第十二話「苦悩」T
これは私が大学を出て一年目。
晴々しい期待と親孝行できるという喜びに満ちたお椀いっぱいの希望を背負っていた時。
自分は何者にでもなれる。
自分はなんでもできる。
と、これからの未来が待ち遠しくて輝いていた頃の話だ。
新卒一年目の未だ希望や期待など目に見えないものしか積んでない、キャリアも年齢も重ねていないそのうぶな背中はある出来事によって叩き壊された。
今思えばあの出来事は偶然起きたのではない。
未熟なくせに自信満々だったこの無知者がいけなかったのだ。
起こるべくして起こった。
そんな必然であろう過去の産物を。
語ろうか。
過去の無知な自分を今の私が語るのはひどく羞恥心をくすぐられる。
まるで過去の自分は自分のように見えずまるで他人のようだ。
私は黒歴史のようなまでにあの時のことをひどく嫌悪している。それほどまでにあの時の私は黒歴史そのものだった。
コーヒーの湯気がさびれた天井に届くまでに霧散する。私は疲労困憊の体を無理やり動かして今度こそ液晶テレビと正対し、思考の波に溺れた。
もし多くの人が黒歴史という言葉を過去の自分の痛い行動を指すものだと思って
いるのならば訂正するべきだと思う。
痛い行動を指すのではなく今の自分とかけ離れている過去の自分の行動を指し示すのだと。
だから赤ん坊の頃の行動も、小学校低学年に読んで今はもう良さがわからなくなってしまった漫画たちも全て黒歴史と言えるかもしれない。
しかしそうは言わない。
だからより厳密に付け加えるならば黒歴史とは、今の自分と遠くかけ離れている過去の自分の行動のうち、その行動を隠したい、忘れたいとおもうようなマイナスの思い出をさす、と。
私が今から語る思い出は以上を踏まえた上で黒歴史と言える。
そんな黒歴史を話す私はなかなかに勇気があり、それこそ国民栄誉賞なんかで表彰されるべきだが私が今から話す動機はそんな蛮勇などからではなく、緑の森が出現したという非日常に感化されて、私が普段しない非日常なことをすればそれこそ自分が非日常の中心になるのではないかと思ったからである。
ただ非日常な世界がテレビで行われていてもそれ自身は私に関係ないもので非日常を無意識的に追い求めていた私からすればそれが少し物足りなかった。
だから自分もいつもはしないことをあえてすることで非日常の当事者になり自分の心を騙せるのではないかと考えた。詰まるところ自己満足に至る。
では、自己満足で自己中心で無知な私の過去の物語を語ろうとしよう。
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ある晴れた朝、雲ひとつない透き通るほどに美しい快晴の空のもと新卒一年目何もかもが新しく、全てが楽しみだった無知の私は小さなワンルームで目を覚ました。
上京してから私は念願の一人暮らしに手を出し毎日が美味しいスーパーの冷凍食品の唐揚げ。
今では実家の暖かい味噌汁ほど美味しいものないなと思うけれど、この頃は冷凍食品という食品への新鮮さと安さ、憧れから全てが万事順調のように思っていた。
「今日もいい天気だねえ。そんな綺麗な空くんには私とデートしてみないかい?」
思い出の中の私はそう告げる。
狭くてその上希望に満たされた隙間も何もないそのワンルームはもうすでに飽和状態で息をする場所もなかった。
ちなみに空くんというのはそのままお空のことであり、大学生活を小学校と高校の教員免許のために全てをかけた私は大学で友達というものを作れず、恋人は愚か、知り合いも何もなかったので当時の私は、お空の空くんを彼氏に見立てていた。
ひどい時代である。
私はそのまま元気よく電車に乗ったあと、超高級アクセサリーショップの目玉商品のジュエリーのような輝きを放つ大きな太陽の下、この世界の命の美しさを教えてくれる桜の美麗な花びらを傍に意気揚々と歩き出していた。
ここから話が飛んでしまう。
それはここからどんどん純真無垢だった私の行動がエスカレートし、今の私の口から話すと顔から地球の中心部に住まうマグマの熱気を放出してしまうからだ。
だからことの大事なところだけを話そうと思う。過去の私に興味のある人などそうそういないだろうし。
私は四年四組の担任になった。
配属されて一年目、担任になりある程度成長した子供達を受け持つことになったのはただの偶然であるが、これから起こることは偶然ではない。
小さな教室に小さな子どもたちが四十人ほど調和を乱して座っていた。
私語は当たり前でたまに歩き出す子もいる。まるで加熱した気体の粒子の運動状態のようであった。
