2048年 9月9日
とうとうここまで来た。サジテンのステータス画面を開く。
【Lv99必要経験値0(0) 前衛系攻略者 必須討伐数 フロアマスター 1(0)】
明らかに今までの経験値テーブルの表記が違う。おそらく、次がラストということなのだろう。
たいていのゲームでもレベル99でカンストだ。つまり、これは、最終ボスとの対決を意味しているのだと考えている。
だからこそ、その準備は入念にしておいた。
『いくぞ』
『はい』
『黒アゲハ』が背後に寄り添うようについてくる。僕は彼女と一度だけ目くばせをすると、高まる鼓動と緊張を抑えながら、目の前の巨大な扉を両の鎌でゆっくりと押し開けた。
中は、まさしくラスボスの部屋といった感じだった。
今までの狩場と同じくらいの広さの巨大な空間。吊り下げられた煌びやかなシャンデリア。緻密な細工が施された石柱。よくわからない生き物の銅像。部屋を彩る多彩な壁掛けや宝石。薄暗い照明。
そして入口から真っすぐに敷き詰められた高級そうな赤い絨毯の先に、奴がいた。
最初、銅像の一種かと錯覚してしまうほどだった。それは全く身動きをせず、ただその場に悠然と佇んでいた。6本の腕にそれぞれ別の武装を携えている。
これがフロアマスターなのかと疑問に思いながら部屋に入った。その瞬間、6本腕の巨像がほんのわずかに動いた。全身が総毛立つ。
僕は何も考えず、巨クモに突進していった。
こいつはヤバい。本能が叫んでいる。逃げるにしても、『黒アゲハ』の反応速度では対応できない。
彼女を守るためにも、僕が前に出るしかない。今まで感じたことない圧迫感がする巨クモに冷や汗を搔きながら突っ込んでいく。両鎌を構える。
補助魔法はまだかけてもらってないのは迂闊だった。僕はすべての神経を集中させて、奴の武装破壊を狙う。剣、刀、槍、鎚、鎌、盾のどれを最初に破壊するべきか。
一番厄介なのは攻撃より防御、そう判断した僕は盾の破壊を目指す。
もし破壊できなかった場合は、盾を警戒しながら戦うことになるだろう。その確認の意味も含めて盾を真っ先に狙う。ついでに近くにあった槌の柄の部分も狙った。
鎌が波打つ。血液を圧縮させ、自らの鎌を高速で微振動させる。
高周波ブレードの要領だ。手が鎌になってからやってみたら意外と簡単にできた。しかもかなり強力だからお気に入りで頻繁に使っている。盾を一直線に切り裂く。
斬れた。
……え、こんなあっさり?……
ラスボスということで気を引き締めていたが、盾の破壊はあっさりできてしまった。真っ二つになった盾を巨クモが投げ捨てた。逆にうまくいきすぎて困惑する。
流れに任せて、ついでに手近にあった槌も切り裂いてみた。ハンマーの部分が豆腐のようにあっさり切れてしまった。おかしい、弱すぎる。何かあるのではないかと警戒する。
しかし、巨クモははっきり言って弱かった。
その後も警戒しながら巨クモの動きを見切り、安全策を取りながら少しずつ間合いを削り、武器を削る。
どれも簡単に切れてしまう。おかしい、なぜ。
ラスボスといえば強敵というイメージが先行していたのだが、この巨クモは本当に弱い。
これなら97階層のフロアボス「経験値獲得用訓練機No97」の方がよほど強かった。ただやたらめったら武器を振り落としてくるだけだ。こんなの、下手したら雑魚モンスターレベルの強さだろう。
最初に感じた悪寒はなんだったのか、と言わざるを得ないほど、このフロアマスターは拍子抜けだった。
巨クモの鎌を切り裂いて、もはやこいつに興味を失せていた。僕はさっさとケリをつけようと、その首と胴体を同時に切断しようとする。それでもう終わりだった。
しかし、その瞬間、巨クモが笑った。そのことに僕は心底驚いた。
モンスターが笑った!?
そんなこと初めてだった。巨クモは明らかに口の端を釣り上げて笑っている。
僕はモンスターの表情が変化したという事実に驚いて、一瞬動きが止まってしまった。その一瞬が致命的だった。
視界がいきなりぐるんと回った。体に触れられてもいないのに天地が逆さまになる。すぐに冷静になったが、急に視点が上下逆さまになると対応が遅れる。後手後手に回されていく。焦る。
しかし僕の目は昔とは違い、360度どの方向も見渡せるようになっている。上下逆転しても周囲を把握することは容易だった。何が起こったかの理由を探る。
原因はすぐにわかった、糸だ。あまりにも細くて、意識しないと見逃してしまうようなか細い糸が僕の体の腰と巨クモの剣の腹にくっついていた。その簡単に引き千切れそうな細糸が超高速で動いていた200kgもの重さの僕とそれ以上に重そうな巨蜘蛛の大剣を空中で動かしていた。
僕は焦って身をよじる、が間に合わない。右腕が切り落とされた。
……クソッ! これが奴の奥の手か!!
