決闘
意外な人物の登場にビアンカとレオンは息を呑んだ。しかしビアンカからしてみれば、最も会いたかった恩人の姿に思わず感極まる。
身体のあちこちに切り傷や擦り傷が散見され、おそらくここに辿り着くのに相当な山を潜ってきたのだろう。
「ビアンカ!」
「……隊長」
ビアンカの存在を認めたラファエルの顔にも一瞬安堵の色が浮かんだ。しかしそれも束の間、すぐさまレオンへ鋭い視線を向けるラファエルに対して、レオンも睨み返し互いの視線が交錯する。
高まる緊張感の中、先に言葉を発したのはラファエルだった。
「見覚えがある。貴様はジークフリートの弟、レオンだな」
「ラファエル・リーツマン……」レオンの声が一気に低くなる。
ビアンカは二人の発する殺気にも似た敵意に狼狽える。この場を取り持てるのは自分しかいないと分かっていても何も言葉を発する事ができない。
「見たところビアンカを助けてくれたのはお前のようだな。感謝する。無論、ビアンカを連れ帰ることに文句はないな?」
普段の穏和な雰囲気は鳴りを潜め、今のラファエルからは有無を言わせぬ凄みがある。
「そこにビアンカの意思があるならな。しかし、ビアンカの心が俺と共にあるなら」
レオンの一人称も普段使用する『僕』ではなくなっていた。
「ビアンカを貴様のもとへ帰すわけにはいかない!」
「心が共にある……だと?」
ラファエルの見透すような視線がビアンカを一瞥した。思わずラファエルに対して抱いたことのない恐怖にも似た感情が過ぎる。
「くっくっく、そうか。そういうことか」不気味に笑うラファエル。
「策士だな、レオン。純粋なビアンカの心に取り入り籠絡しようとは。さしずめカナンを憎む心は私がビアンカに刷り込んだ虚像だとでも吹き込んだのだろう。ビアンカ!」
突然の怒号と鋭い視線を受けて、ビアンカの身体が直立し固まった。
「お前の両親を殺したのは誰だ!? 残虐非道なカナン軍だ! カナンは悪魔だ、親の仇をとれ! 妹の無念を晴らせ! カナンを滅ぼすまでお前の戦いは終わらない!」
「リーツマンッ! 貴様ッ!」
「レオン、確かお前の許嫁は二年前の戦いで私に殺されたのだったな。その仇を取ろうともせず、こんな所で隠居生活か?」
そのラファエルの台詞に、弾かれたように顔を向けるビアンカ。
「隊長……あの奇襲は」
「黙っていなさい、ビアンカ」
ビアンカの躊躇いがちに放った言葉はラファエルの一喝にかき消される。
「フローラは……仇討ちなんて望んでいない。復讐にとらわれそうだった俺の心を留めてくれたのは死に際のフローラの願いだった。俺はフローラの願いを遵守する事を誇りに思っている」
「ふん、敗者の弁か。カナン一の勇将も堕ちたものだな」
「リーツマン、貴様はどうだ? 幼き日のビアンカに掛けた言葉が正しかったと胸を張ることができるか? 今の言葉が彼女の幸せに繋がると思うのか!?」
ラファエルの表情が一瞬打ちのめされたものに変わる。だがすぐに怒りの形相を浮かべ、明確な殺意をレオンに向けた。
こんなラファエルは見た事がないとビアンカが戸惑うのも無理はない。これほどまで感情を剥き出しにしたラファエルなど今まで従軍したどの戦争でも見られなかった。
何に憤っているのか。レオンがヴェリアの敵だからという理由では説明がつかない鬼気迫る様にビアンカは何も声を掛けられない。
「青二才が……お前の言う綺麗事など世迷い言に過ぎん。ビアンカはこれからも戦う」
狂気じみた笑みを浮かべラファエルが腰に差した剣をすらりと抜いた。
「碧眼の死神はカナンを血祭りにあげる死の舞踏を舞い続ける!」
「今の言葉……取り消せッ! リーツマンッ!」
