絆される心と憎しみと後悔
レオンは懇切丁寧に怪我の治療や食事の用意などの世話を焼き、動けないビアンカに無体な振る舞いをする事は一切なかった。その真摯な振る舞いはカナンを悪魔と断ずる氷のように冷たいビアンカの心をも徐々に絆していき、そして一週間が経った。
「レオン、ありがとう。だいぶ良くなったわ」
まだまだ肩や太腿の傷は塞がりきっておらず、折れた足や肋骨も治っていない。右目に負った裂傷は眼球こそ無事だがこちらもまだ治り切っていなかった。それでも破傷風など感染症の脅威は去ったといってよさそうで、レオンは白い歯を見せて笑うと包帯を手に取る。
「うん、でもまだ完治には時間がかかる。焦らないで治していこう。治ったら、ヴェリアに帰る抜け道を教えるから、そこから帰るといい。さあ、今日も巻き直そう。化膿してはいけない」
「ありがとう」
スルリと衣服をはだけさせるビアンカ。女性らしい華奢な肩が露わになり、艶かしく白い肌が窓から差す陽光を受け更に美しく映える。
レオンは思わず見惚れた自分に咳払いで自重を促したが「やっぱり、君みたいな子に戦場は似合わないな」とぽつり本音を洩らした。
「レオン……聞いてもいいかしら」
「なんだい?」
「あなたが私に重ねている子は、レオンの恋人?」
肩に包帯を巻かれながらビアンカが問い掛けると、ピタとレオンの手が止まった。
「参ったな、誰かと重ねるだなんてそんな失礼な真似いけないよね。でも……そうだね。その子とは将来を誓いあった仲だった。強くて、優しい、とても素敵な女性だった」
「もしかして、その人も軍人だった?」
「ビアンカは鋭いね。その人とビアンカを重ねてしまう一番の理由がそれかもしれない。もちろん、年の頃もビアンカと近いのだけど、軍に身を置いて常に命を危険に晒している所なんかが特にね。彼女には女性としての幸せを歩ませてあげたかった」
哀愁を漂わせ、瞳に深い後悔の色を滲ませるレオン。
「ビアンカは? 君にも大切な人とかいるんじゃない?」一転、明るい口調で聞き返す。その問いに対してビアンカが思い浮かべる人物は一人しかいなかった。
「私には……恋人なんていない。だけど一人だけ、命を掛けても奉公したい恩人がいるわ。私が生きているのはその人のおかげだから」
「へえ、その人の事聞かせてくれるかい?」
ビアンカは小さくあごを引くと、ゆっくりと口を開いた。
「一〇歳の時、カナンとの戦争で私は全てを失った。住み慣れた家を失い、両親を失い、幼い妹まで命を奪われた。当時の事をよく覚えていないのだけど、私は発狂して家族の死体の前で泣き叫んでいたらしいわ。そのままでいたら見つかって殺されるか、火に巻かれて焼け死ぬか。どちらにせよ、もうどうなろうと知った事ではなかった。……ありがとう」
レオンが包帯を巻き終えるとビアンカは礼を述べ衣服を正した。
「そんな時、隊長が私の前に現れたの。自暴自棄に陥っていた私を救ってくれたのはリーツマン隊長の奮起を促す言葉だった。どんな慰めも受付けなかったであろう私にとって、悲しみを怒りに変換できた隊長の言葉は前に進む力となったわ」
ビアンカはレオンの事を寂しげに見つめた。
「あなたに会ってカナンにも人間らしい人がいるんだってわかったわ。だけど、カナンに対する私の憎しみが変わる事はない。カナンは必ず滅ぶ。滅ぼさなければならない。でも、あなたはこのままここで暮らしていて。もし軍に戻ってしまったら、私はあなたとも戦わなければならない」
「リーツマン……ヴェリア王国の第一部隊を率いるラファエル・リーツマンか」
レオンの言葉には今までビアンカに向けられたことのない憎悪の感情が含まれていた。ビアンカの無言を肯定と受け取ったレオンは堪えきれない怒りを吐露する。
「ビアンカ……君の恩人を悪く言うのは本意ではないが、リーツマンこそ悪逆な男だ」
「レオン……それ以上の暴言は容認できない。やめて」
「カナンを悪魔と断じ、君にカナンと戦い続ける宿命を植え付けた張本人こそリーツマンだろう! あの男は、君みたいな子まで戦争の駒にするのか!」
「隊長を愚弄することは許さない。あなたに隊長の何がわかるの?」
ビアンカの釣り上がった目がレオンを射抜くように睨み据える。
「僕の恋人はねビアンカ。リーツマンに殺されたんだ!」
ビアンカは息を呑んだ。普段穏やかなレオンが全身から漲らせる怒りは凄まじいもので、同時に覗かせるのは深い残悔の念。
「戦争なのよ……女でも軍人ならば戦場で死ぬは本懐だわ」
ビアンカはなんとか自己とラファエルを肯定する言葉を紡ぎ出す。
「真っ当な会戦ならそうも言えるかもしれない。でもフローラが死んだのは違った。除隊することが決まった直後の戦闘だった。一緒になろうと、僕がフローラを一生守ると誓った直後の……。ああ、あの時……僕が引き留めていたならッ! くそッ!!」
当時の感情が想起されたレオンは怒りの丈を呻く。それは独り言のようですらあった。
「二年前の戦争でリーツマンが採った作戦は非道なものだった。正々堂々戦う事をせずに、奴が選んだ作戦は非戦闘員が多数を占める後方支援部隊への奇襲だった。ビアンカ、君も軍にいたのなら記憶にないか?」
二年前。後方支援部隊への奇襲。
ビアンカの胸がざわめき立つ。まさか。
「フローラは後方支援部隊を護衛する任に就いていた。部隊長を務めていた僕はフローラとともに行動することができなかった」
レオンの悲しみの記憶が鮮明に言葉に綴られていく。