5.公爵令嬢と侯爵当主
昼の食事は侯爵夫人と共にしたが、ミルドレッドは淑やかな笑みを浮かべるだけで、一言も喋らなかった。
僅かな時間で食事が終わると早々にサロンに誘われ、夫人を締め出した。
「結局、シャロン様は何が不安だったのですか?」
「そうね……王妃になると言う役目も無くなりましたし、これから何をして良いのか分からなくなりました」
兄からは指示も何もなく、父にも会えていない。誰も責めはしないが自室に居ても不安で、侯爵邸に逃げ込んでしまったようなものだ。
「では、最初の目的通り、オーウェン殿下に会いに参りましょう」
「そんな目的を定めた事実はありません」
甘味のあるお茶を口に含むと、肩の力が緩む。彼女も不満そうな顔は見せるが、怒っているわけでは無い。数年前から続く、いつものことだ。
ミルドレッドの結婚話を聞き流しながら新しいお茶を頼むと、再び来客を告げられた。
「シャロン様、誠に申し訳御座いませんでした」
父よりも年嵩のある方が私を前に深々と頭を下げている。その理由が――
「ルーシー・ケイウッドを王子に近づけた事、私の取り計らいでした。このような結果を引き起こしてしまい、不徳の致すところ、お詫びのしようもございません」
マグナス・パークリー。中立派の中で一つ抜きん出た侯爵家の当主だ。
本人が言うには王家と公爵家の間に溝がある事は知られているが、子供同士でそのような関係を引き継ぐ必要もない。婚約を機会として、親とは違う関係を育てて貰いたい。その助力になるならばと伯爵家の中から気立が良いと評判だったあの女を抜擢し、交友の橋渡しをさせたかった。しかし、何を思ったか公爵令嬢を蔑ろにし、王子を執着させるまでに至った。
「私、そんなに人付き合いが苦手だと思われてるのでしょうか?」
ミルドレッドは答えない。先程の夫人は過保護だと感じていたけれど、今にして思えば『孤立して見えたから心配してる』と読み取れなくもない。
「パークリー閣下、謝罪を受け入れます。もう終わった事です。それから私について心配して下さり、ありがとうございます。皆様にこれ以上心配をお掛けしないよう、精進致しますね」
うまく笑えていただろうか?
社交場で見せる笑顔は自然に振舞えるように身体が憶えているが、このような場で見せる顔は備えていない。
「ごほん! パークリー閣下は謝罪のために私に会いに来られたのでしょうか?」
「いえ、それは――」
「失礼致します。公爵家から使者が来られております。お待ち頂きましょうか?」
扉の外で使用人が声を上げる。
千客万来だ。今の私にそんなに気に掛けてくれる人が居ると思うと、少し胸が温かくなった。
「マリーナ? 使者って、あなたなの?」
「はい、姫様。タイロン様より手紙を預かっております」
パークリー閣下に時間を貰い、マリーナから受け取った紙の束を開く。
手紙には中立派の手引きで緩衝地帯にラテルグ王国から侵攻があったと書かれている。強硬派の本拠地である公爵邸には多数の人間が集まる。身の安全を確保するために、当面はティリマスター家で匿って貰うようにと。
「シャロン様? 何が書いてあったのですか?」
「恐らくはラテルグからの侵攻が報告されたのでしょう。先程、私の元にも届けられました」
「はい。中立派の手引きがあったと記されております」
「申し訳なく思う。パークリーはすぐに王と接触を持とうとしましたが、中立派は自粛するように伝えられました。敵に回っても厄介、味方に居ても不審は拭えないとなれば扱い難いでしょう」
閣下は立派な方だ。どちらの派閥にも付かなかったのは、偏りを無くすためだと言われている。穏健派に付けば富国に、強硬派に付けば強兵へと寄る。隣国との軋轢を避けると言う国策を忠実に護り、バランスを保っていた。だからこその橋渡しだったのだろう。
「シャロン様にお願いがございます」
片膝を立て、まるで王族に仕えるように跪く。
「貴女が貴き御方にならんと企図されておられるなら、侯爵家の全てを以て支援させていただきたく思います」
「……パークリー閣下、過程はどうあれ私は王子殿下に見限られた女です。今更泣きつくような真似など出来ません」
