クマ様、どうかお帰りください!
「いやぁ、熊は怖いよな」
「はぁ!? クマ、かわいいだろ!」
A氏の言葉に、B氏は目を吊り上げて抗議した。
クマと言えば、『ぼくはちみつだーいすき!』とツボに手を突っ込んで美味しそうに舐める生き物である。
それはもう、赤児から老人まで、みんな大好きなかわいい動物だ。
もちろんB氏も子どもの頃からクマは大好きである。
「かわいい? どこがだよ」
「もこもこしてるしさ、つぶらな瞳で愛くるしい表情してるじゃないか」
「お前、どこに目ぇついてんだ?」
「失礼だな。Aはあれか? 町にクマが来たら、すぐに殺せ殺せっていうやつか?」
「すぐというわけじゃないが、人命が最優先だろう」
「うわ、出たよ。人間のエゴ!!」
B氏は蔑んだ目でA氏を見た。
「クマだってひとつの命なんだぞ! お前がそんな野蛮な考えの持ち主だとは思いもしなかった!」
「じゃあ人が殺されてもいいのか?」
「バカだな。ただ山に帰ってもらえばいいだけさ。それもわからないのか?」
「素直に帰ってくれればいいけどな」
「動物の命を平気で奪うやつなんて、信じられない!」
「お前が今食ってるのは、牛と豚と鶏の焼き肉だけどな」
ジュージューと美味しそうに焼けた肉を頬張りながら、B氏は動物愛護の何たるかを熱弁した。
そして彼は政治家となり、クマ愛護党を発足し、クマ愛護の精神を国民に浸透させることに成功した。
今や、クマを殺すような動きは世界でなくなっていた。
もちろん、クマが出ても殺すようなことはせず、山へとお帰り願った。
その際、死傷者が二十名ほど出たが、B氏は痛くも痒くもなかった。B氏はその場にいなかったから。
全国でかわいいクマが出没し始めた。国民は畑のものをどうぞどうぞとクマに捧げた。
スーパーに買い物に来たクマは、一週間以上も買い物に時間を費やした。
肉類は丸ごとクマに買われ、他の食料もすべて買われるか遊ばれた。
後に残ったのは、全ての商品への爪痕と糞だった。
素晴らしいお代を置いていってくれたと、人々は泣いて喜んだ。
人々の食べる物が減っていき、食料は高騰したが、B氏もそれでいいと喜んだ。クマ様を殺さず、山へとお帰りいただいたのだから、大成功だ。
B氏の友人だったA氏は死んだ。
A氏はあろうことか熊を殺すべきだと言い続け、このままでは人類は滅ぶと流言を吐き、人々を混乱に陥れていた。
クマ様を殺すなど、あってはならないことだ。人々による正義の鉄槌が下るのは当然だった。A氏が死んだ時、B氏は笑った。
そしてB氏は確信を得た。クマ様を生かすことは正しいことなのだと。
正しくないものは世から消えてなくなるのだ。
一度店を知ったクマ様は、何度も町へ降りてきては買い物に来るようになった。
お帰りいただこうとした住民が、何人も天へと昇っていった。
そしてクマ様は多くの食料を手に入れることができ、繁栄を極めた。
山の中では到底住みきれず、民家に厄介になるよと居座った。
お帰りくださいとうるさい人間は、クマ様が一撫でするとすぐに無口になった。
食べると美味しかった。
ひとつの村が消えた。
クマ様は、美味しい物を探しに都心に出かけることにした。
子を増やし、仲間を増やしながら、たくさんの美味しい物があるところを見つけた。
村がまたひとつ、町がひとつ、クマ様のものになった。
しかし畑は人がいなくては作物ができない。
スーパーも食べてしまえばそれで終わり。
増えに増えたクマ様たちは、新しい食料を求めて、数を増やしながら更なる都会を目指した。
そこには理想郷があると信じていた。
クマ様たちの思った通り、そこに理想郷はあった。
今や食物連鎖の頂点であるクマ様は、お帰りくださいを繰り返す食料を片っ端から食べ始めた。
ある家に入ると、そこにはB氏がいた。
B氏は結婚して子も孫も曾孫もいた。
家族は悲鳴をあげたが、B氏はクマ様を殺そうなどとは露ほどにも思わなかった。
クマ様がB氏の家族を一撫ですると、悲鳴はすぐに止んだ。
「どうしてこんなことに……? 我々はクマを愛し、クマを守ったというのに! どうしてクマは我々を殺そうとするのか! お帰りください! お帰りください!」
どれだけ懇願しても、クマ様は帰ろうとはしなかった。
B氏は知らなかったのだ。
相手は人間の気持ちや言葉が通じないということを。
B氏は長年救ってきたクマ様に優しく撫でられ、その生涯を閉じた。
その顔はとても満足そうで、本望だったに違いないと人は言った。
その後、クマ様はすべてを占領し尽くした。
クマ様の個体数が膨大に増え、食料が不足した。
どこに行っても、もう食べ物などありはしなかった。
その巨体と個体数を支えるだけの糧などなく。
クマ様は餓死して全滅したのだった。
B氏は殺さないことでクマを絶滅に追いやったことを、あの世に行っても気づいていない。
しかしクマは悟っていた。人間のいる世界が、真の理想郷であったのだということを。
この作品はフィクションです。
物語として楽しんでいただければ。
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