2043年 5月13日(後編)
「きゃーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「!?」
「なんだ今の声?」
僕たちは声のした方を見る。自分たちより先に行った場所から声がしたようだった。
宇賀先輩が目を凝らして集中している。
「……たぶん4人、いや5人いるな。4人は人間だけど、1体はモンスターだ、足音の重さが違う。すぐ近くだ」
誰も見えないダンジョンの奥の方を見て宇賀先輩がそう言った。僕はその情報をすぐに信じる。
前衛系は肉体が強化される。筋肉や骨はもちろんのこと、視覚や聴覚も強化される。今までの無謀な前衛のみパーティによるダンジョン攻略も宇賀先輩の索敵でここまで安全に進んでこれた、信頼性はばっちりである。
僕は大声を出して様子を見に行こうと提案する。
「助けに行きましょう! 何があったかわからないですけど、叫び声をあげるってよほどのことが起きたんだろうし!」
「……そうだな。本来横殴りは禁止行為なんだけど、切羽詰まってるようだ。2人ほど足音がおかしい」
二人目線を交わすと一つ頷いた。すぐに走りだす。
「ほぼ一直線でたぶんあと300メートルくらい! 武器を構えてろ!」
「了解!」
宇賀先輩の方が足が速いはずだが、僕に合わせてゆっくり走ってくれている。僕は息を切らせながら全力疾走した。
残り100メートルくらいだろうか、そこでようやく僕にも彼らの姿が見えてきた。
僕と同じジャージや体操服のような動きやすい恰好の4人と、それに相対している黒いデカ物の背中。ロングヘアの女性と短髪の男性がそれぞれ支給品らしき杖と短剣を構えて黒いデカ物と対峙している。
彼らの背後にはぐったりした様子で倒れている人と肩を抑えながら座り込んでいる人。わかりやすいほどのピンチであった。
そしてなにより、初めて見る黒いデカ物の背中に見覚えがあった。
「ジャイアントボア!」
「助けはいるか!?」
宇賀先輩の怒鳴り声はものすごく大きい。もともと声がでかかったうえにレベルが上がって声帯が強化され、しかも焦っているからだろう。100メートルも先から叫んだにもかかわらず、ロングヘアの女性と短髪の男性がこちらを見た。
彼らが何かを叫んだようだったが、走りながらだと僕は聞き取れなかった。
しかし正確に何を言ったか聞き取ったらしき宇賀先輩が「おう、任せろ!」と返したので、救援要請が来たものと推測する。僕は支給品の剣を構え、宇賀先輩は二の腕をパンプアップさせた。加速する。
「うわ」
攻略者に憧れて、部活動等で体を鍛えるときはまじめにやっていた僕は、100メートルを13秒フラットで走ることができる。そのことがほんのちょっとだけど自慢であった。
そんな僕を宇賀先輩の巨体は嘲笑うかの如くおいていった。ついさっきまで目の前にあった宇賀先輩の背中が、すでにジャイアントボアの間近にまで接近していた。呆気にとられる。
宇賀先輩の右ストレートパンチがジャイアントボアの横っ面にぶち当たる。大きく頭がのけ反り巨大猪がわずかにたたらを踏む。
「大丈夫か!?」
「は、はい」
ロングヘアの女の子が返事をしている声が小さく聞こえた。僕もようやく追いつく。
宇賀先輩はジャイアントボアの口からはみ出た巨大な牙を両手で抑え込みながら後ろに向かって叫ぶ。
「オレはLv6だ! 単機でこいつを抑えられるが、攻撃手段がない! 君は火属性の攻撃魔法を使えるか!?」
小さいワンドを持っているから魔術系だとわかったのだろう。宇賀先輩の問いに、しかしロングヘアの子は首を振った。
「すみません、私はまだ初期のF魔法しか使えません! M魔法使える子は今気絶していて……」
F魔法は回復や仲間をサポートする効果のある魔法が多い。攻撃魔法を使いたい場合はM魔法を優先的に覚えるものである。
宇賀先輩もすぐに納得したのか、相撲取りのようにジャイアントボアと取っ組み合いしながら僕の方を見て指示を出してくる。
「了解した! 『マンティス』! オレの背後からでいいからこいつの毛を刈ってくれ! 絶対に抑え込むから!」
「……あ、わ、わかった!」
初めて攻略者ネームで呼ばれたため、一瞬なんのことだかわからなかった。僕は慌てて宇賀先輩の指示に従う。
