2043年 5月13日(中編)
初心者攻略者らしい皮鎧と剣と盾を持った宇賀先輩の姿は、意外と様になっていた。
ダンジョン付属のものすごく巨大なロッカー横丁から装備を持ってきた宇賀先輩と違って、僕はジャージ上下一式である。なんともみすぼらしい恰好だと自重せざるとえない。
一応、前衛職初心者向けに支給される剣だけは持たせてもらったので、なんとか戦える恰好にはなった。軽く上下に振って振り心地を確かめる。意外と重い。
僕はへろへろしながら剣を上下に何度か動かす。その姿を見て、宇賀先輩は眉をひそめた。
「……お前、まだ指輪登録してないのか?」
「あ、やべ忘れてた」
攻略者になるなら絶対にやらなければならないことをど忘れしていた。宇賀先輩は豪快に笑いながら「まあオレも初日に忘れてダンジョン入っちゃって大変な目に遭ったんだがな」と笑っていた。
僕は渡された書類の中に同封されていた指輪を取り出す。ビニール袋に封をされた指輪で、僕のIDと「本人以外の使用を禁ズ」と厳重に書かれたシールが貼られていた。
この指輪こそダンジョン攻略者の肝。これを付けてダンジョンへ潜り、モンスターを倒すと、その数に応じて肉体や精神を強化してくれるのだ。これ無くしてはダンジョン育成の意味がない。
難点は、これを付けている間しか経験値が入らないこと、デザインがダサいこと、なくして再発行するときまた書類地獄を受けることである。
僕は慌てて指輪を付けた。その瞬間にサジテンから電子音。
見ると、開きっぱなしだった攻略者専用アプリから「登録完了しました、おめでとうございます!」という表示と、レベル上げに必要な情報が転送されてきた。
【Lv2必要経験値100(0) 前衛職必須討伐数スモールベア30(0) ニードルビー10(0) スライム10(0)】
「……攻略サイトで見た通りですね。でも宇賀先輩がいれば」
「いやダメだろ。Lv差があるし、オレもう他の人とパーティ組んでるから経験値共有できないもん」
「あ、そっか……」
その通りである。パーティは手続きさえすれば変更はいつでも可能だけど、逆に言うと固定パーティを組んでる人と組むことはできない。宇賀先輩はあくまでLv1でソロ初ダンジョンの僕の護衛である。
「今日は前衛職ソロでもなんとか倒せるスモールベアを3,4体狩れるかどうかってとこじゃね?」
「まあそうなりますね……でもパーティメンバー今いませんし、仕方ないですよ」
ほとんどの人は高校一年生を終わらせて、そのタイミングで冒険者デビューを果たす。そのため3月半ばくらいから4月頭まではサジテンのパーティ募集掲示板もダンジョン前の募集広場もものすごい賑わいになる。
しかし今は五月の半ば過ぎ。ちょうどパーティメンバーがそろって誰もがダンジョンの2F辺りに進出している頃だ。時期が半端すぎてすぐにパーティを組むことはできなさそうだった。
「まあそれぞれの職業によって多く狩るモンスターの種類は違うし、経験値は累積するから無駄にならん。諦めてしばらくはソロ攻略だな」
「はい……」
「まあ落ち込むなって。そのうち誰かしらメンバーは見つかるものさ」
宇賀先輩は四角い顔でニカリと笑った。そして片手で剣をダンジョンの方へとむける。
「よし、じゃあとりあえず行ってみっか」
「はい! よろしくお願いします!」
僕も剣をバシッと前に向けてダンジョンの入り口を目指した。
…………
ダンジョン、というと地面むき出しの洞穴を彷彿とさせるが、低階層フロアはそんなことはない。コンクリートでできた通路が続いている。
あちこちに案内板や非常口のマーク、映画のポスターなんかも貼ってある。入口という割には緊張感が削がれる見た目だった。
「……なんか病院の待合室っぽいっすね」
「ああ、オレもそれ思ったわ。自動販売機とかベンチがあるからデパートの待合所っぽいなぁってな。でも安心しなって、もうちょい行ったらさすがにそれっぽくなるから」
「さいですか」
僕と宇賀先輩は雑談しながら先に進む。受付をサジテンをかざして素通りした辺りで急に賑やかになってきた。ダンジョンアイテム交換所や回復アイテム売り場である。
僕は賑やかなダンジョン前の風景に興奮してきょろきょろ見回していた。が、スカイネットで事前に知っていたものばかりなので、興味を持つというより実物を見られたことに感動していた。
