1ヶ月後に捻くれた思考を失い本当の記憶をも忘却の彼方に追いやっていたのは事実である。
それは、なぜか。
愚問である。
6月21日から7月21日の間に、いわゆる先の私が宣戦布告を誓った相手との勝負で大敗したからであろう。
しかし一ヶ月後、7月21日の私の脳からはそんな事も記憶から消されている。まるで神の御業。
そう語る私は、いつの俺かって?
さあいつだろう。
一つ言えることは、私の身に起きた事件は神の領域に匹敵するもの、人の手でどうにもならないことである。
そして、この語り部も時系列はぐちゃぐちゃであること。
すべての記憶が間違っている。
同じ出来事でも見る順番を変えればまるで違う風に見えるように。