僕は左鎌で糸を切り払い、そのまま入口まで猛ダッシュで戻る。部屋から一歩外に出た。
出口から一歩出たところで、まだ部屋に入っていなかった『黒アゲハ』を切れた右腕で抑え込む。
不思議なことに、巨クモは僕が部屋から出ると、元の位置に戻っていった。
深追いはしてこないようだった。が、僕は左鎌だけで警戒は続ける。
『うで、きられた。なおして』
『わかった』
『黒アゲハ』はそういうと、半月状の口を大きく吊り上げて詠唱を始めた。「ククク、アハハ、アハハハハハ!」と聞きなれた彼女の笑い声を聞きながら、自分も準備をする。
回復アイテム。大きな怪我は右腕だけだが、細かく全身にダメージが入っている。回避しているとはいえ超高速の戦闘では、よく真空波が発生して表皮を傷つけられる。
右腕の再生と補助魔法は『黒アゲハ』に任せて、自分は左鎌一本で全身の傷を癒す。ほんのわずかな傷が致命傷になることもありうるのだ。簡単に倒せそうとはいえ、先ほどの細糸のような奥の手がまだないとは言えない。
全身が元通りになり、補助魔法もフルでかけられている。今度は準備万全だ。
七色に輝く自分の体を見下ろしながら、『黒アゲハ』に合図を送る。
『つぎは、いっしょに、はいる』
『わかった』
お互いに呼吸を合わせる。そして部屋に入った瞬間、また悪寒がした。僕はまたも突進してターゲットを自分に向かわせる。
巨クモは、今度は巨大な大剣を2本構えていた。その長さは目算で17m12cm4mm。分厚さは僕の胴回りくらいあったし、重量はおそらく僕より重いだろう。
先ほど巨蜘蛛が使っていた大剣が子供用に思えるくらいのバカバカしいくらい巨大な巨剣を2本、3本ずつの両腕で持ち仁王立ちしている。よく構えられるなと感心する。
その異様な姿に、どこか見覚えがある気がした。だがそんなことを思い出す余裕なんてない。思考を戦闘に特化させる。
やることは単純だった。先ほどより圧倒的に加速されたスピードで接近し、先ほどより怪力になった両鎌で切断する。
勝負は一瞬だった。
僕は自分が出せる最大速度で突進する。室内に衝撃波が吹き荒れ、部屋中の装飾品が軒並み破壊され、暴風が僕以外のものを全てを吹き飛ばし、足音が床を割り、真っ二つに斬られた巨剣と巨クモの胴体が一直線に、僕の背後の方へと飛んで行った。
僕は何を考える間もなく、巨クモの飛んでいく方へ、『黒アゲハ』の下へと引き返した。
しかし一瞬遅かった。
『黒アゲハ』が上半身だけになった巨クモの折れた剣で叩き潰されたのを見たとき、僕は目の前が真っ赤に染まった。
再度衝撃波が、今度は反対方向へ吹き荒れる。まるでワープでもしたかのように巨クモの上半身の元に一瞬で辿りつき、激情のままにその首を一瞬で叩き切った。握った巨剣の柄を蹴飛ばす。
部屋のどこかの壁に上半身と柄がめり込む音がした。
すぐさま『黒アゲハ』の様態を確認する。鎌の峰で彼女を抱き起した。
『だいじょうぶ? だいじょうぶ?』
『へいき。きず、ない』
『ごめん、ぼく、わるい。ごめん』
『そんなこと、ない』
彼女が優しく労わってくれる。たしかに彼女は怪我をしていない。一瞬とはいえぺちゃんこにされたのに、今は無傷だった。
なにか、ほんのわずかになにか違和感を覚えた。しかしそんなことはどうでもいい。僕はサジテンを確認する。
【Lv99必要経験値0(0) 前衛系攻略者 必須討伐数 フロアマスター1(1)】
必要討伐数が満たされた。これでようやくレベル99かと安心する。『黒アゲハ』に僕たちは成し遂げたんだということを伝えた。
『見事だ』
背後から声。即座に振り向いて構えを取ると、そこには巨クモの首だけが転がっていた。どうやらそれが喋っているようだった。
ただそれが……なんというか……巨クモの口から発声されてはいるのだが、なぜか機械音声が無理矢理再生しているような、そんな違和感があった。
『貴様の、勝ちだ。ダンジョンの最終支配者である私を倒した貴様は、新たな力を得るだろう。貴様はその力で、新たな世界を創ることができる』
機械音声みたいな声色で僕たちの健闘を讃えてくれる。モンスターとはいえ、さすがラスボスは喋ったりするのかと妙なところで感心していた。
さっきの獰猛な笑顔といい、ラスボスはディティールがこだわっているということなのだろうか。
『君たちはこれから、我が国日本を守る盾となる』
急に声が二重に聞こえた。僕は驚いて周囲を見回す。
しかし、僕と『黒アゲハ』と自動で喋り続ける巨クモの首しかなかった。僕は怪訝な表情を浮かべて周囲を見回した。