「公爵閣下もそれを望まれるのでは?」
「父は派閥の掌握にかかりきりです。兄はここで匿って貰えと。私には何も期待されてはおりません」
閣下は中立派の生き残りを賭けている。穏健派からは拒絶され、強硬派からは敵視される。このまま侵攻を防いだとしても派閥の勢力は低下、領地を少しでも切り取られればずっと立場が低いままだろう。
私を御輿に担ぎ、中立派を維持する? ありえない。強硬派の令嬢が中立派を守れるはずが無い。そんな発言力を持ちようが無い。けれど――
「然様でしたか。どうやら私は思い違いをしていたようです。お茶会をお楽しみの所、大変失礼致しました」
「お待ち下さい。これからどちらに行かれるのですか」
「シャロン様、私にはルーシーを王子に引き合わせた罪があります。これから騎士団に出頭し身柄を委ねるつもりです」
流石は侯爵閣下、私が隠している事など見抜いていたのだろう。先程の手紙には身の安全以外にも指示が書いてあった。従うかどうかは私が決めて良いとあったが、否と言う選択肢はない。
あぁ、だからだ。ようやく分かった。閣下が護りたいのは中立派などではなかった。
「……わかりました。マグナス・パークリー、一つ誓約を。貴方の孫マリオンを私が産む子に忠誠を誓わせなさい。それが出来るなら、パークリー家は私の庇護下にある事を認めます」
「はっ! 必ずやマリオンを貴女様の御子に従わせます!」
「簡単に決めてしまって良いのですか? 爵位もない騎士の子を産むかもしれませんよ?」
「その時が来ましたら、新しい国を御用意致します」
「父と敵対したく無くて私に降ろうと仰る方の言葉ではありませんね。言葉は二言なきようになさい。それから、騎士団に行く事はなりません」
「宜しいのですか?」
「……必要ありませんから」
私がするべき事は人に頼ることでは無い。けれどやりたいと思った事に挑むことのなんと勇気がいる事だろう。
パークリー卿からは詳細の説明を受け、後の判断は自身に任せた。ただ今後の立場を確保するためにも、決して騎士団や他の派閥と争わせない事を約束させ立ち去らせた。
「あぁ、やっぱりシャロン様は格好良いです!」
大人しく黙っていたミルドレッドが恍惚として顔を蕩けさせ、私の手を取る。
「シャロン様、私も頑張りますので御褒美の御約束を頂きたいです」
「ミルドレッド様が望むものを私が差し上げられるかしら?」
「シャロン様ならきっと」
「わかりました。出来る限り協力します。どのようなものかしら?」
顔を整えたミルドレッドは私に対して跪く。こんな事は初めてだった。
「シャロン・グラストルク様。どうか私にあなたのお兄様、デュラン・グラストルク様と御結婚の許可を。これが私の望みです」
「デュラン兄様と……本気なの?」
「はい。公爵領を統治出来る才能をお持ちながら、どなたとも縁がないと聞いております。是非私をお相手にお選び下さい」
確かにデュラン兄様には決まった相手はいない。ミルドレッドが自身で言っていた理想の相手も、兄なら全て備えている。私自身も推挙するなら兄だろう。けれど、うまく噛み合いすぎている。
「ミルドレッド、あなたいつから仕組んでいたの?」
兄の婚約を解消させたのはミルドレッドの仕業だろう。それだけの力がティリマスター家にはある。グラストルク家を支え、表裏どちらの情報をも集めてくる。見返りに資金援助と保護を約束され、侯爵家にまで成り上がった。古くからの共存関係がそこにはあった。
「デュラン様は最初に会った時から私に興味を持って下さって、今でも手紙や贈り物を下さっているんです。少しは、ほんの少しですが、申し訳なく思いますが、やっぱり結婚するなら好き同士が良いじゃ無いですか。ねぇ姫様?」
先日領地から送られてきた荷物の中に、必ず手渡して欲しいと頼まれた物がある。最後の判断を任せられたのは、私だったのだ。
「これは兄からの返事よ」
見事な装飾が施された箱には、兄の瞳と同じ瑠璃色の宝石が嵌まったネックレスとイヤリングが納められていた。
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