9.悪役王子と伯爵令嬢2
国を壊すと決めてからは、長く計画を考えていた。
王と怠惰な穏健派を主流から覆すには力が要る。
この国で力を持ち、ラテルグ王国へ侵攻の野心があるのはグラストルク公爵率いる強硬派だけ。優秀な嫡男の元で一大勢力を築き、あわよくば飲み込んでしまいたいほどに。だが、他国へ力を注ぐばかりでは困る。
公爵を利用する為、満足出来る成果が挙げられる事、そして満足が得られない結果を残す事を目標に据えた。
野心を満たす為に公爵を要職に就けるが、嫡男には大きな手柄を立てさせず、公爵領の領主のままにする。更に次男を結婚させ、領外に出す事で嫡男は本来の仕事に戻らざるを得なくする。
選択肢の幅を狭めるのに自由に使えるのはシャロンだけ。
だが、公爵は彼女をそこまで評価していない。ならば彼女の価値を高めてやればいい。
シャロンとオーウェンは互いに惹かれておりながら、それぞれの立場から身動きが出来ないでいた。彼女はこの先も気付かぬふりを続けるだろうが、オーウェンを揺さぶる事はできる。
シャロンを欲しがらせるには言い訳を与えてやれば良い。幸い、騎士団には護衛であった者達が復職して配置されている。嘘を言う必要はない。正義の執行を促す為に、正しく王と穏健派の老人達の所行を伝えれば良い。
だが、二人を近付ける方法が問題だった。手駒は護衛と騎士だけ、自ら動く事は疑いの目を残してしまう。しかしタイミング良く、ティリマスター家の次女が接触して来た。以前からその存在と役割は聞かされていた事から、いつかは対峙する必要があるだろうと思ってはいた。
次女はシャロンとの婚約から監視の目を向けていたらしく、騎士団に接触している事は見抜かれていた。ただこちらの思惑までは分からず、シャロンの事であれば協力出来ると言う。
オーウェンにシャロンを娶らせる。この方針であれば納得してくれるようだ。
しかし問題はまだある。彼は最後の王族だが貴族を率いた政治が出来ない。貴族達から距離を置くという愚かな選択をした事から、殆どの貴族には無用との烙印を押され、後ろ盾に名乗りを上げるものはない。残っている価値は王の血縁というだけ。
だがその価値は貴族ではなく、平民に対して効果を持つ。他の貴族では代用の利かない、前王の子と言うのが切り札だ。長く続いた統治から、血縁者なら王位を認めさせる事が出来る。
それでは政治の出来ない王を誰が補佐するのか?
王妃は教育を受けてはいても王の決断が優先される。正に愚王の誕生だ。オーウェンもそれは望まないだろう。必ず摂政か宰相が用意される。彼女ならその要職に公爵を充てる。
次男に関してはティリマスターで良いだろう。次女の方でも準備をしているようで、手を出さないように警告をされた。
最後の問題は嫡男だ。公爵邸に訪れた際、射殺さんばかりに睨みつけられた。あの様子ではこちらの計画が露見すれば、全てを覆す行動を取られてもおかしくない。何より強硬派の盟主と言う立場が既に王よりも力があるのだから笑えない。
ルーシーの動きが活発になり情報収集している様を見ると、ラテルグ王国からの侵攻はほぼ確実だろう。情報を渡さないように努めるが、公爵家に手柄を立てさせないようにするには、手引きを仄めかせ常に警戒させるしかない。
知らずとは言え、その戦端を用意したパークリー侯爵には罪を償って貰う。子飼いの伯爵家に内通者がいる事、ルーシーの不審をもって他の派閥へ支援を要請出来なくさせる。かつ、孤立無援にはならないよう、中立派の中では発言力は保ったままだ。しかし、いざ侵攻が及ぶと中立派は離散する。生存を求めるなら、供出出来るものは家か孫か、それ次第で頼る先は限られる。
お膳立ては全て整い、婚約破棄を告げた時点で計画は概ね完了した。細かく動いてくれた護衛や騎士達には感謝するしかない。だが、これからの自分には彼等に報いる事が出来ないのが残念だった。
「ここまでの計画でルーシーに危険が及ぶのは確実だった。無理に連れて来てしまったが、この隠れ家は静かで良い場所だっただろう?」
「はい、とっても静かで音が良く聴こえますの。羞恥と言う言葉をお持ちで無ければ今すぐ教育を受け直しなさい!」
「就寝とか排泄は一番無防備だからエルとエマを置いたんだけどね。駄目だったかな?」
「駄目に決まってるでしょう!」
経験からの配慮だったが、伯爵令嬢の教育を受けた彼女には受け入れられなかったらしい。
「でも、もう終わったから安心して良いよ」
「終わった……って、出られるの?」
エマが檻の鍵を解錠すると、エルが汚れひとつないコートをルーシーに掛けた。
彼女の不安はよく分かる。つい先ほど、自分の身にもあった事だから。
「君には二つの生き方が選択出来る。ずっと隠れて生きるか、それとも私の伴侶になるか」
「はぁっ⁉︎ まだ私を利用するつもりなの⁉︎」
「おや? 逃げるのではなく、一緒になる事を考えてくれたのかい?」
「ち、違うわよ! えと……なんなのよ、もう!」
「ありがとう。逃げると言うのなら、護衛を付けてあげるからラテルグでも他国でも好きな所に行けば良い。この国ではティリマスターが目を光らせてるから、いつか気付かれるよ」
「王子様はどうするのよ?」
「元王子だけどね」
「知ってるわよ!」
「そうだったね。私はこれから辺境伯に任じられる。ラテルグ王国との緩衝地帯を正式に国の領土に組み入れ、その初代領主となる」
