呪いの正体
「わたくしも呪いという言葉には違和感を覚えたのです。ですがそれが単なる喩えだとしたらどうでしょう?」
呪いと言うからには何か災いがありそうなものだ。けれどもどう考えてもそんな物は思い当たらない。あれは本来の意味での呪いではないのではないか?
「燕も色々です。ある者は特別な知識で家業を盛り立てある者は作家として名を馳せ、またある者は医師としてこの世界では斬新な医療知識を広めました。でもわたくしは違います。生花装飾を生業としていたわたくしにできるのは花をあしらうだけ、変わった特技を持つに過ぎません。それでも兄はわたしの花束が王妃様の目に留まり王家に嫁ぐきっかけとなった、プロイデンに幸運をもたらしたのだと言いました。確かにプロイデンは多くの利益を得ましたわ。プロイデンの蜂蜜は王室御用達に選ばれ事業が拡大した。でもわたしの持つ技術で利益を得たのは王室と縁を持ったプロイデン伯爵家だけです。ファルシア王家は何故そんな役に立ちもしない燕を妃に据える必要があったのでしょうか?」
こちらに視線を戻したジェローデル侯爵は何も言わずにゆっくりと微笑んだ。不自然さを感じさせないようにと慎重になったのだろう。それは余計に不自然で作られたわざとらしいものだった。
「わたしはサヨナキドリだ……自分が燕だと知る以前にわたしは兄にそう言いました。結局あの時のわたしが言った通りだったのです。珍しい小鳥の囀りを聴くために宮殿に留めた皇帝のように、ファルシア王家は異世界から渡ってきた珍しい魂の持ち主を手元に置きたいという願望に取り憑かれてしまった。それが呪いの正体なのではありませんか?」
「…………」
私はおもむろに立ち上がった。どんどん焦りの色が強くなる侯爵と顔を合わせるのが気の毒になってきたからだ。バルコニーのガラスの扉を開けると爽やかな風が吹き込んで来る。髪を梳かれるような心地よさに目を細めながら私は青い空を見上げた。
「ご安心下さい。元より返事は求めておりませんしこれ以上侯爵を追求したりしません。無関係の侯爵をいじめたりしてごめんなさい。それに私の決意に変わりはありませんから」
「妃殿下……」
振り向くと眉尻を下げた侯爵が途方に暮れた顔で私を見上げている。
「まだ中に何かが残っていますが秘密箱はもう決して開かないでしょう。一刻も早く鏡の欠片を溶かしてしまいたいと望まれている殿下には申し訳ありませんが、殿下に何を言われてもその言葉は心をすり抜けて行ってしまうだけです」
だって気が付いてしまったから。殿下がわたしにくれた友情までもが燕を手に入れるための上っ面だけのものだったことに。けれども友情もそして愛情も本物だと信じて隣に立つために必死に努力してきたわたしは、真実を知って絶望したのだ。だからわたしは何かを箱に入れ心を閉ざし何も持たない私になった。そしてもう、私には欠片を溶かす涙は流せない。
「王室が燕を求め続けたことの是非についてはわたしには何とも申し上げられません。それでもわたしは殿下が妃殿下を思うお気持ちに偽りはないと思うのですよ。そうでなければ妃殿下の決断をお知りになってもあんなに取り乱すことなどありますまい。できれば今一度だけ、殿下のお気持ちを信じては頂けないものでしょうか?」
「どうかしら?確かに昨夜の殿下は随分と情熱的にお話しされていましたが、わたくしにはそれさえも燕を繋ぎ止めるための茶番に思えてしまうんですもの。可愛げがないったらないでしょう?」
何だか笑えてきて喉の奥を震わせる私を見る侯爵の瞳はアルブレヒト様と同じ藍色で、でもアルブレヒト様よりもあの白鳥の健気な眼差しを思い起こさせた。
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それからも私は王太子妃の間に引きこもって過ごした。表面上は今まで通りの穏やかな時間が流れていたが、あの夜気付いてしまった胸の擦り傷は癒えることなくヒリヒリと痛み続けている。悟られないように普段通りに振る舞ってはいてもリリアの目は誤魔化せず、心配させているのが心苦しかった。
「ねぇリリア。久し振りに花束を作ろうと思うんだけど、庭師に花材をもらってきてくれないかしら?」
私のせいでずっと王太子妃の間から出られないでいたリリアには気分転換が必要ではないか?と私は思った。心労で顔色が悪くなっているリリアにせめてほんの少しの間でも外の空気を吸ってもらおうとそう頼んだ。
リリアは安心したように優しく笑い『妃殿下のご気分が変わるといけませんから今すぐ行って参りますね』と言って出ていった。そして入れ替わるように書類を抱えた女官が来たので私は執務室で机に向かった。
「ねぇ、リリアはまだ戻らないの?」
そろそろ休憩をとお茶を運んで来たのはリリアではなく別の侍女で、私は首を傾げた。もう大分時間が過ぎている。もし庭師が忙しくて手一杯だとしても後で届けて欲しいと頼んで戻ってくれば良いだけだ。そんなこと、指示されなくてもちゃんと弁えているリリアがまだ戻らないなんてどうしたんだろう。
「そうなんです。お茶の準備にお戻りにならないなんて一度もなかったのに、一体どうなさったのでしょうね?」
ドクン、心臓が大きく跳ねた。
私は窓に駆け寄り庭園を見回したが戻ってくるリリアの姿はない。ふと視線を下に向けるといつもリードとエレナ様が座っている噴水の側のベンチにうっすらと黒い影が立ち込めるのが見えた。その影はムクムクと膨れ上がり大きな靄となったかと思うとぐるぐる渦を巻き始めた。小さなエレナ様に殺されそうになった私の魂が吸い込まれたのと同じ渦。
私は弾かれたように執務室を飛び出した。




