日傘のすすめ
方向音痴と特殊スキル
私は方向感覚が曖昧なまま生きている人間です。
初めて訪れた土地で、『このお店いいね』と入って中を満喫し、外に一歩出る頃には、自分がどちらから来たのかすっかり忘れています。
店の入り口を塞いでいるのも迷惑だし、とりあえず歩くかと適当な方向に歩いてみても、なにせぼうっと歩いているものですから、目印となるような建物も意識には引っかかりません。
スマホの地図で自分の現在地を確認すれば済む話ですが、スマホを出すのがめんどくさいということと、地図を見ても自分の向いている方向がわからないから頭を使うのが嫌だ、と言う理由でしばらく歩き続けます。
さすがに印象に残る建物のことは覚えてるので、「ああ、これはさっき見たな。じゃあこっちの道から来たんだな」と気づき、Uターンして元の道に戻るということがよくあります。
ですから私は、冒険者のように、「この時間に太陽がこちらに上っている。ということは、南はこっちで東はこっちだ。さあ、進むのはこっちだ!」とリーダーシップを発揮することは一生ないでしょう。
そんな感じでふわふわとした世界で生きている私ですが、ある特殊スキルを持っています。
それは、外に出た瞬間、太陽の位置を肌感覚で察知して、一番的確な角度で日傘を差すことができる、というスキルです。
日傘というのは、ただ頭の上に差していればいいものではありません。そのときの太陽の位置に合わせて、日傘の位置を調節しなければなりません。
理想は、太陽光に対して垂直の角度を保つことです。
つまり、朝、昼、夕方では日傘を持つ角度が違うのです。
時々、日傘を差しているのに日が当たりまくっている人を見ると、『おぬしもまだまだひよっこよのう』という気分になります。
普段は角を曲がると自分がどちらから来たかわからなくなるレベルの残念な方向感覚の私ですが、日傘に関しては、角を曲がると同時に少しずつ日傘を移動させて、太陽光を遮る的確な角度に調整する、ということを無意識のうちにすることができます。
何もそこまでして日傘を差さなくても……と思われるかもしれませんが、日傘は奥が深いのです。その魅力をご紹介したいと思います。
紫外線、暑さ対策
なぜ日傘を指すのか。
その一番の目的は、紫外線を遮るためです。
紫外線の浴びすぎは体に悪いというのは今や常識です。
シミやしわは、ジワジワと出てくるもの。
女子高生が日傘を差しているのを見ると、『あなたは先見の明があるわね』と感心します。
私が学生時代は、『日焼け対策? 何それ?』という感じで、日焼け止めすらもヌルヌルして気持ち悪いから塗らないという日が多くありました。
ですが、シミやしわというのは、忘れた頃に出てきます。そして、出てきてから何とかしようとすると、時間もお金もたくさんかかります。
レーザーのシミ取りをしたという知人は、「痛いし、大きい音がしてびっくりするし、しかも失敗した」と言ってました。
シミができる位置というのは、目元が多いです。神経が多く通っているところで、大きな音がして痛かったら、飛び上がって叫んでしまうのではないか。
やはり未然に防ぐのがベストな気がします。
悪者扱いされがちな紫外線ですが、全く浴びないのも体には良くありません。ビタミンDの生成には太陽光が欠かせないですし、子供の健やかな成長にはお日様の光は大切です。
大人でも、日照時間が短いと気持ちが落ち込みやすくなると言いますし、ほどほどに紫外線を浴びるということは大切だと思います。
日傘を差す二番目の理由は、暑さ対策です。
お天道様の光というのは、老若男女関係なく、すべての人に等しく降り注ぎます。
つまり、誰彼問わず、暑いものは暑いのです。
格好悪いからとか、日傘なんて……などと言っている場合ではありません。
気候変動の影響で、地球はどんどん熱くなっています。熱中症対策や熱射病対策として、日傘をどんどん活用するといいと思います。
黒色は熱を吸収しますから、特に黒髪の人は余計に頭が熱くなるのではないかと思います。帽子をかぶることも確かに有効ではありますが、頭に覆いをする分、熱が逃げにくくなってしまいます。
日傘で頭に日陰を作り、風を通す。
そうすることで、体感温度はぐっと下がると思われます。
男性はどちらかというと、暑さ対策で日傘を差している人が多いのではないでしょうか。
紫外線は頭皮ダメージと髪トラブルにも繋がりますから、一石二鳥な対策です。
ここまでがベーシックな日傘の使い方ですが、他にも、日傘は大変活躍します。
その一つが、虫対策です。
暖かくなってきた季節。
新緑眩しい街路樹の並ぶ歩道を歩き、爽やかな気分になっていると、いきなり虫の大群に顔を突っ込んでしまった……という経験をしたことはありませんか。
どういう仕組みなのかはわからないけど、ちょうど顔の高さくらいで、小さい虫が大群となって、何やらワラワラしている場所が何ヶ所もあるんですよね、木の近くって。
うっかりそれに出くわしてしまったら、車のワイパーのように、両腕を顔の前で上下しながら通るしかありません。
そういうとき、私は思うのです。ああ、日傘を持っていれば、と。
日傘は盾のように使うことができます。
顔をきっちりとカバーするように日傘を前に持ちながら、道を進んでいくのです。
コツは、なるべく足早に通り過ぎること。
ゆっくり歩いていると、せっかく散った虫が元の位置に戻ってしまいます。
前に人がいないかチラチラと確認しつつ、日傘を前に持って足早に進む。
これで虫対策はばっちりです。
まさに虫除けです。
日傘は人間避けにもなります。
『防水』のことを英語で『ウォータープルーフ』と言います。日焼け止めも、ウォータープルーフのものは強い。