ジャイアントボアの情報はスカイネットで調べて頭の中に叩き込んであるので、攻略方法は理解している。とにかく毛が硬いため、その除去が最優先なのだ。僕は少し慣れてきた剣を扱ってジャイアントボアの剛毛に刃を立てる。
ガリッという異音。硬すぎる。
「ごめん、宇賀せ……『タンク』! 思ってた以上に硬すぎる! 少し時間かかるかも!」
「……オレも手伝う」
返事は宇賀先輩からではなく、短髪の男の子の方からだった。片手に持ったナイフのような短剣を構えている。
僕は相手の意図を察してすぐに剣を捨てた。体の横に生えている剛毛を鷲掴みにして思い切り引っ張る。
ジョギリッ。
「なんとか斬れそう! ちょっと時間かかるかもだけど、技術系の人、お願いします!」
「ああ」
短髪の男の人は、やはり技術系だったようだった。的確に毛の生え際に刃をあてて引ききっている。
細かい作業は技術系の方が圧倒的に上だ。僕は毛を引っ張り、単発の男性が毛を少しずつ刈っていく。
「やった! これなら何とかいけるかも!」
なんとか剣一本分が突き刺せるほどに毛を剃ることができた。僕は近くに転がっていた自分の剣を拾い上げ、大声をあげる。
「うりゃああああああ!!」
まっすぐに構えた剣を一直線にハゲた部分に突き刺した。ずぶりと剣が突き立つ。だが。
「か、硬い!」
さすが階層ボス、素肌でも十分硬いらしい。剣は先端がすこし刺さった程度で、それ以上進まなかった。全力で押してもビクともしない。
ここでわずかに油断。初めてのダメージに驚いたジャイアントボアが、急に暴れだした。剣を突き立てた僕も、押さえつけていた宇賀先輩も突き飛ばして、ジャイアントボアが暴れだす。
そしてなぜか前にいる僕たち三人ではなく、背後にいるロングヘアの女性に突進しはじめた。背筋が凍る。
「しまった!」
「ちっ」
ロングヘアの女性は巨大な猪が自分めがけて突進してくる姿に声もないようだった。腰を抜かして座り込んでいた。
「危ない!!」
咄嗟に僕は飛び出し、彼女を突き飛ばした。思ってたより彼女の体は吹っ飛んでいき、安全圏へ退避できた。安心する。
しかし今度は目の前に飛び出してきた僕の方に、一直線に突進してくるジャイアントボアの牙が
…………
「コール登録コードJF1011S『ミナセ』起動、対象『マンティス』、システム実行」
女性の声が聞こえる。体の痛みが急速に消えていくと同時に、意識が回復していく。
「……ここは?」
「ダンジョンの出口、いや入口ですね。1階層から戻ってきたところです」
誰だかわからないけれど聞き覚えのある声がする。僕はしばしばする目を少しずつ開けた。
目の前に女の人の顔があってすごくびっくりした。慌てて上体を起こしそこから退く。
「あ、えと、どちら様?」
「あの、私は先ほど、1階層のボスに襲われているところを助けてもらったパーティの一人で……」
記憶が混乱していると思われたのだろう、現状を一から説明してくれた。
曰く僕がジャイアントボアに吹っ飛ばされて気絶したあと、宇賀先輩が剛毛を削って剥き出しになった素肌に突き刺さったままだった僕の剣を殴って貫通させ、ボスを倒したらしい。パワーが違い過ぎる。
その後、一緒に戦ってくれた技術系の男性が帰り道を覚えていたため、彼の案内のもと僕たちは帰還できたらしい。その際、気絶していた僕とあちらのパーティ2人を宇賀先輩一人で抱えて帰ったそうな。
「おかげさまで私たちは助かりました。デスペナ無しで帰ることができました。ありがとうございました」
「いや、僕は大したことは何もできてないし……」
謙遜ではなく素直にそう言った。実際、宇賀先輩がいなかったら僕も彼らと一緒にやられていただけだった。
本来階層ボスは、同じ階層でレベリングしているパーティーが3つくらい共同で戦うか、3階層くらい上の階でレベリングしているようなパーティーが真正面から戦って倒すような相手だ。何の前知識も準備もなく出会ったらボスからは逃げるべきなのである。
それをLv6の宇賀先輩がいたとはいえ、即席の間に合わせパーティーで倒そうというのが無茶な話なのだった。良く倒せたと思う。
それでも彼女はニコリと笑って僕を慰めてくれた。
