6.公爵令嬢と王弟殿下
騎士団から指定された場所は屋外の天幕だった。
ラテルグ王国の侵攻に合わせて騎士団は王都の中で真っ先に襲撃を受けた。詳しくは教えて貰えなかったが、執務室は荒らされ、応接には適さないと急遽用意されたものだ。
今でこそ落ち着いてはいるが、訪れた時には騎士達の目に怒りしかなかった。
「シャロン嬢、先程は部下が失礼した。それでこちらに来られた理由は? 昨日の続きというわけではないのだろう?」
「オーウェン閣下、残念ですが昨日の続きです。お聞きにはなりませんか?」
ピリピリとした気配が心得のない私にもわかる。
金属の擦れ合う音が響く中、高価なドレスを纏った貴族令嬢が居る事には違和感を覚えるだろう。
「グラストルク家は強硬派の盟主ではなかったのか?」
「私の話は昨日の続きです。お聞きになられますか?」
任せられた指示はオーウェン閣下の懐柔、出来なければ足止め。兄は騎士団の戦力を王都に残したまま、ラテルグ王国に逆侵攻するつもりだ。
「昨日、貴女の潔白は証明された。他に罪があったとしても今はそれどころではない。それにここは一度襲撃を受けている。安全を保証出来るわけではない。速やかに公爵邸に戻りなさい」
「閣下、もう一度だけ口にします。お聞きにはなられませんか?」
静かに怒りを向けられているのがわかる。
目を瞑り微かに息を吐くと、観念したように表情を緩めた。
「良いだろう。ただし、無為な時間であれば、公爵に責を負わす。貴女も指示を受けて来たのだろう?」
「ありがとう存じます。次期当主からの指示ではありますが、今は中立派の盟主として来ております。どなたに責を負っていただくかは、お話の後にご相談致しましょう」
正しくは中立派の盟主ではなく、パークリー家を保護下に置いているだけだが、面喰らったような顔を見ると、躊躇わせる時間は作れそうだ。
閣下の指示で書記が呼ばれそうになったが、これから話す事は他人には聞かせたくないと、マリーナも外に出し人払いを頼んだ。
危険な場所であり、緊迫した状況にあるにも関わらず、二人きりの時間は楽しかった。話している内容はパークリー卿から聞いたケイウッド家の裏切り、ミルドレッドが調査したあの女の暗躍、中立派の子女達の懐柔と言った不穏なものばかりだが、自分の口で語れると言うのが嬉しかった。
「……パークリー卿も苦労を負ってるな。つまり、貴女の口利きで侯爵家を保護する事にしたわけか。利益はあるのか?」
「えぇ、あります。パークリー卿の令孫を私の……!」
「貴女の?」
つい、口を滑らせてしまった。この誓約はまだ果たされない。その前提条件が整っていないからだ。
「申し訳ありません。個人的な事ですのでお話しは差し控えさせて下さい」
「そうか……シャロン嬢、一つ聞いてみたいことがある。正直に答えてくれると嬉しい。貴女はこの国をどう思っている?」
雰囲気が変わった。笑みが薄れ、真剣な表情で問いかけられる。
「閣下、私はこの国を愛しております。平民、貴族、赤子、子供、大人、年寄りに至る迄、この国にどのような人々が住まおうともそれは変わりません。父公爵に貴族たれと命ぜられるまでもなく、この国に身を捧げる覚悟は出来ております。それ故に王子殿下が惑わされ、このような状況に陥った事がただただ赦せません」
「だが、この状況を生み出した原因は公爵家だとも言える。王の方針に背き、ラテルグ王国を刺激したことで中立派に調略が及んだ。貴女を追い込む事になったのも、公爵が権力を持つ事を煙たがられたからではないか? それでも王子が、王家が不甲斐ないと言うのか」
「閣下、当家は隣国からの圧力を受けている貴族から助力を求められ、軍備を提供しております。それでも尚不足に感じ、増強をするも国王陛下により抑制させられました。非があるのは当家でしょうか? それとも圧力を受けている貴族でしょうか? 隣国や王家はどのようなお考えがあるのか、今更ですが興味はございます」
「貴女は王家こそが裏切り者だと言うのか、私の前で」
「閣下、私は感情で申し上げているわけではございません。当家から見た現実をお伝えしております。御判断はどのようにしていただいても構いません」
何が逆鱗に触れたのか、言葉の端々に棘がある。先程までは打ち解けていたと感じていただけに、その差は激しく感じられた。
僅かな距離を詰めてくる。中立派の盟主と言う嘘も自分で漏らしてしまい、時間稼ぎは失敗した。またも公爵家の役には立てなかった。
もう目の前にはオーウェンの顔がある。
「閣下――」
言葉を遮るように唇に熱いものが触れる。身体を抑えられ逃げる事は許されない。
それはどれほどの時間だったのだろう、痺れる腕で男の頬を叩くとようやく唇が引き離された。
「女性を襲うなんて、なんて卑劣な……」
「貴女は言ったな、この国を、民を、貴族を愛していると。それならば貴女には私をも愛して貰おう。代償にこの国は公爵にくれてやる。その為の誓約だ」
「それは……」