人間避けは、横文字でいうなら『ヒューマンプルーフ』といったところでしょうか。
こんな経験はないでしょうか。
休日に道を歩いていると、向かい側からやってくるのは、同僚や、近所の人や、微妙な知り合い。
その人の前を通り過ぎるまで、なんとも気まずいものです。
声をかけるべきなのか、それともここは大人のマナーとして軽く会釈して通り過ぎるべきか。
うっかり遠くで気づいてしまった場合は、すれ違うまでどういった顔をすればいいのか困ってしまいます。
そういう場合も、さりげなく日傘で顔をさっと隠せば、その他大勢の中に自分を紛れ込ませることができます。
人は視線に敏感です。視線を感じれば、そちらの方を振り向きたくなるものです。
逆を言えば、視点を遮ることができれば、注目される度合いはぐっと低くなるということです。
顔を隠しても、もしかしたら姿形から自分のことは相手に認識されているかもしれません。
ですが、顔を隠しているのに「あら、いやだ〇〇さんじゃない? どうしたの、こんなところで?」と言ってくる強者はそんなにいないはずです。
この顔を日傘で隠すという戦法ですが、何も自分のためだけにしているわけではないのです。
自分が気まずいと感じている間柄の人というのは、相手も気まずいと感じている場合が多いもの。
そこで、こちらが顔を隠すことで、「いやー、お顔がわからなかったので気づきませんでしたな」という言い訳を相手側にもご提供することができます。
これも人口密度の高い国で生きる人々の知恵なのではないかと思うのです。
『ヒューマンプルーフ』の次は、『カラスプルーフ』です。
朝、眠たい体を引きずって歩いていると、頭上から聞こえてくるのは「カーカー」というカラスの鳴き声。そしてボトっと体のすぐ近くに落ちてきたのは、カラスの落し物……
アスファルトに広がる、白いナニカ。
悪びれる様子もないカラス。
こんな鳥肌が立つ経験をしたことはありませんか。
あともう少し早く歩いていたら。
あと体一つ分、左側にずれていたら。
『落とし物』は、自分の体に接触していたかもしれない。
そう思うと、眠気も吹っ飛びます。
カラスは朝、とても元気です。
集団で電線に止まっては、会話としか思えない鳴き声を発している。
そういうところを通らなければならないときも、日傘は活躍します。
もし万が一、カラスの落し物が降ってきたとしても、日傘にかかるのと、自分の体に直接かかるのでは、精神的、肉体的ダメージが全く違います。
日傘を差して、駆け足でその道を通り過ぎれば、彼らの落とし物に接触する確率はぐんと低くなるはず。そう信じて、私は日傘を差しています。
衛生対策
野鳥や害獣にゴミを荒らされないように、ゴミ収集所にはネットがかぶせられている地域も多いと思います。
私は自分のゴミは絶対に荒らされたくないから、きっちりこのネットの中にゴミを収めたいタイプです。
ですが、雨風にずっと晒されているネットを素手で掴むというのは、衛生意識が高まった昨今では少々ハードルが高い。
かといって、このためだけに使い捨てのビニール手袋を用意するのもいかがなものか。
そういったときにも日傘は活躍します。
折りたたんだ状態の日傘の先端(石突と言うらしいです)でゴミネットをひょいと持ち上げて、できた隙間から、すかさず中にゴミを投げ入れるのです。
そして、きっちりとネットを元の位置に戻して、さっと石突を引き抜く。こうすれば、ネットに直接触れることなく、安全にゴミを捨てることができます。
日傘はまた、ハンカチ代わりに使うこともできます。
ドアノブ、インターホン、ボタンを押さないと信号が変わらないタイプの信号機。
これらのものも、今までだったら何も考えずに触っていましたが、一度気になり始めると気になるもの。
こういった不特定多数の人が触る所も、日傘を折り畳んで、布の部分で押したり掴んだりすれば、直接肌に触れる必要はなくなります。
日傘がどれだけ清潔なのか、と言われるとどうでしょうといった感じですが、少なくとも自分の持ち物であるということと、太陽の光で殺菌されているはずということで、若干心理的ハードルが下がるというものです。
このように、大変便利な日傘ですが、最大の欠点は、使わないときに邪魔だということです。
両手がふさがっている状態では、差せない日傘はただの邪魔なモノでしかありません。
日が暮れた後に日傘を持って帰らなければならないと思うと、日中あんなにお世話になったこともけろっと忘れて、邪魔だなと思ったりもする。
食事会があった帰りに日傘をうっかり忘れてきて、なんていうのもあるあるです。
また、道行く人に日傘を見られて、『えっ雨降ってるの? ああなんだ、日傘か』という顔をされると、少し申し訳ない気分にもなります。
だったら折りたたみの日傘を差せばいいんじゃないかとなりますが、折りたたみのものはどうしても強度が劣るので、特に春先の風が強い日などはあまり役に立ちません。
完全に蛇足ですが、雨晴兼用の日傘を買えば、急な雨にも対応できます。
昨今ではゲリラ豪雨が起こることも多いですから、ピカピカに晴れていたとしても、油断はなりません。
日傘は小柄なものが多いので、防御力はそれほど高くないですが、あるかないかで濡れ具合はだいぶ変わってきます。
このように日傘は、UV対策、暑さ対策、生き物対策、衛生対策、雨対策に大変有効な優れものです。
女子高生からご夫人まで、サラリーマンからおじいさんまで、日傘はこれからますます活躍していくのではないかと思います。
最後に一つだけ、マナーについて。
狭い道で人とすれ違うときは、日傘は折りたたむことをおすすめします。