そして建物の最奥部、ダンジョンの入り口にたどり着いた。
「……たしかにすごいですね」
「な、ここテンション上がるだろ?」
宇賀先輩が背中をばしっと叩いてきた。たたらを踏むほどの衝撃だったけど、今はそんなこと気にならなかった。
建物の奥のはずなのに、そこは広い空間だった。父の時代にあったららしい東京ドームというものと同じくらいの広さがある。たくさんの人が犇めいていた。
強そうな装備の人、背の高い人、尻尾が生えてる人なんかもいた、まさしく攻略者の巣窟である。そして人混みには一目でわかるほど偏りがあった。
広い空間の外周部分にそれぞれ1から15までの数字が書いてあり、その下にエレベーターの扉が3つずつ設置されていた。書かれている数字が少ないほど人混みの数が多く、数字が多いほど人数が少ないようだった。
「やっぱり結構人がいますね! すごいな」
「ああ、ちょうど今は午前組の帰宅時間だからな。ちょうどいいタイミングだったな。午後組はもう行っちゃったみたいだしな」
「あ、じゃあ並ばなくてすぐ行けそうですね」
宇賀先輩は「そうだな」と短く返してから、僕を先導して「1」と書かれた扉の方へと向かった。僕もその後をついていく。
だいたい100人くらいいるだろうか、汚れた装備を外しながら談笑している人たちやドロップアイテムの清算をしているらしきパーティの群れ、「この後カラオケ行かない?」と午後の予定を決めている人や足早に帰宅し始めている人もいた。すれ違う人全ての様子を見ていた。
「やっぱり似たような格好の人たちばかりですね」
「まあここら辺はまだ初心者だし、支給品しか持ってないだろうしな。オレの装備でも結構目立つな」
「そうですね、みんなブロードソードとショートナイフですもんね」
「でも一時期よりだいぶ減ったぞ。4月頭くらいは本気でヤバかった。朝一番に並んで出発午後だったからな」
「うわ、そりゃ酷い……」
下手なテーマパークより人数が集中しているから当然の結果である。みんな将来のためにレベリングは必死だ。
エレベーターの前にある順番待ちの列に並んで少し待つと、すぐに自分たちの番が来た。エレベーターの中に入る。
エレベーターの中では、本来ならば行きたい階のボタンを選ぶ場所に、サジテンの情報を読み込むリーダーがあった。そこに自分と宇賀先輩の情報を登録する。準備完了である。
「うし、じゃあ気楽に行こうか」
「ちょっと緊張してきました。がんばります」
「ははは、大丈夫だよ。1階層はかなり優しいしな」
エレベーターは全く動いた気配がなかったが、いつの間にか到着していたらしい。電子音のあと、入った時と反対側の扉が開いた。
そこには、明らかに「らしい」洞窟の岩壁があった。僕は待ち望んでいた光景にウキウキしだす。
「すげぇ……」
「あ、ちょっと待ってくれ。確認確認っと」
感動して立ち尽くしていた僕を尻目に、宇賀先輩は入口近くの案内板を見ていた。指さし確認する。
「何確認しているんですか?」
「ああ、今この階層にいる攻略者の人数を確認してるんだよ。今日は午後組全然いないな、オレら以外に19人しかいないや」
「人数の確認って必要なんですか?」
「人数が多いと狩りにならないんだよ、モンスターの奪い合いになっちゃってな……。オレらの時はそりゃ酷かったんだぜ……」
「あはは、なるほどね」
「まあ人数が少ないと、いざというとき助けてくれる奴がいないから慎重にレベリングしないといけなくなるしな。痛し痒しッてやつだ。まあ今回はオレがいるから安心していいぜ。さすがに1Fは余裕だから」
「頼りにしてますわ」
僕らは笑いながらダンジョンへずかずかと進軍しはじめた。一応剣を構えて警戒をしている僕に対して、宇賀先輩は素手のまま「お、なんか懐かしいな」なんて余裕の表情だった。
さすがLv6、初心者狩場では王者の風格である。
「っと、早速お出ましだぞっと」
「な、なんですか!?」
宇賀先輩の後ろをおっかなびっくりついていた僕は、その声に慌てて前に飛び出す。宇賀先輩の広すぎる背中からひょっこり顔を出して前を覗いた。
そこには、一匹のスライムがいた。
「う、うわ。本当にモンスターだ! すげぇ……」