しかし彼らは気体ではないのでぶつかれば鼻血もでれ喧嘩もする。ちなみに私の期待は霧散して消えていた。
もっと社会に役立ちたい。
そんな願いから乖離した教室は当時の私のやる気を著しく低下させた。
私はそれでも子供達に喧嘩はダメだよ、優しくなろうね、と声をかけ続けた。
しかしやはりクラスに一人は聞き分けのない本当に意味のわからないチビがおり、そういう奴が気性が荒いなどの最悪な事実があルノだが私のクラスにはそんな問題児がざっと数えて七人この教室というコロシアムに巣食っていた。
そしてしばらくすると彼ら七人ほどが中心となってクラスのうちの一人をいじめ出した。
彼は、七人のいじめっ子に逆らったとかなんとかでいじめられていた。
この世界は残酷で理不尽だ。
多少の罰は必要悪。
私は一人の男の子がいじめられているのを見て見ぬ振りをした。
これが私の過ちである。
しかし見て見ぬ振りをした言い訳はいくらでもある。
まず新卒一年目、私が持ったクラスで問題が起きたとすれば確実に私の信頼はガタ落ち。
私さえ摘発しなければいじめは存在しないのだと、問題は問題にしなければ問題にならない、とこの時の私は本気で信じていたからだ。
それに教員になったのは社会貢献のため具体的には有能な人材を育てたかったためでありこんなやる気も理性もない小学生に大いに呆れ正直なところ諦めていたのだ。
だから諦観しようと心に決めた。
それにたんに大事にするのが怖かったのもある。
とりあえず私は多くの意味のないうわべだけの、自分のためだけの、理由によって傍観していたのは事実である。
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そして最悪の事態が起きる。
いじめっ子といじめられっ子。彼らの間にできた歪な関係性を傍目に同じクラスの無関係の少女が事故にあてしまったのだ。
自殺ではない、事故である。
私はこの事実だけを頼りに教え子の、それも結構可愛がっていた少女が死んでしまった事実を堪えていた。
そしてその少女の死のあといじめはぴたりと止み、いじめられっ子もいじめっ子もそれこそ秋の夜の静けさのように静かになった。いじめられっ子の方は静かというか何者かに怯えていたように見えたが。
その後、私は少女が放課後の帰り道で事故に遭ったのを聞き担任の指導不足だと遺族からクレームを受ける。
毎夜毎夜、私あてに電話がかかってきて強すぎる思いをぶつけられたのでは身が持たない。
それもただの怒りであれば割り切れるのであるが時折見せる後悔と悲嘆の声は私の心の水門を開けることは造作もなかった。
まあ私はよなよな自分を責め続けていたのである。
しばらくするといじめっ子たちは全員行方不明になりいじめられっ子は転校してしまった。
理由もわからない、謎の事態に新任の私は理解にくるしみ嘆き怒った。
教頭先生から、学級崩壊を理由に担任を取り払われた時、私はようやくことの重大さに気付いた。
私がいじめを傍観したこと、いじめられっ子に脅迫をしたのではないかということ授業もテストも生徒たちに合わせられていないこと、その他人を卑下してバカにする言動。
すべてが当時の私に言葉として怒りの叫びとしてぶつけられた。
私は絶望した。この世界は私の思うような世界ではなかったのだと。期待される
ということはただ自分の行動範囲を狭め制限されることを意味するのだと。
そして、私は期待される人間でないのだと。
この世界の不完全さ残酷さ理不尽さ、それをどこか他人事のように考えていた私は世界の本当の姿をこの時見出した、理解した。
『先生僕は転校します。先生本当に今までありがとうございました。
僕も転校した新しい学校でも頑張ろうと思います。先生も頑張ってください のと まさしより。』
彼の私宛に書かれた手紙を見て私は泣いた。これ以上ないくらいに泣いた。
あんなにいじめられて辛かったのに、私に無視されていたのに、なんでそれでも感謝できる。
なんで私を励まそうとしてくれる。
なんで手紙をくれる。
そしてなんでこんなに愛のこもった手紙を書いてくれたんだ。
世界は本当に理不尽で理屈で説明できないことばかり。
現実論と理想論はまるで違い、理不尽なことの方が人の心を大いに揺らす。
私はこの時初めて世界の真の姿を見た気がした。
辞書や教科書には書いていない、実際に見ないと気づかない知り得ない、
そんな残酷な現実を。
新卒一年目早くも絶望した私の回想はここで終わる。
もう思い出すこともないだろう。
私の心の最も深淵に止まるこの黒歴史にその場とどまることを強要していた。
もう出てこないで、と。