守りたいもの
「ふざけた事を言わないで!そんな事をしたらアルブレヒト様はどうなるの?家族は?領民は?私だけじゃないの、貴方も沢山のものを背負っているのよ」
本当に困った人……。猛烈に呆れたせいだろうか、急に頭が激しく痛みだした。
だけど変だ。呆れたくらいでこんなに酷い頭痛を起こしたりするかな?こめかみに手を当てると今度は耳の奥でキーンという金属音が鳴り続いて目の前がチカチカし始め、よろけた私をアルブレヒト様が抱き止めた。
「リセよりも守りたいものなんか俺にはない!」
辛うじて首を振って拒絶の意思を伝えたが、私が意識を保つのはそれが限界だった。
目を覚ましたのは見慣れた寝室で混乱した私はパチパチと瞬きを繰り返した。あれはおかしな夢だったのか?きっとそうだ……そんな風に結論づけようとしたその時ドアが開き、水差しを持ったリリアが入ってきた。
「気づかれましたか?ご気分はいかがです?」
「何ともないけれど……アルブレヒト様は?」
「はい……ジェローデル侯爵がいらして屋敷に連れ帰られました。当面謹慎させるとのことです」
やっぱりあれは夢じゃなかったのか……。平常心を失くしてしまいそうになった私だったがリリアはすかさず繋ぎ止めるように手を握ってくれた。
「勝手ながら妃殿下は表沙汰にはなさりたくないかと思い、護衛騎士達には適当に言い繕って誤魔化しておいたのですが……」
「その通りよ。リリア、貴女には本当に感謝するわ」
ほっとした私の目尻から涙がつーっと流れ落ちた。
リリアは私に水の入ったグラスを手渡し、それから何があったのかを教えてくれた。
私を抱えたアルブレヒト様はリリアの静止を振り切って外に出ようとしたが、急に蹲り動けなくなってしまった。そこに突如父親のジェローデル侯爵が現れ私を引き離し、アルブレヒト様は白鳥に姿を変えられた、とのことで。
「やだ!それ、ちゃんと元に戻るのかしら?いら草で編んだお帽子でどうにかなる?」
眉毛をハの字にした私の手を優しく擦ってくれているリリアの眉毛もやっぱりハの字だ。
「わたくしもそれが気になって侯爵様にお聞きしたんですが、反抗期だったアルブレヒト様は悪さをしてはしょっちゅう白鳥に変えられていたんだそうです」
あー、アルブレヒト様の事ですからね。ご両親はさぞかし手を焼かれたんだと思うわ。
「当時は反省して謝るまで鳥小屋に入れられていたそうなんですが、今はもう侯爵様の魔力も衰えているから数時間で自然に戻るそうです。妃殿下は丸一日お眠りになっておいででしたのでもうとっくに戻られているでしょう。侯爵様は年の功には抗えない、なーんて仰りながら小脇に抱えた白鳥を手慣れた様子で完璧に保定なさっておいででしたわ」
アルブレヒト様はそのまま連れ帰られたのだそうだ。白鳥なのにありありと顔を赤くしながら。よっぽど見応えがあったのか、リリアは笑いを堪え苦しそうに引き攣っている。
それなら良いんですけどね!
「ごめんねリリア。いくら妹同然に可愛がって下さるからって私があまりにも甘えて頼りすぎてしまったから……」
リリアが機転を効かせてくれなければ今頃笑ってなんかいられなかった。アルブレヒト様は私を拉致しようとした容疑で拘束され絞首刑になるだろう。侯爵家にも重い処分が下るのは間違いない。私は考えているようで結局自分の事しか頭に無かったのだ。そのせいで多くの人を破滅させ、大切な大切な人を悲しませるところだった。
でもその大切な人はきょとんとして真夏の空のような青い瞳が転げ落ちてしまいそうなくらいに目を丸くしている。
「どうしてわたくしに謝罪をなさるんですか?」
「だってリリア、アルブレヒト様が好きなんでしょう?」
リリアはヒッと喉の奥を鳴らして口をハグハグさせた。
「やだ、気が付かないはずないじゃない。私随分前から知っていたわよ?」
私が王太子妃になった時リリアは一番年下の新人侍女だった。半年ほどして筆頭侍女を勤めてくれた年長の令嬢がお嫁に行き、それからは心太的に新人が入ると誰かが結婚退職という流れを繰り返すようになり、今でも残る初期メンバーはリリアだけ。リリアはとても魅力的な美しい顔立ちで気立ても花丸。ご実家の家格だって我がプロイデン伯爵家よりもずっと上。しかも王太子妃の筆頭侍女を勤めたとあれば引く手あまたで毎週のようにご両親が釣書を携えて面会にいらっしゃるのに『妃殿下のご婚儀まではお勤めを辞めない』の一点張りで。
私はずっとそれを『だろうなぁ』って思いながら眺めていたのだ。だってアルブレヒト様の前でのリリアは、恋する乙女以外の何者でもなかったから。
「……い、い、何時からです?」
「うーん、結論を言えばアルブレヒト様が初めて講義をしに来た日?珍しくリリアが上の空でおっかしいなぁって思ったんだけど、その内にピンと来たのよ。あー、アルブレヒト様なんだなってね。それに講義がある日は普段と違う香水を付けているでしょう?」
しかもですよ、リリアさんたら頂き物の香水をつけてみたんだけどあんまり好きな香りじゃないなんて言って眉尻を下げていたのに、アルブレヒト様に『良い香りだね』って言われて以来講義のある日はいつもその香水を付けているんだもの。
「ってことで結論から言うとほぼ四年前からよ」
リリアは『うーっ!』と唸って涙目になった。
「もしかしたら妃殿下、婚儀が終わったら一緒にロンダール城にって仰ったのも」
「だってあなた、ご両親が持ってくる縁談を『婚儀までは』って断っているじゃない。ロンダール城に行けば猶予期間が延びるかなって。アルブレヒト様って何なのかしらね?すぐ側にこんなに素敵な女性が居るのに何してるんだろう?」
『バカなの……?』とぶつぶつ言っている私をリリアは残念な生き物を見るような顔で見つめた。明言は避けたけれどもう白状したも同然。だからって協力を頼まれてもいないのに首を突っ込むつもりもないので、お風呂の用意をお願いねって口実で釈放しリリアはそそくさとバスルームに入って行った。
リリアの為なら一肌脱いで下さいって頼まれたら張り切っちゃうわよ?でもどうやらそっとしておいて欲しいようだし『好きならぶち当たれ!』みたいな無責任なことは言いたくない。
だってリリアの気持ちはリリアだけのものだから。




