上司と部下
「王妃様。一つお願いがございます」
「なあに?珍しいわね?」
少女のように首を傾げて私を見た王妃様に私は勇気を振り絞って話し出した。左手でスカートを握り締めながら。
「私はずっと王妃様の背中を追い教えを請いご指示に従って参りました。それで私……いつしか王妃様を上司のように捉えていたのです」
「仕方がないわ。貴女には厳しい事ばかり言ってきたのだもの」
「でもそれは一つ一つが仰る通りだと思えるもので、反感なんて……全く無かったとは口が裂けても言えませんが、それでも無いに近いくらいだったんです。ですが私にとって雲の上の存在であった両陛下は畏れ多く、幸いにもお仕えする機会を得た部下のような気持ちしか抱くことができずにおりました。でも明日私は神の前で誓いを交わしリードの妻になります。ですからこれからは……お義母様とお呼びしたいのです」
「…………フェディ!聞いた?」
目をまん丸にした王妃様は陛下の肩を激しく揺すり、ぎゅうっと抱き着いてからくるりと私に視線を戻しへにゃりと眉尻を下げた。
「たったの14歳で家族と引き離してしまったでしょう。可哀想な事をしてしまったっていう罪悪感があって、お義母様って呼んでもらうのを躊躇してしまったの。そうしたらすっかり機会を失くしてしまって。嬉しいわ。ありがとうアンネリーゼ」
「いえ、そんな……」
「それなら僕はどうなるのかな?」
いつも厳かに『わたし』と言っていた陛下の一人称がすっかり僕になっている。貴婦人らしく『わたくし』って優雅に言っていた王妃様……いや、お義母様も『私』で、だからわたくしも便乗してちゃっかり私って言ってるんだけどね。
「お義父様……とお呼びしてもよろしいのですか?」
陛下の顔がまた違った風にデレデレと緩む。そして二人は嬉しそうに顔を見合わせてイチャイチャを再開したので、私達は手を繋ぎ黙って部屋を逃げ出した。
「ねぇ、本当にあのドレスを着るつもり?」
並んで廊下を歩きながらリードがじとっとした声で聞いてきた。
「言っておくけど最後に残った瑠璃色と藍色の二択から瑠璃色を勧めたのはお義母様よ?アルブレヒト様の瞳っていうのは全くの冤罪ですからね」
「ふーん……」
リードはまだ何となく不満げだ。
「何が嫌なの?今回はもうどうにもならないから変更はできないけれど、今後は気を付けるからちゃんと教えてくれない?」
「嫌……ではないよ。むしろあれが嫌な男なんてこの世に存在しないと思う……それが嫌だ」
「…………なにそれ?」
眉尻を極限まで下げて首を捻っている私を見てリードは凄く不満そうに目を細めた。
「僕の奥さんを見て……誰かが美しいって見惚れるのはたまらなく嫌だ。あの時エレナに余計な事を吹き込まれて腹を立てたのは言った通りだけど、あんなに美しいリセを誰の目にも晒したくなくて隠してしまいたくなったんだ」
美人の嫁は男のステイタス。そんな自己満足の為に本性を隠し私に近付いて結婚した涼太。私から天職を奪い裏切り傷付けて、挙げ句は刺し殺される原因を作った前世の私の夫。
今目の前でふくれっ面をしたリードが言っているのは、そんな涼太とは真逆の言葉だ。
それでも私はリードが何を言わんとしているのか掴めずに尋ねた。
「…………じゃあどうすりゃ良いの?夜会や晩餐会なんて興味も関心もないけど、王太子妃として頑張りますって宣言した以上すっぽかせないもの。となればそれなりに着飾って出席するのがマナーでしょう?」
「そうなんだけど……ちゃんと納得はしているつもりなんだけど……リセって思ったよりも……」
立ち止まって私を見下ろしたリードだけど何か違和感がある。これ、いつかどこかで感じたような……?
顔は真っ直ぐ私に向けられているのに目線だけが合わなくて、こくりと喉を動かしたリードが見ているのは私の目でも鼻でもない。口でも顎でも喉でもなくて……ってバルコニーに引きずり出された夜のアレ……?!
「ど、どうせエレナ様みたいなグランドキャニオンじゃありませんよーだ!」
「グランドキャニオン?」
「大渓谷の名前!」
『あぁ』と言いながらリードはげんなりした。
「言っとくけど僕はね、鏡の支配下にあったとはいえアレに見とれた事なんて一度もないよ」
「そうなの?」
「あぁ、もちろんだ!リセ、僕は決して巨乳好きではない!」
「……そうなの?!」
リードは胸を張って頷いた。あまりにも堂々としているから何だか崇高な好みについて聞かされているような気にすらなった私は素直に聞いていたんだけど……
「考えたことすらなかった。離れている間にリセがそういう感じに凄まじい成長をするなんて!トラス村の丘で抱き締めた時、やたらと柔らかいなぁとは思ったんだけど」
「…………そういう感じに凄まじい……?」
「普段は清楚な服ばかり着ているだろう?だから気にならなかったんだけど、ドレス姿のリセは神々しいくらい美しくてその上いつも隠していたモノが覗いていて、しかも真っ白でふんわりと柔らかそうで……こんなモノを他の男共にはとても見せられない、そう思った」
「…………こんな……モノを……?」
「それだけじゃない」
リードはいきなり私の腰に腕を回して抱き寄せてきた。どうもね、今朝からやたらとこうなのよ。恥ずかしいし動き辛いし、ホントにやめて欲しいんだけど。
「リセが補正下着無しって言ったのが信じられなかった。ずっと確信が持てなかった」
「??」
補正下着無し……そう言えば押し掛けてきたエレナ様がブチ切れて、そのきっかけの説明でそんなことを言ったような……でもそれ何の関係が?
と考え始めたその時、リードはムギュっと腕に力を込めて隙間が無いくらい密着してきた。
「何度抱き締めてもこの腰の括れにカチコチの補正下着の硬さなんて感じない。まぁ夕べ余すところなく観賞させてもらいなるほどこうなっているからかと感動したんだけどね!」
「……………………」
止まっていた私の思考がぎこぎこと動き出し恥ずかしさと怒りで身体を火照らせている。けれどもリードは嬉しそうに私の頭に頬摺りし、でへへとだらけた笑い声を上げ、でも突然真顔で私の視線をガッチリとロックした。
「リセ、僕は巨乳に興味はない。しかしどうやら僕は……僕は美乳崇拝者だったようだ。僕は神に感謝したよ。あのつるんぺたんですっとんとんだったリセによくぞこれ程の美乳と驚異の括れを与えてくれたと!ドゥオッフ…………」
足元に丸まったリードが転がった。なぜって渾身の力を込めたグーパンチを鳩尾にお見舞いしてやったので。
「ね、私かなり逞しいのよ。よーく覚えておくのね!」
仁王立ちで見下ろす私を涙目で声も出せなくなったリードが見上げていた。




