4.公爵令嬢と侯爵夫人
「シャロン・グラストルクを出せ! ここにいるはずだ!」
ロビーに向かう最中、聞き覚えのある声が耳に入って来る。
つい先ほど、その可能性は無いだろうと思い込んだばかりだというのに。
「エドワード王子殿下。御呼びを賜り、御前に」
「……貴様、本当にシャロンか?」
何故私が疑われているのだろう。昨夜と衣装は違えど、その程度で四年も続けていた婚約者を見間違うだろうか。
答えに迷っていると、先に王子が口を開く。
「まぁいい、貴様ルーシーを何処に拐かした。場所を言わねば今度こそ公爵に非を負わすぞ!」
「……殿下、仰られている意味がわかりません。昨夜は殿下がお連れになられたのではないですか?」
「今朝から姿が見えぬ。貴様が拐かしたのだろう‼︎」
ぷっ、と吹いた音が小さく響く。
冷たい目がミルドレッドに向けられるが言葉はない。代わりにキシリと音がした。
「殿下、私は昨夜からあの方にお会いしてはおりません。また、今朝は早くからこちらでお世話になっております。御力になれず申し訳ございません」
「夫人、本当か」
「はい、殿下。シャロン様はミルドレッドと朝食を共にされております」
その答えに満足が得られなかったのか、探るように使用人達を一瞥し、再び夫人に目を向けた。
「騒がせたな、失礼する」
「いいえ、御早く心配事が解決されますよう祈っております」
護衛を引き連れた馬車の音が遠ざかる。誰かが息を吐くと、皆が胸を撫で下ろした。
最後まで頭を下げて見送っていた夫人は、厳しくこの場での事を忘れるように告げ、使用人達は顔を強張らせ各々の仕事に戻って行った。
「さて、シャロン様とミルドレッドにはお話があります。私の部屋までいらっしゃい」
「私もですか?」
「はい、シャロン様。なんですかあの態度は。淑女たるもの、相手の意図を汲み、立てさせなさい。そう教えたはずです。しかも御相手は王子殿下ではありませんか。今日は時間があるのでしょう? 公爵家には夕食までお預かりすると伝えておきます。良いですね?」
「はい、先生……」
夫人の、先生の視線が肩に刺さる。忘れかけていた緊張感が背筋を伸ばさせる。
「シャロン様も災難ですね」
「ミルドレッド、聞いていなかったのですか? あなたもですよ」
「あ、はい、お母様……」
イレーナ・ティリマスター侯爵夫人は私とミルドレッドに淑女教育を指導した教師だ。その恩師には母以上に頭が上がらない。
「ミルドレッド、耳を塞ぎ後ろを向きなさい」
部屋に招き入れられると、厳しい声で指示が飛ぶ。幼くお転婆だった頃に覚えのある、先生が一人ずつ叱る時に行う作法。先に叱られる方は泣くだけで済むが、後の者は反省の色合いが更に強く、二人分を叱られるのだと感じていた。
先生が一歩近づくと身が引き締まる。ミルドレッドの肩が跳ねる。
しかし、幾ら待っても思っていた言葉は飛んで来なかった。
それどころか、優しく抱きしめられた。
「シャロン様、護って差し上げられなくてごめんなさい」
「せ、先生?」
「貴女は強い子です。人前ではもっと頑張ってしまうのは知っていました。それなのに私達の手が届かない所で悪意に晒されて……気丈に振る舞おうとしている貴女を見るのは本当に辛かった。ここに王子殿下が来られた事で未だ見張られている事もわかりました。これからは侯爵邸でも護衛を増やします。公爵邸とは違い、こちらは女性の護衛を多く配置しておりますから、好きなだけ居てくださって構いません」
「あ、あの先……侯爵夫人? 私は別に落ち込んでは――」
「王子殿下にすら違和感を抱かせておいて、それを言いますか?」
王子が不審に思ったのは私の挙動が普段とは違ったから?
「そこまでおかしな態度だったでしょうか?」
「王子殿下がどのように受け取ったのかまでは分かりませんが、声に張りがありませんでした。指先に自信のなさが現れていました。カーテシーの際、いつもより深く頭を垂れていました。他にも――」
「身に覚えがあります! 申し訳ありません!」
「よろしい。御自分の状態をいつでも把握しておく事が大事です。特に人から注意深く見られる御身分なのですから、これからも気をつけるように。今日の所は言葉だけで良いでしょう。御ゆるりとお過ごし下さい、姫様」
はいと答えるだけで精一杯だった。恥ずかしながら、自分では気持ちの切り替えが出来ているつもりだった。
そうすると、今まで一緒にいたミルドレッドには――
「ミルドレッド、なんですか先程の失態は!」
「お母様? ここは叱るふりで褒めるために呼んだのでは?」
「違います。あなたがシャロン様のお力になるのは当然の事です。自分の働きが足りていないのを自覚していないのですか? そもそも――」
「お、お母様! こんな所をシャロン様に見られたくないです! せめて、シャロン様が退席された後に――」
「いいえ、最近のあなたはシャロン様に甘えてばかりいますから、ちょうど良い機会なので躾を見ていただきましょう」
「嘘でしょ⁉︎」
ミルドレッドには申し訳ないけれど、気配りと共に笑みを思い出す、それは懐かしい時間だった。
夫人の躾は昼食の用意が整ったと使用人が扉を叩くまで続けられた。
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