ラファエルの覚悟
ヴェリア王国、王城ーー。
ラファエル・リーツマンは飛び掛りたい衝動を抑え、目の前の国王に頭を垂れていた。ぐっと噛み締めた唇がプチッと音を立て破れたが、流れ出た血をすぐに舐め取る。
「勝手に停戦を結ぶなど、貴様はいつからそんなに偉くなった!? この愚か者が! 直ちに軍を再編し、カナン領に攻め込め! カナンの息の根を止める好機をみすみす逃す気かッ!!」
激高する国王は額に青筋を浮かべて、肩で大きく息を繰り返す。宥めようとする側近達にも手にした杖で容赦なく打ち据えるものだから手に負えない。
「リーツマン、貴様次にわしの前に現れた際にカナンの息の根を止めていなかったら……その首が胴とくっついていると思うなよ」
甲高く喚き散らした声から一転、低く邪悪な響きをもたせて国王はラファエルに釘を刺した。
この国王には如何なる諫言も意味を成さない。ヴェリア王国も度重なる戦争で兵は足りず、軍費の捻出もままならないというのに。王は自らが命令を下せば白が黒になり、黒が白になると考えている正真正銘の暴君だ。
「よいな!?」
閉口するラファエルに王はぴしゃりと言い放つ。ラファエルは承服するしかなかった。
「どうだった?」
王城から戻って来たラファエルに騎兵隊長のフランク・ベルツが駆け寄る。聞いてはみたものの、ラファエルの浮かない表情からしてろくでもない命令を授かってきたであろうことはすぐに察しがついた。
「王は再度の出兵を求められたよ。次、御前に現れるまでにカナンを滅ぼしていなければ、私の命はないとさ」
自嘲めいた笑みを浮かべラファエルは言った。
「ったく、ヴェリアにだって余裕がないことくらい王だってわかっているだろ。無茶な出兵は人心を手放すと分からないのかね。いや、既にその人心すらねぇか」
「私欲を肥やす事に囚われた人間に人の心など分かるはずもない。そんな事より」
ラファエルの眼鏡の奥の瞳が険しくなる。
「私はカナンを攻める気はない。停戦を結んでおいて違えるような真似をすれば、どのような報復を受けるか火を見るより明らかではないか。ビアンカが捕われているのだとしたら処刑されてもおかしくはない」
「でも、それじゃ隊長はどうなるんすか? 命令違反なんてすりゃ隊長の方が先に処刑されちまう」
「そこでだ、お前に頼みたいことがある。第一部隊を纏めて遠征の準備を進めてくれ。あくまでフリだがな」
「隊長は?」
「私は単独カナンに潜入し、ビアンカを救出する」
「はぁ!?」
フランクは素っ頓狂な声を上げた。
「カナンの将軍ジークフリート・バッハシュタインと停戦を締結した際に、碧眼の死神を殺したとも捕えたとも言っていなかった。これは私の勘でしかないが、ビアンカはどこかに身を潜めているのではないだろうか」
「いや、そりゃ言っちゃなんだが隊長の希望的観測がご多分に含まれていると思うぜ!? それに、隊長、悪いがあんたに隠密行動ができるとも思えねぇ」
「む、舐めるな。私の判断力や分析力を以ってすれば潜入など造作もない」
「いや、その頭脳に付いてくる身体能力が備わってねぇ!」
「ぐっ、出来る出来ないではない。やらねばならないのだ。私は何としてもビアンカを助け出す」
ラファエルの脳裏に自らに全幅の信頼を寄せるビアンカの姿が鮮明に思い起こされる。可憐で可愛らしい見た目に似合わず、超がつく程の真面目で宿老のように頭が固いビアンカ。人付き合いが苦手で笑顔を浮かべる事も殆どないが、時折見せる控え目に微笑む表情はとても儚く、尊い。
ラファエルはずっと後悔してきた。
思えばあの時、もっと別の言葉を掛けてあげられていれば、あの子の瞳に怨嗟の炎が灯る事はなかったんじゃないか? あの子を復讐の羅刹に落としてしまったのは私だ。そんな私に感謝や尊敬をする必要などないというのに、あの子の瞳に映る私は余りにも輝いている。
ビアンカ……。君が幸せになれるなら、私はどんな苦難にも耐えてみせる。だから、お願いだ。どうか、無事でいてくれ。
「止めても無駄っぽいすね」ラファエルの覚悟を感じたフランクがため息混じりに呟く。
「フランク、すまんな」
「別にいいっすよ。だけど、何やかんやで俺って損な役回りが多いッスよね。隊長、戻ってきた暁には見返り、期待してますからね」
拳を突き出すフランク。それに応えてラファエルも拳を合わせ「任せろ。ビアンカとの食事券、口惜しいがお前に与える!」目尻に皺を寄せ白い歯を浮かべてみせた。