アンネリーゼの夢
その夜、私は夢を見た。
視点は私自身だ。だが私が自分の意志で何かをしたのではない。まるで再現ドラマのキャストになったような感じだった。
私は小さかった。いや、小さいと言ってもおやゆび大とかじゃなくてそこにいた私は幼児だったのだ。そして幼児の私を取り巻く周りの人々は幼児から見たごく普通の大人としての大きさだった。それに部屋も家具も何もかもが私の常識と一致していた。
その場所は死ぬ前の私に既視感が有るものではないが、夢の中の私は何の違和感も抱かずにその西洋風の豪華な屋敷で暮らしている。私はその屋敷の主を父に持つお嬢様だ。手を引いたり抱き上げたりしているのは母親ではなく乳母だ。母親は、いや、母だけではなく父も多忙で顔を見ぬ日も度々なのだから。けれどもその時両親は家にいた。そして家には居たものの招待された夜会の準備をしているからと私は子ども部屋に閉じ込められていた。
私は幼いながらに自分が恵まれていることを自覚していた。そして恵まれながらも満たされていないことも判っていた。私は淋しかったのだ。何故なら両親に愛されていないのを知っていたから。
両親が出掛ける時間になると私は乳母に手を引かれて玄関に見送りに行った。イブニングドレス姿の女神さまのように美しい母は、まるでルーティーンをこなすように私に近より身を屈めてほっぺにキスをした。
「良い子になさいね」
優しい、けれども酷く無機質な声でそう言った母は父と目を合わせるとにこりともせずに腕に手を絡めて出て行った。つまり両親の間にも家族としての情はあっても男女の愛はない。小さな私にもありありと感じるほどに。
「リセ、おいで。にいさまが本を読んでやろう!」
一緒に見送っていたのは五つ上の兄だ。翠の瞳に金色の髪という同じ色彩を持つ兄だけれど、私とは違って癖のない直毛が動く度にさらさらと揺れる。数年後にはとてつもないクール系のイケメンになるのが確実、という美しい男の子である。私たちは仲良しだ。一人で淋しさを抱いていたであろう兄は私の誕生を誰よりも喜んだ。そして私を愛玩動物のように可愛がり私はそんな兄に懐いていたのだ。私達は身体を寄せ合い温め合う子猫みたいだった。
「にいさま、サヨナキドリのお話を読んで」
「リセはこの本ばかりだね。そんなに好きなのかい?」
私はコクリと頷いた。王様に請われてお城に来たサヨナキドリのお話。けれども私はその結末を知らない。サヨナキドリの美しい声を愛でていた王様は、贈り物の機械仕掛けの小鳥に夢中になりサヨナキドリを蔑ろにする。傷付いたサヨナキドリが可哀想で、自分でせがんで読んでもらうくせに堪えられずに大泣きしてしまうのだ。大丈夫、サヨナキドリは戻ってくるよとどんなに宥められても続きを知るのが怖くて、私は強引に絵本を閉じる。
それなのに私は取り憑かれたようにサヨナキドリの本に夢中になっていて、兄を辟易とさせている。何度も読まされる兄は、いや、兄だけじゃなくて聞いている私もすっかり文章を暗記してしまったが、やはりこの夜も私が強請るのはサヨナキドリのお話だった。
「チャイチという帝国では皆さんご存知でしょうが皇帝はチャイチ人です。それからお側に仕える人々も……」
文章を読み上げる兄の声を聞きながら、私はサヨナキドリの美しい鳴き声に思いを馳せていた。
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「……え?」
ドールハウスのベッドで目を覚ました私は首を傾けた。
何だか、やけにリアリティのある夢だった。ということはもしかしたらこの身体の元々の中の人の幼い頃の記憶を垣間見た、という事なのだろうか?
でも……それにしちゃやけに殺伐とした世界じゃない?だって、この一致率から考えてどうやら私はおやゆび姫に転生したらしいのに、この子の生育環境はほのぼのした呑気な春の国じゃなさそうだ。
「という訳で、もしかしたら私はリセと呼ばれていたのかも知れません」
「リセちゃん……うん、あなたにぴったりね。私もそう呼ぶわ。それにね、あなたって何だか貴族的な雰囲気があるのよ。そういう物って生まれながらに備わっているっていうか滲み出てくるようなところがあって、だからその夢、本当にあなたの記憶かも知れないわね。また何かヒントになる夢が見られたら良いのだけれど。これからどうしていくか考える判断材料になるものね」
デボラさんは庭でつんできたバラの花びらにパンやハムや果物をできるだけ小さく切ったものを並べながらそう言った。早朝からどこかにあったはずだけれどどこだったか全然思い出せないピンセットを探してくれたデボラさんは、見つけ出した達成感でご機嫌だ。昨日の落ち込んだ感じもちょっとセクシーで素敵だったが、このキャピッとしたデボラさんも凄く可愛らしいと思う。
でも、そう都合よく行くものだろうか?そもそも本当に初めの中の人の記憶だという証拠なんてどこにもないのだし……なんて考えていた私だが、事は想像を遥かに超えてトントン拍子に運び始めたのだった。