『君たちの身柄は、憲821条第3項但し書きにより、徴用されることとなる。君たちは今後、我が国日本において多大な貢献をするだろう』
どうやら『黒アゲハ』には聞こえていないらしい。急に挙動不審になった僕を不思議そうな顔で見ている。
僕の聴覚が強化されているから、か細い声でもはっきり聞こえているだけのようだった。僕はその細い声に集中する。
「たぶんすぐ話せなくなるから、手短にいくね。僕の名前は『LUM』、前衛系攻略者だ」
僕はその名前に聞き覚えがあった。かなり昔だけど、高レベル階層をみんなで戦う配信をしていたチームスメラギのメンバーのリーダー。
身長2mを超す巨躯で、力任せにモンスターを叩き伏せるのが格好よかった。二本の大剣を振り回して戦う姿には、ずっと憧れていた。
その名前が出て、しかし不思議とすぐに納得できた。妙に腑に落ちたのだ。
巨クモが2本の巨大な剣を構えていたあの姿、まさしく『LUM』さんの得意な構えだった。
「僕たちは、ダンジョンに洗脳された。レベル30になる前に全員引退しようって話していたのに、できなかった。おかげで、気づいたらレベルが98にまでなっていた。そこで今の君たちのように、フロアマスターを倒した」
『なんで、いま、ふろあますたー、あなた?』
「僕も全部は理解できていない。ただ、最後に僕が消されるらしい。ごめん、わからない。ついさっき正気に戻ったから、わからないことだらけなんだ。ただ、今すぐ君たちは逃げるべきだ。それだけはわかる。そうじゃないと、僕たちみたいに……」
『すめらぎ、なにが、あった? おしえて』
「ああ、だめだ。もう、だめだ。なにもおもいだせない。ああ、ああ、いや、いやだ。ああ、きえる。きえてしまう」
急に声が小さくなっていった。副音声がうるさ過ぎてどんどん聞こえなくなっていく。
巨クモの生首が涙を流していた。
「どうした? なにが、きえる?」
「貴様は、この世界のすべてを手に入れることができる。しかし、貴様は同時に全てを失うだろう。そう、貴様はもはやヒトではない」
そして、最後の一言だけはやたらはっきりと聞こえた。
「ありがとう、僕を殺してくれて」
その言葉を最後に、先ほどまで饒舌に喋っていた巨蜘蛛の頭が急に停止した。まるで電源を落としたかのように、いきなり無機物じみたモノになった気がした。
僕は『黒アゲハ』に目を向けた。彼女もまたフロアマスターを倒した喜びは全くなく、困惑しているようだった。
『なんだったんだ、いまの』
『わからない。でも、いやな、よかん、する』
僕も同意見だった。頷くと、僕はまだ危険は去っていないものと判断し、戦闘態勢を継続しようと思った。
『ゆだん、だめ。しえん、よろ』
彼女もまた頷いて「クフフ」と笑いだすと同時だった。サジテンからいつもの気の抜けたファンファーレが鳴り響いた。
『おめでとうございます!あなたは前衛系攻略者レベル99になりました!』
サジテンから流れる自動音声にも、先ほどの巨蜘蛛のように副音声がついていることに気づいた。
聴覚も強化されているから前衛系攻略者が、何とか聞き取れるレベルの、極々小さい音声だ。実際に『黒アゲハ』は副音声に気づいていないようだった。
サジテンがお祝いの言葉や何かの法律について語っている。
だが、僕はそんなことより副音声がなんらかの魔法を自動で使っているという事実に強烈な悪寒を感じた。体内に収納したサジテンを取り出そうとする。
『どうしたの?』
『黒アゲハ』が急に暴れだした僕を心配そうに見ている。
「コール登録コードJM0004『井上ミチル』対象『黒アゲハ』システム実行」
……あれ、『黒アゲハ』の体、なんか溶けてる? 元からこんなだっけ?
「コール登録コードJF0172『シュレッダー』対象『マンティス』システム実行」
……『黒アゲハ』って誰だっけ? なにか、とても大切なナニかだった気がするんだけど。思い出せない。
「コール登録コードJM0002『水前寺ユウタ』対象『マンティス』システム実行」
……ああ、そうだ。ぼくはここのフロアマスターで、次にくる攻略者にたおされなきゃいけないんだっけ。そうだった、そうだった。
いつのまにか、くものしがいが、なくなっていた。どこにいったんだろう。
ひろいへやに、ひとりきり。だけど、さびしくない。ぼくには、やることが、ある。
つぎにくる、ひとに、ころされて、れべる100になる。それが、ぼくの、もくひょうだ。