2.公爵令嬢と次期当主
送り届けて下さったオーウェン閣下の馬車を見送り、公爵邸の執務室へと足を向けた。
当主である父フレデリックが在室かは不明だが、不在であっても長兄は居るだろう。
父は長兄のタイロンを溺愛しており、その才能も真であることから主な執務は既に任せている。王都に居座っているのも長兄の仕事ぶりを近くで見たいが為だ。気が早い事に派閥の盟主も長兄に代替わりし、自らは補佐と言う立場に居る。
次兄デュランも十分な才能はあるのだが、残念な事に運が悪い。融和の為に婚約していた伯爵家とは縁を切られ、未だに結婚出来ていない。将来は分領した土地で領主となる予定だが、勉強と称して広大な公爵領その物を管理させられている。本来は次期領主であるタイロンの仕事だった。
「事後報告になるけれど、デュラン兄様には一報入れておいた方が良さそうね」
夜分になってしまったけれど、領地への連絡はしておいた方が良いだろう。次兄は私にとても甘い。王都の流行り物や交友関係を知らせるのは特に大事だ。頂くお返事で私の懐も潤うので疎かには出来ない。
「シャロンです。入っても宜しいでしょうか?」
「あぁ、入りなさい」
ノックに返事があったのは長兄の声だ。いつもと変わらず朗らかだが、四年前に一度だけ他の感情を見せた事がある。今日と言う日に思い出してしまうのは仕方がない。
扉近くに灯されている蝋燭が低くなっている。来るのが遅くなってしまった。
「この度は公爵家に御迷惑をおかけしました事、御詫び申し上げます」
「大丈夫だよ、シャロン。気にする事はない。これで父も動きやすくなるだろう」
公爵邸にはパーティー直後から次々と手紙が届けられていた。その殆どがお詫びであり、ごく一部は自らの子息、子女とは縁を切ったと言うものまであったそうだ。
手紙には様々な言葉で書き綴られていた。王子が告げた冤罪を知りながら擁護もせず、見て見ぬふりをした。浅ましい興味から、まるで共謀したかのように取り囲み、逃げられないような行動を取った。非の無い公爵令嬢に対する扱いでは無かったと謝罪があった。
そして騎士団が現れてから覚えのある者達は顔色を失った事だろう。誰が関与して無法を働いたのか、調べは付いているからだ。
「一晩も経っていませんが……随分と多いですね。無視する貴族もあるかと思っていました」
「実際、パーティーに参加していない貴族からも手紙は来ている。それぞれ身の振り方を決める前に下手に出ているんだよ」
「令嬢一人の影響にしては大きくありませんか?」
「シャロン、君は公爵家にもこの国にとっても大事な令嬢だ。勿論、私にとっては大切な妹だ。その事は誇っても良いよ」
結局、この場では叱られる事もなく、オーウェンとの会話がどのようなものだったか確認するだけで退室を許された。不在の父の事を訊ねると、派閥の慰労を行なっているのだと教えられた。これも私の影響だと思うと、口には出さず謝罪した。
長かった一日が終わり、自室に戻ると部屋付きの侍女が微睡んでいた。いつもなら退出させている時間だ。少しだけ音を立てると気付かないふりをして入室を装った。
「……姫様、お帰りなさいませ」
「あら、マリーナ。まだ居てくれたのね。今日は疲れたわ、髪を梳かして頂戴」
「湯浴みもご用意出来ます。如何致しますか?」
マリーナに身を任せると着替えの合間に湯殿が用意され、いつの間にか身体が湯船にあった。
手慣れた所作で纏めていた髪を解き、優しく梳いてくれる。サラリと落ちていく髪は奏でればハープのような音がするのかしらと子供心に思った事がある。
「……姫様は大変美しゅうございます。金の御髪は澄んで光のようで、ずっと梳いていたく思う程です。お顔も整っていらして、やや上がり目の、瑠璃色の瞳に、映り込む光が、とても……」
「何を泣いてるのよ。そんなに辛い事があったのなら今日はもう良いのよ」
「いいえ、最後まで居ります。大事な姫様を寝かしつけるのが私の仕事ですから」
「そう。まだまだ子供なのね、私は……」
「そんな事はありません。立派な淑女です。ですが私の前だけなら子供で居てくださっても構いませんよ」
「そうね。そう言う気分の時もあるかもしれないわね……」
火照る顔を温かい雫が頬を伝う。長く湯に浸かりすぎたかもしれない。力が入らず、一人では湯船から出る事が出来なかった。
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