レオンも手にする短剣をラファエルに向ける。それが合図だった。互いに距離を詰め振るわれた剣刃がぶつかると燈色の火花が散った。
目を見開き歯を剥いた両者が鼻先を突き合わさんばかりに力を込める。
「リーツマン、貴様はビアンカに呪いをかけた。それはこのまま戦う事を続けさせれば死ぬまで苦しむ呪いだ! 貴様の思いはどこにある? 幼気な少女を救った心までもが虚像だったというのか!」
「だとしたらなんだ? 綺麗事を並べてビアンカに罪科の念を覚えさせたのは貴様だぞ! カナンが悪魔ではないとビアンカに説いたというならば、お前がビアンカの心を救ってみせろ!」
互いの剣が弾かれる度に剣火が散り、二人はニ合、三合と打ち合う。
「ビアンカが罪悪感に苛まれる時、お前は側にいて支える事ができるか!? ビアンカの心が潰されぬよう守る事ができるか!? できぬというならば、カナンが悪魔ではないなどという戯言を撤回しろ! カナン王国ごと悪魔としてこの世を去れ!!」
「カナンは悪魔などではない。そして、ビアンカも死神などではないッ!」
レオン渾身の一閃がラファエルの腕から剣を弾き飛ばした。回転しながら宙を舞った剣はラファエルの背後の地面に突き立った。
敗れたラファエルは直立した姿勢のまま目の前のレオンを睨み据えており、剣の切っ先が喉元に突き付けられてもその瞳には微塵の動揺も見られなかった。
「私を殺す前に聞かせろ。貴様の覚悟を」
「俺は貴様を殺す気はない。……ビアンカが好きだ。ビアンカの大切なものの全てを俺は守る。ビアンカの罪も苦しみも俺が共に背負う。如何なる時もビアンカを助け支え、共に幸せを掴む」
レオンの決意に、睨むラファエルの瞳から敵意の光がすっと失せた。
「隊長……」
足を引きずりながら、ラファエルのもとへ歩み寄るビアンカ。肩で荒い呼吸を繰り返しながら、ラファエルが感情を伴わない視線をビアンカに向ける。
「初めてお会いした時、私の命を救っていただきありがとうございました。自暴自棄になっていた私に生き方を示してくださり、ありがとうございました。今の私があるのは全て隊長のおかげです。今までずっと……」
一度顔を伏せ、上げたビアンカの瞳に涙が浮かぶ。
「見守ってくださり、ありがとうございました」
そして深々と頭を下げた。
ビアンカの顔があった虚空を見つめたまま動かないラファエル。しかし、そんなラファエルの瞳から一筋の線が頬を伝い、顎先から落ちた雫が音も無く地面に吸い込まれた。
「レオンと共に世界を見たいと思います。隊長が弱い私を救う為に見せてくれた残酷な世界。私の犯した罪と向き合い、曇りなき眼で、私自身で新たな世界を見つめてみます」
「ビアンカ……」
ラファエルの低い声が震えた。左手を眼鏡の下に滑り込ませ、堪え切れず溢れた涙を押さえ込んでいる。
「許せッ……! 私は君に取り返しのつかないことを、くっ、うぅ……」
嗚咽を堪えて身体を震わせるラファエル。
それはずっと悔いてきた思い。ビアンカが人を殺す度、カナンへの憎悪を募らせる度、ラファエルの中で膨らんで大きくなっていった罪科の念。
ビアンカがそっと抱きついた。
「隊長のお気持ちわかっています。私を大切にしてくれていること、私を守るためにしてくれたこと伝わっています。隊長……ラファエル隊長」
ビアンカがラファエルに対して初めてファーストネームを直接呼んだ。それは規律を重んじるビアンカが、親愛を込めて、大切な宝物を開けるような瞬間だった。
涙でくしゃくしゃになった顔を真っ直ぐにラファエルに向け、ラファエルもまた泣き歪めた顔でビアンカを見つめた。
「大好きです」
儚げな笑顔ではない。弾けるようなビアンカの笑顔だった。




