レオンの過去 願い
「それじゃあ、レオン行ってくるわね」
口元に笑みを湛え、フローラは後方支援部隊の護衛の任へ発とうとしていた。
「ああ、行ってらっしゃい」
「ねえ、レオン。絶対に生きて戻ってきてね」
近いうちに決戦が行われる事を察してフローラはレオンの身を案じた。一筋縄ではいかない敵に対して、カナンとしても危険を承知で相手を出し抜く決死の戦術を仕掛けようとしているからだ。
その戦術の実行部隊長を務めるのがレオンであり、それは死と隣り合わせの危険を孕んでいる。
「大丈夫。さっき誓っただろ? 生涯君を守り抜くと。その約束を果たす為にもこんな所で死ねないよ。君の方こそ気をつけてな」
「信じてる。愛してるわ、レオン」
「僕もさ、フローラ」
愛する人の背中が夜の闇に溶けてしまっても尚、レオンは暫くフローラが歩む先を見つめ続けていた。空を見上げれば淡い光を放つ月が、今にも分厚い雲に隠されてしまいそうであった。
そしてーー。夜が更けていった。
深夜、眠っていたレオンは馬蹄の疾駆する音が近付いてくるのに気が付き目を覚ました。
音は軍の後方から近づいて来ており、頭が意識する前に嫌な汗がレオンの背中を伝う。
「で、伝令! 支援部隊が敵の奇襲を受けました! 急ぎ援軍をッ!」
伝令の張り上げた声にレオンの目が限界まで見開かれ、一瞬思考が停止する。しかし次の瞬間には凄まじい量の情報が流れ込んだ。
軍後方への奇襲? リーツマンは正々堂々戦う人格者だと信じて疑わなかった。敵ながら見事な男だと尊敬の念すら抱いた。
全ては虚像だったのか? この奇襲を悟らせないための偽りの姿だったのか?
そんなことより支援部隊? フローラの向かった先か? まさか。彼女は無事なのか? いや無事に決まっている。決まっているッ!!
レオンは駆け出した。悪寒が止まらない。嫌な予感しか湧かない。フローラは無事だと信じたくても、それを信じられない。
リーツマン……! 支援部隊は戦闘員ではないぞ。そんな所へ奇襲を行えば虐殺になる。わかっているのかッ!
「おのれ、リーツマンッ! おのれぇぇぇぇぇえ!!!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方、襲撃を受けた現場は異様な雰囲気に包まれていた。
明かりを灯す篝火が全て消された上、月が雲に隠された事により辺り一帯が真っ暗闇となっていたのだ。
何が起きているのか理解できない状況で、最初の断末魔が響き渡る。混乱するカナン軍を無慈悲に屠っていく襲撃者。支援部隊を護衛する為武装していた二〇名の兵士も次々と凶刃に倒れていく。
「馬を走らせて! 本部に援軍の要請を急ぐのよ!」
凛と響く声が指示を飛ばした。それがフローラである。
しかし、その声に反応して青い揺らめきがゆっくりとフローラを向いた。
「あれが……襲撃者!」
それに気が付いたフローラだったが、青い閃光が伸びたと錯覚するほどの物凄い速さで間合いを一気に詰められる。
「くっ!」
甲高い金属音が鳴り響き、フローラの剣を持つ手がびりびりと痺れる。振るった剣が奇跡的に凶刃を防いだのだ。
一旦距離をとる襲撃者。
「何者だ! ここは後方支援部隊、非戦闘員が集う場所だぞ! ヴェリア王国は正々堂々戦う矜持を捨てたか!」
フローラが気丈に叫ぶが、襲撃者の青い瞳が揺らめくと再び距離が近くなる。
勘に頼ったフローラの剣は二度目の奇跡を起こし、襲撃者の剣と鍔迫り合いの形で食い止めた。
「関係ない」ぼそりと襲撃者が呟いた。
「悪魔には死を……悪魔には地獄の苦しみを……カナンには滅亡を」
「ッ!! あなた……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
怒りで冷静さを失い疲労すら凌駕したレオンは信じられない早さで襲撃地へと辿り着いた。
