第15話「嵐の前の」Fー終
ーー7月21日午前8時10分ーー
世界は驚くほどに明るく燦々と澄み渡っている。
雲一つなく、はるか宇宙まで突き抜けているのではと思わせるほどにその青空は頭上の遠くに被さっていた。バケツの水をこぼしたように均一に広がった青い空は、まるで俺を祝福しているかのように、優しく包みこんでいた。
教室の引き戸の扉を勢いよくひく。ガガガと律動的な音ともに摩擦による気味の悪い音が生まれる。だがしかし、戸を引く音も教室の陽気な会話によって跡形もなく消えていった。
「おっは〜、まさしくん。」
「お、まさしじゃん。」
「あ、まさしくんだ、わ〜い」
ドスンッ。
我がクラスのメイトたちは俺の到着を見ると慣れた仕草で迎えてくれた。まるで親友のような、言葉数が少なくても伝わるそんな関係のように。そして今俺の胸にダイブしてきたのは吉田優香だ。
クラスの男子は先ほどの優しげのある笑顔の祝福とは裏腹に、少しだけ目を鋭くさせていた。
「おい〜まさし〜。付き合えよ早く〜」
「チッ。お暑いことですな。」
しかしそのほとんどいや、おそらく全てが俺を本心から恨むものでなく、もはや俺と優香の関係を認め、ただ面白おかしくいじっているだけのようだった。このクラスは本当に過ごしやすいクラスだ。俺のために作られたクラスのようだった。それは言い過ぎか。
「ちょっと〜僕も入れて欲しいんだけど〜ぷくう。」
この世界で本当にプクうと声に出していうものがいるだろうか。まして、下から俺を見上げるような姿勢で俺を見てくる子が。
ああ可愛い。絶対ていうか、この世界のすべての生き物だけでなくすべての美しいや美麗や可愛いなどの語彙全てに勝るのではないかとつくづく思う。
「もちろんだぜ。みんな仲良くしような〜」
「やった〜お膝ゲット。」
西澤興は、俺の膝をすぐさま奪うと、そのそばで立ちすくんでいた優香に向けて言い放つ。
夏の暖かな教室に時々やってくる涼しいそよ風。その風を受けて、俺の髪が靡いた。
この教室、ほんと暮らしやすいなあ。みんないいやつだなあ。
俺はそんなことを考えながら目の前に広がる優しさを具現した西澤興と吉田優香を見つめていた。
そんな俺の席の後ろの教室の端でタブレットをいじり、クラスの輪から少し外れて、不敵に笑う少女がいた。
彼女の名前はもも。漢字なら百、だ。
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膝に乗ったままの興をおろして、しばらくした後1限目の国語の授業が始まった。担当教師はこのクラスの教師。加地先生だ。時折、俺を訝しそうに見つめてくる。虎視眈々と、それこそ獲物を狙う虎のように。
俺はそんな加地先生の国語の授業を受けながら物思いにふけた。
この今の暮らし、自分は本当に満たされているのだが、満たされすぎている。
なぜだろう。満たされすぎではないか。
俺はそう、疑問を浮かべた。
俺の頭の中にある事実であろう記憶を辿ってみる。
中学には生徒会で活躍、剣道部でも、県大会で優勝するなどの文武両道ぶりを発揮した記憶がある。
それが理由なのかもしれない、いやそれが理由だろう。
そう結論づけた。
それ以外に俺に取り柄などないから。
そして、周りを包むクラスメイトは、みんな俺のことを第一に考えてくれている。嬉しいと言えば嬉しいのだが、不気味だと言えば不気味である。たとえ俺がどれだけ人に好かれるような実績を持っていても、ここまで人に好かれることはないのでは?と思う。
自分自身、こんなにも満たされて十分なはずなのに、今のこの状況を遠くで見つめている自分がいるような気がする。
遠くから冷静に俺の行動を見ている自分がいるような気がする。まるで監視しているような。
この世界、この教室は、俺のためにあるのではないか?と思う時がある。
俺に都合の良いように作られたのでは?と思うのだ。
じゃあなぜどういう理由でそんな世界をわざわざ作る?俺は思考の海にまた一つ波を発生させた。
神様が気まぐれだからだろうか。
そんなはずないだろう。一人の人間を完璧に作る神様などいるわけがない。いや待てよ、アインシュタインとかレオナルドダヴィンチとか、神様に愛された完璧な人間はいるような気が。でもそれは歴史上の偉人だ。俺は別に偉人でもなんでもない。
そこで俺は最近の記憶をたどりながらしばらくした後、俺の記憶で疑問に思ったことを波として思考の海に流してみた。
俺は自分のことがよくわからない。
1ヶ月前くらいの俺は、なぜかこの教室の仲間たちを仲間だと思わず、捻くれた思考で、皮肉ばかり呟いていた気がする。そう1ヶ月前の自分は今よりもずっと自信もなかったはず。
しかしそのずっと前に生徒会や県大会優勝などの優れた勲章も勝ち取っている。ならば1ヶ月前の自分も必ず自尊心を持っていたであろう。自分に自信があっただろう。
ならばなぜぞ実際は違った?
1ヶ月前の俺が捻くれていた理由がわからない。それも突然だ。1ヶ月よりも前は、俺は特に捻くれもせず仲間たちとたのしく過ごしていた。ならばやっぱりなぜ1ヶ月前に俺は捻くれていたのだろう。
今の俺には全く理解できない。俺は今過去の自分の栄光で自尊心がマックスバーを振り切っているから。
しかし、事実としてあの頃の俺は捻くれていた。状況は今とさほど変わらないのに。
もし、違う自分がいたのだとしたら。
いや、考えても無駄か。なんか鬱系のアニメでも見て心が苦しくなっていたのかもしれない。まどマギを初めてみた一週間は俺は世界を斜めから見ていたからな。
そういうどうでもいい理由が、(まどマギはどうでもよくないです。すごく考えさせられる良作です!)本当の理由だったということはよくあることだ。あまり深く考えるべきことじゃないかもしれない。
そう結論づけると、教室の前方で板書をする加地先生の後ろ髪が見えた。さわさわっ。
彼女の後ろ髪が左右になびいた。その姿に俺の目を釘付けになった。
彼女がゆっくりと振り向き、俺と目が合う。というのは自意識過剰な気もするが一瞬彼女の目の中を覗き込んだような気がした。
日本人は目からさまざまなことを読み取るそうだ。ちなみにアメリカ人は口から。
だからアメリカ人はマスクをつけることを嫌い、対して日本人はサングラスに苦手意識がある、らしい。
そのため俺は彼女が一瞬見せた瞳から彼女の心を少しばかり読み取ることができた気がした。
何かを堪えるような目。
何かを悟り、絶望し、そして諦めたそんな目。
瞳のハイライトは消え、その黒い目には靄がかかっていた。
世界から私は捨てられた、私たちは異物な存在だ、とでもいうように。