「おい、感心してないでちゃんと構えとけよ。危ないんだぞ一応」
宇賀先輩は呆れたように言いながら、僕を押しのけて後ろに追いやる。僕は素直に従って剣を構えながら宇賀先輩の背後に回った。
スライムは低級モンスターの代表格で、物理攻撃がほとんど効かない前衛系と技術系の天敵である。しかしものすごく魔術耐性が弱くて、魔術職の初級魔法を数発当てれば簡単に倒せてしまう。そんな弱いモンスターだ。
知識としては知っていたが、目の前に本物がいると興奮する。ドキドキが止まらない。顔が笑い顔と緊張顔の間くらいで固まっていた。
「せ、先輩。大丈夫ですか? 僕たち二人とも前衛系なんですが……」
「余裕」
そういうと宇賀先輩は無造作に間合いを詰めていった。すると近づいてきた大柄な人間に驚いたかのように、スライムが粘液を飛ばしてきた。
高レベル帯のレッドスライムやアシッドスライムの粘液はとてつもなく強力な炎や溶解液をまとっているが、1階層のスライムの粘液はただぬるぬるするだけである。当たるとちょっと痛い、程度だ。
だからだろう、宇賀先輩は粘液を一切無視してスライムに近づくと、素手で思いっきりぶん殴る。そして内部のコア部分を引っ張り出し、力任せに握りつぶした。
スライムが溶けていった。
「……余裕でしたね」
「だろ? パーティを組めないから経験値や討伐カウントが増えないのが残念だけど、護衛なら間違いなく楽勝だからな。ボスでも出ない限り安心してくれ」
体中粘液まみれで格好いいことを言ってくれる。僕も早くこんな強さが欲しいなと思った。
不思議とスライムの粘液はすぐ乾くようで、無傷の宇賀先輩を盾に僕はダンジョンの奥へと進んでいった。
1時間のうちに、総計で10匹近くのモンスターと戦うことができた。
動きが素早いため前衛系や魔術系では捉えられないはずのニードルビーは、宣言通りに宇賀先輩は鷲掴みにして倒した。
前衛系の餌と言われるほど直接的な殴り合いが効果的なスモールベアは、「Lv1のソロじゃあさすがに危険だしな」と片腕で押さえつけてくれているところを僕が貰ったばかりの剣で何度も切り伏せてなんとか倒すことができた。
サジテンに登録したおかげで、あんなに剣の重さに振り回されていた僕だったのに、剣を上段に構えると体が自然に動いて普通の斬撃を放つことができた。ちょっと嬉しかった。
そんなこんなで、Lv1のデビューしたばっかりのソロ攻略者のくせにかなり効率的な1階層攻略ができていた。宇賀先輩の無駄にでかい背中がすさまじく頼もしい。
「……今日はもうこれくらいかな? そろそろ帰るか」
「あ、はい。もう結構やってますよね。気づかなかった……」
サジテンを確認すると、デジタル時計が午後4時を示していた。もうかれこれ3時間近く休憩なしでダンジョン探索をしている。
僕は宇賀先輩に「帰りましょうか、明日からは臨時パーティ募集してみますよ」と言ったとき、ふとあることに気づいた。
「宇賀先輩? どうしました? なんか顔色が悪いですけど……」
「……マジでやらかした。お前、帰り道覚えてる?」
僕はすぐさま青ざめる。ここに来るまで割とそれほど多くはなかったが分かれ道は何度もあった。
普通のパーティの場合、集中力だけでなく記憶力も強化されている技術系攻略者がマッピングを行ってくれるんだけど、今は前衛系二人の超肉弾戦パーティだ。どっちも自力で覚えておく必要があった。
「……最初の方の分かれ道は覚えてますが、後半はいまいち……。失敗しましたね、どうしましょう」
「やらかしたな、慣れた場所だからすぐわかるかと思ったけど、こう景色が似たり寄ったりだからな……初心者育成ってことで浮かれてたみたいだ、すまんオレの迂闊だった」
僕は「いえ、僕も初めてのダンジョンで浮かれてて気づきませんでしたし」とお互いに慰めあう。ダンジョンは18時閉園で、その時間に残ってる攻略者はサジテンに帰り道の指示が出てきてダンジョンから出ることはできるのだけど、その分罰金のペナルティを負わされる。
初日から罰金は食らいたくない。お互いにそこまでお金を持っていないからだ。なんとか2時間で帰らなきゃいけない。
そう僕たちが焦りだしたちょうどその時だった。
「きゃーーーーーーーーーーーー!!!!」