「そんなことないです。あなたがいなければ手が足りなくて倒しきれなかったでしょうし、それに……私も助けてもらいましたし」
そう言って照れたように笑う。僕は同い年くらいの女性にここまで面と向かって感謝されたことがないので、視線をそらしてしまう。頬をかく。
「ま、まああの時は必死だったし思わず……そ、それよりあの時思いっきり突き飛ばしてごめんね。怪我とかしてない?」
「大丈夫です、私回復魔法使えますし。デスルーラは発動しませんでしたし」
デスルーラとはダンジョンに存在する救済措置魔法である。死亡または重症を受けるダメージ判定があるとオートで魔法が発動し、ダンジョンの入り口の復帰所にまで戻ってこられるシステムがあるのだ。
ゲームと違って経験値が減ったり討伐カウントが初期化されたりはしないので、一見便利なシステムに思えるが、デスペナルティが発生して所定の金額を支払わなければならないことと、そして何よりサジテンを除くその時使用していた武器や防具やアイテム……衣服も含む……が消滅するというとんでもない悪影響があるため、攻略者の恐れる救済措置法でもあるのだ。
特に女の子の攻略者はデスルーラを嫌がる。僕はアハハと軽く笑った。
「お、気が付いたか。結構長い間ノビてたな」
後ろから武骨な声が聞こえて、僕は振り返った。今回のMVPである宇賀先輩である。
どうやらドロップアイテムの清算をしていたようだ。一緒に戦っていた技術系の男性や、あの時気絶していた残り二人の姿もある。
「先輩! 今日は助かりましたよ。まさかのレイドボス戦までできるとは思いませんでした」
「あはは、ダンジョンデビュー初日にボス遭遇とか、お前ある意味運がいいな。お、そうだ。ボスからのドロップ品はオレらが総取りでいいってよ。後で山分けしようぜ」
「え、いいんですか?」
僕が振り返ると、4人のパーティーは頷いてくれた。
「はい、私たちだけじゃ絶対に倒せませんでしたし、間違いなくお二人のおかげですから」
「それに私たちの装備ロストも防げたしね。素っ裸にならなくて済んだんだからお礼言いたいくらいだよ」
「……まあいいんじゃね」
「他にお礼できそうなものもないですしね。受け取ってほしいです」
まさかのデビュー初日でボス討伐報酬までゲットできるとは思いもよらなかった。まさに思わぬ収穫である。
と、ここで疑問に思った。僕は彼らの手に持っている武器を見てから聞いてみる。
「ところで……そちらのパーティーには前衛系の攻略者はいないのですか? みんなたぶん魔術系か技術系でしょ?」
ロングヘアの女の子と技術系の男性だけでなく、残り二人もピンク色に髪を染めた女の子は杖、ショートヘアの中性的な顔立ちの女の子(声から判断)は粗末な弓を持っていた。
誰も前衛系っぽい武器を持っていなかった。普通はバランスよくパーティーメンバーを募るべきなのに、系統が偏りすぎている。
僕の当然の疑問に、宇賀先輩とロングヘアの娘が答えてくれた。
「ああ、お前と同じ理由みたいだぜ」
「あの、私たちも誕生日すぐに攻略者デビューしたんですけど、なんかタイミングが悪くて……前衛系の人が一人も見つからなかったんですよ。でも4人もいるから、気を付けてゆっくり進めばなんとか1階層くらいなら行けるかなって……」
僕たちとは逆で、前衛系以外とは相性が悪いスモールベアとの遭遇は徹底的に避けて、相性が良いニードルビーとスライムだけを狙っていたらしい。
マップを把握したり微細な気配に敏感に反応できる技術系と、いざというとき目くらましができる魔術系が多いパーティーだからこその判断だったそうだ。
実際、それで今まで1週間ほど問題なくダンジョンレベリングができていたらしい。しかし今回は運悪く急に現れたジャイアントボアに遭遇してしまって、逃げる間もなく襲われてしまったそうな。
「本当にデスルーラを覚悟していました……危ないところ助けてくれて本当にありがとうございました」
ロングヘアの娘がペコリとまた頭を下げた。僕は「良いって気にしないで」と言いながら、宇賀先輩と目くばせする。
宇賀先輩もまた、ニヤリと笑って頷いた。僕は隠しきれない笑顔でロングヘアの娘に提案する。
「あのさ、もし良かったら……僕らとパーティー組まない?」