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第十一話「違和感」N

ーー6月18日午後1時ーー 


 コツコツと硬い床を打ち鳴らし無機的な音がコンクリート造りの廊下に響いていく。


 この細い通路で足音だけが私の存在を示していた。


 重要書類を抱えた腕がずしりと痛む。この疲れ切った体には紙の束でさえ筋トレ対象なのだ。


  私は重い引き戸をガタガタ音をたてて引く。


 その天地を破る轟音と共に職員室で残業をする悲壮な顔の職員の目がこちらに向いた。


 私はいつもの何一つ変わらない世界の常識を悉く見せつけられたように変わり映えのない自分の席に座り変わり映えのない白紙のプリントのような顔をする。


 しかしたとえ表情が白紙のプリントでも内情はちがう。


 白紙のプリントはまだ何も一切書かれておらず無表情でつまらないがそれと同時に何者にでもなれる希望と期待がある。


 しかし私にはそんな期待という感情はない。

 もう終わりきって変化の予兆も感じられないこの沼の水面のような世界で私の感情はとっくに引っ込んでしまっているからだ。


 

 私は職員室で忌々しい残業を上の命令でとりあえず手を動かす。

 やってもやっても終わらない残業。

 

 これエネルギーに変換できたら再生可能エネルギーになるのでは?

 地球救えるのでは?

 

 とのたまいながら,いやいやそんなことないだろ現実見ろよ,と心のウチを吐きしかしそれども現実を見ようとしない人間にそんな事いっても意味がないなと一人納得して、埃のかかった大量の書類で飾られた手入れされていない金属製の棚の上をただ茫然と眺める。


 すると職員室の隅、小さな液晶テレビから映像と共に音声が流れて来た。



 「ーーー午後4時半過ぎ警察庁への緊急通報がありました。内容は大きな森で家がなくなったとのことです。そして今、住宅街に大きな森が突如出現し現場は混乱を極めています。元々建てられていた住宅のご家族は悲痛な思いをなされています。今後どういった対策がなされるのか私は不安でいっぱいです。」



 映像は本当に住宅街の真ん中に森ができている様子を写しており、液晶テレビの目の前で蒸せてコーヒーをコンクリートのタイルに霧散している教師は苦し紛れに叫ぶ。


「お,俺の家どこ行ったんだ!消えてなくなってるじゃねえか!どないしろっつうんだよ。あとローン二十年あるんだぞ!」



 その叫びは職員室の機材を揺らし私の耳に響かせたが、ただそれだけのことですぐに教室に溶けて消えてしまう。


 私はふと気づく。自分の顔が異常なほどににやけていることに。

 なぜだ、これは。


 さすがに知り合いの不幸を笑うほどにイカれてはいない。


 ではなぜか。


 自分が無意識下で非日常を求めていたのか。まさか期待などしていたのか?


 私はいまこの大きな森が突如街中に現れたことを異常と捉え、非日常だと決定したのかもしれない。

 そして私は現に笑っている。


 常に生徒への配慮と残業と社会の厳しさを刻み込まれて上下関係に怯えて過ごす毎日から変われるのではないかと久しく忘れたはずの期待を思い出してしまったのか。


 私はこの悲劇を喜んでいることに違いなく待ち望んでいるのだと心の奥底で感じた。

 そう一人独白したあと少量のため息という日常への不満を社会へ飛ばして何やら騒ぎ立てる液晶テレビに目を向け直す。


 最大画面で映された映像には森の中に一人入っていく少年の後ろ姿が映っていた。


 ひどく弱々しく過剰に曲がりそれでもその足は森に向かっていた。


 私はこの少年の背中がすぐに誰のものかわかった。能登まさし。私の教え子であり私にトラウマを植え付けた少年だ。



 少し自分語りをしようか。


 この社会に貢献せず幸せも享受せず、この世界に幸せは本当にあるのか?と半信半疑になっている落ちぶれて親からも自分の使命からも逃亡して自分の心の罪悪感という危険地帯に亡命しているこの私の独白を。


 私は大学生の頃,教育に関心があった。


 まるで地球に隕石が落ちるのを防ぐヒーローを見ようとする人の気持ち程度には。そして当時の私は無駄に自尊心があった。


 周りよりはできるのだという自信があったのだ。


 そこで私は小学校と高校の教員免許を同時期に取り,まずは手始めに小学校教諭となったのだ。小学校で私が働いた期間は一年間だけ。


 私はその新任一年で辞めたのだ。

 

恐ろしい出来事のせいで。それはまるでこの世界の本当の正体を知ってしまった人間のような,そんな悲壮な顔をして。

加治先生視点で描きました。今まで語られていなかった大きな森のお話です

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