「それって……」
「これからは緩衝地帯の無い、自らの領地を守り続けなければならない。それが王族としての最後の役目になる。想定していた中では最も軽い措置だね。案外ティリマスターの嫌がらせかもしれないけど」
「なに軽く言ってるのよ⁉︎ ずっと疲弊していくって事じゃない! あんた王子様でしょ⁉︎ 助けて貰いなさいよ!」
「元王子だけどね」
「知ってるわよ‼︎」
パークリー卿から紹介された気立ての良い伯爵令嬢と言うのは間違いが無かった。
ここまで言葉遣いが乱暴になるのは予想していなかったが、ハッキリと口に出してくれるのは何よりも嬉しい。
「ありがとう、ルーシー。けれどこれは私が望んでいた事でもあるんだ」
「なんで私なのよぉ……私なんか、元々孤児で、伯爵に拾われた、ただの使用人なのに……」
「知ってたよ」
「うるさいっ! 私にも喋らせなさいよ!」
ルーシーは何処にでもいるような孤児だった。両親が死んだ後も農村の手伝いで細々と生きていた。領地視察で通りすがったケイウッド伯爵夫人が『見栄えが良くなりそうだ』と言う理由だけで屋敷に召し上げた。子息に遊ばせる相手と考えていたらしいが、王子と年齢が近い事からスパイの候補とした。
彼女の心根は伯爵家の偏った令嬢教育を受けてもそれは変わらなかった。人には丁寧に接し、次第に容姿が整っていくとパークリー侯爵の目に止まり、王子と公爵令嬢の友人候補とされた。
そんな彼女だから王子を騙し続けるのは苦痛だった。公爵令嬢に対して失礼を働く事に耐えられなかった。それでも伯爵家からは命令が下り、情報収集をして怖い大人達と話をしなければならなかった。
「本当に、怖かったんだから……」
パーティーの数日前にはもう限界だったのだろう。外に連れ出しても演技が出来なくなるぐらい体調も崩していた。それでも命令をされた事は達成しなければならないと、王子を誘惑して部屋に引き入れた。
幼な子のように眠る彼女は、薬に頼らなくてもベッドに押し倒せばそのまま気を失っていたかもしれない。
やがて目が覚めた彼女は、自分が失敗した事に気付き偽りの姿を消した。
「……命令」
ぼそりと小さな声が響く。まるで聞かれたくないように。
けれど、今度はハッキリとした声で同じ言葉を口にする。
「命令しなさいよ、そうすれば何でもしてあげる。死ねと言われれば死ぬわ。それだけの事をしたんだもの。でも伴侶は駄目。あなた王子様じゃない。こんな身寄りのない見窄らしい女なんて相手に選んじゃ駄目よ。まだその双子の方がマシじゃない」
エルとエマは護衛だった騎士の子、王都での身分も確かなものだ。エドと名前を偽っていた頃から遊び相手になってくれて、今では家族のような存在でもある。エドワードを名乗るようになってからも慕ってくれ、ルーシーの世話も不安なく任せる事ができた。それでも彼女達では駄目な理由があった。
「ルーシー、覚えているかい? 私がどれだけ衆目を集めて婚約破棄をしたと思う? あのパーティーに参加した子女達は私に合わせて用意された、婚約者候補だったんだよ。その面前で公爵令嬢を蔑ろにして君を選んだ――つまり、君が生きているうちは誰も選ばれたがらないと言う事さ」
「なっ⁉︎ なんて事してくれたのよ⁉︎ い、いいわ! じゃぁ、死ぬ。今死ぬわ。ナイフを寄越しなさいよ!」
「ルーシー、君が死ぬ事は許さない。これは命令だ」
「もう許してよ! 人を騙すのは辛いの! あなたを傷付けたくないのよ……」
「心配要らない。君は全部話してくれたじゃないか。それともまだ他に隠してる事があるのかい?」
「い、言うわけないじゃない。全部なんて言えるわけない。あなただってまだ隠してる事あるんでしょう?」
「私の過去も悪巧みもさっき話した事で全部。これからの事はまだ分からないけどね。あぁ、そうだ、一つだけまだ言ってない事があったよ。聞くかい?」
「何でも言いなさいよ。これ以上悪くなるなんて事ないんだから、全部聞いてあげるわよ」
ルーシーの前に跪き、左手を取り顔を向ける。
手を取る事などもう慣れているだろうに、頬を染めるルーシーはとても愛らしかった。
「ルーシー・ケイウッド、貴女の事を愛している。初めは偽りだったかもしれないが、今は全てが愛おしい。私の伴侶になって欲しい」
「……馬鹿。なんでこんな変なのが王子様なのよ……私の事を騙していた王子様を返してよ……」
「その方が好みなら、そうしよう。君が望む事をしてあげたい」
「……嫌よ。もう自分を騙すのも疲れたもの。あなたにもそんな事させたくない」
翳っていた顔はもうない。その表情は柔らかく、笑みを向けてくれる。
「ヘレナ・リヴウッド。私の本当の名前よ。ルーシー・ケイウッドは好きじゃないの」
貴族の目に止まるわけだ。ただの孤児ではないのだから。
リヴウッド家――ケイウッド家に領地を乗っ取られ、没落した伯爵家。彼女はその生き残り。
「ヘレナ・リヴウッド、生涯貴女だけの王子である事を誓う」
「エドワード・リヴィングストン様、貴方の御申し入れお受け致します。私の王子様」
「元王子だけどね」
「知っています」
【作者からのお願い】
読んでいただいた後に、本編の下の方にある☆☆☆☆☆から評価をお願いします!
本編は完結しておりますが、他の方の目に留まれば尚嬉しいです。