「争いを避ける王の方針は私欲だ。それを強いた貴族達に疎まれていた事は知っている。今更変えようとしても分たれた派閥がそれを許さない。そしてそれを決める王自身が同じなら何も変えられない。故に、私が代わりに立つ。民から見れば今まで育んでくれた王を追い落とす簒奪者だろう。それでも道を変えるなら今しかない……私と一緒に悪名を背負って欲しい」
聡明だった王がいつからそうだったのかは分からない。金欲に塗れ、蓄える事に拘りを見せ始めた。結果的に国は富み、民は喜んでいるが、貴族達には抑制を強いた。軍備を整えるぐらいなら、民を育てよと。その皺寄せが今、来ていたのだ。
差し出された手は昨夜とは別の意味になった。この手を取れば、次の舞台に上がる事になるのだろう。
「……私、悪意を向けられるのには慣れております。是非、閣下――いいえ、陛下のお側に置いて下さいませ」
「ありがとう。では公爵と貴族の方は任せる。それと一つ礼を言わせて欲しい」
「礼、ですか?」
「恥らう顔が見られて良かった。子供の頃から貴女はとても愛らしい」
少し頬を染めたオーウェンが天幕から出て行く。その姿に懐かしさと嬉しさが同時に込み上げてくる。
「シャロン様! おめでとうございます!」
突然天幕が開かれ、未だ呆然とする私にミルドレッドが飛び込んできた。抱き締められた暖かさが、じわりと今起こった出来事を反芻させた。
「あぁ、真っ赤なお顔のシャロン様、とっても素敵です!」
「ミ、ミルドレッド⁉︎ どうして此処にいるのです⁉︎」
「シャロン様が初めて騎士団に行くのが心配で、お邪魔しないようについて来ただけです。それにしても本当におめでとうございます! 小さな頃の夢が叶いましたね!」
「ぁ……」
そうだ。あの時にもミルドレッドはいたのだ。
オーウェン殿下と初めてお会いした日、とても優しく相手をして下さった。あまりに私が懐くので、ミルドレッドに『取らないで!』と言われ、笑いながら去って行った殿下の事が――ずっと好きだった。
「ありがとう、ミルドレッド。今まで心配かけていたわね」
「はい。でも私が思っていたよりずっと早かったですよ? オーウェン殿下に何を仰ったのですか?」
先ほども考えたが、オーウェンが急に態度を変えた理由はわからなかった。ミルドレッドに話した内容を説明すると何かを悟ったらしい。
「シャロン、良いか?」
「は、はいっ!」
天幕が小さく開かれ、オーウェンの顔だけが中に入る。
ほんの少し目が合っただけで、つい今し方のことが思い出されて頬が熱くなる。
「騎士団の掌握は完了した。皆が……祝福してくれた」
オーウェンも部下達には心配されていたそうだ。適齢期になっても結婚しないので、やきもきしていたらしい。王弟を相手に平民はありえない。しかし貴族令嬢を紹介しようにも自ら爵位を拒む程なので、勧めることもできず、令嬢にも不自由を強いる事になれば後々厄介になる。困った団長だと思われていた。
「騎士団の皆様、私を受け入れてくださり感謝申し上げます。ですが……」
「王位に関しても全員ではないが、納得して貰っている。何しろここで仲間が負傷しているからな」
執務室で暴れていた数人を捕縛、尋問を行ったところ、騎士団への襲撃は地図の強奪にあったらしい。侵攻に必要な地図が入手出来なかった事が短絡的な行動に出たようだ。
団員の怪我は大きなものでは無かったが、全力で戦うには不安が残る。私の護衛に名乗りを上げてくれたものもいたが、侯爵家に用意された護衛がいる事から、遠慮を願った。
「オーウェン……様、私は私に出来ることを成してまいります。無事な御姿を見られる事、心から祈っております」
私にはまだミルドレッドのように全身で喜びを表現出来るだけの勇気が無かった。オーウェンの手を両手で取り額に押し付けるので精一杯。それでも空いた手で優しく抱き寄せてくれた。
ふぅ、と溜息が溢れる。馬車の中にいるのはミルドレッドとマリーナだけ。少し気が緩んだのかもしれない。
「シャロン様? お疲れですか?」
「ええ、思ったようにはいかないものね」
「オーウェン殿下を籠絡したのに、大成功ではないのですか?」
兄からの指示が懐柔だったのだから、成果で見れば成功なのだろう。けれど、私はもう少し自分が出来る人間だと見せつけたかった。
「……笑わないで聞いてね。私、オーウェン様を従えるつもりで向かったの。お父様やお兄様のように貴族を従えるグラストル家の令嬢として、人を扱えると本気で思っていたわ。だけど、駄目だった……オーウェン様とお話しするだけで楽しくて、目的を忘れてしまっていたの。貴族としては失格ね……」
「シャロン様! 私が一生服従します! オーウェン殿下に出来ない事は全部私がやります! それに二大侯爵家を従えてるのはシャロン様です! オーウェン殿下はもう要らなくないですか?」
「駄目よ、パークリー卿に応えるためにも、殿下との御子は欲しいもの」
広くもない馬車の中、ミルドレッドは汚れるのも気にせず抱き着き、悔しそうな顔をドレスに埋める。横に座るマリーナは私の手をそっと包んでくれた。
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