そこは異様な静寂に包まれていた。照明である篝火が全て消され、何も見えない真っ暗闇。こんな視界が利かない中で奇襲など可能なのか? レオンが疑問を浮かべたその時、青い光が僅かに揺らめき、それはそのまま残像を残しながら闇の中に溶けるように消えていったのだ。
それが何者なのか考える前に、レオンは愛する人を探す為倒れた篝火に火を灯した。そしてそこに映る光景に絶句する。
辺り一面に支援部隊の面々が血を流し倒れ伏している中、見渡す視線が一人の女性を捉えた。その瞬間重く鈍った感情が一気に動き出す。
「嘘だ……。うわあぁぁぁぁぁ!! フローラあぁぁぁぁぁあ!!!!」
血の海に仰向けに横たわり、顔面を蒼白にしたフローラにレオンは駆け寄った。
肩から腰にかけて袈裟がけに斬り裂かれた傷は明らかに致命傷だ。
「目を、目を開けてくれフローラッ! 頼む、死なないでくれぇ!!」
フローラの上半身を抱きかかえながら叫ぶレオン。手には生温かくべったりとした感触が広がり、それが全て愛する人から流れ出たものだと思うと途方もない虚脱感に襲われる。
レオンの呼ぶ声に反応してフローラの目が薄っすらと開いた。
「レ……オン」
消え入りそうなか細さでフローラは呟く。
「よか……った。最期に、あなたに……会えて」
錆び付いたドアを懸命に開けるように、フローラは言葉を紡ぎだす。おそらく、そのドアはいつ開かなくなってもおかしくない。
「最期なんて言わないでくれ! 直ぐに医療班が到着する! 僕が近くにいる! 絶対に助かるから気をしっかりもつんだ!」
レオンにはわかっていた。最愛の人は、もう助からないということが。止めどなくあふれる涙が、言葉とは裏腹にフローラが死んでしまう事を告げていた。
「大丈夫だ! 僕が付いてる! 絶対助けるから!!」
それでも尚、現実を受け入れられない心が希望を繰り返す。
「ねえ、最期に……私のお願いを……聞いて」
その願いを聞けばフローラが死んでしまう。拒否したい衝動を堪えて、レオンは「なんだい?」と優しく促し、耳を寄せた。
そして、レオンとフローラは最後の口付けを交した。鉄さび臭さが口の中に広がるその接吻は甘さとはあまりにもかけ離れていたが、レオンはフローラの願いとともにその味を噛み締めたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
話し終えたレオンは深く瞑目し、口を閉した。全てを聞き終えたビアンカもまた、何も言葉を返す事ができなかった。
「結果としてリーツマンの奇襲作戦はヴェリアにとっては大戦果だったよ。戦いを継続することができなくなったカナンは敗走し、カナンが去った地は全てヴェリア領となった。両国の均衡が崩れた切っ掛けとなったのは間違いない」
皮肉を込めてレオンが吐き捨てる言葉もリーツマンを愚弄するものだったが、最早ビアンカにそれを批難する気は湧かなかった。
むしろ頭と心を支配するのは、最後に殺した女兵士の言葉。致命傷を負って尚、語りかけてきた言葉。
「今はまだわからなくても、いつか真実が分かるときは来る。もし、あなたを導いてくれる人が現れたなら……その人を受け入れなさい……」
その言葉の意味は今でも完全には理解できていない。それでも今のビアンカには真実が見えていた。復讐心という名のヴェールに隠された先にある見ようともしなかった現実。
違う。レオン、違うの。隊長は関係ない。あの奇襲作戦は……私が、独断で行った事なの。
思えばあの奇襲作戦が成功して報告した際、驚愕と憤りが混じった表情をラファエルは浮かべていなかったか? その表情は一瞬に留まり、直ぐに挙げた戦果を賞賛してくれたが、ラファエルは思ったに違いない。
ビアンカが行ったのは虐殺であると。そして暗黙の内に正々堂々戦う事を決めた戦いに泥を塗り、敵を裏切ってしまったことを。
カナンは悪魔? カナンに報いを? いや……悪魔がいるのだとしたら、それは私のような人間だ。そして報いを受けるべきなのも……この碧眼の死神だ。