結婚
ホテルの生花装飾部で働く私はある日突然出入り業者の男性社員に食事に誘われた。優しげで真面目そうな人だけれどだから何?どうも向こうは私を知っていたらしいが、ほぼ一日中バックヤードに籠って仕事をしているこっちにしてみれば面識のない人でナンパされたのと変わらない。バシッとお断りしたのに彼はなかなか諦めの悪い人だった。
紆余曲折あって結局食事に行くことになった私たち。それは一度では終わらずにいつしか食事はデートになり彼は恋人になった。私を大切にしてくれる彼は結婚を望み、この人となら幸せになれるはず、そう信じて私はプロポーズを受け入れた。
彼が小さい頃に離婚し女手一つで育て上げた義母と妙に仲良しなのは気になったけれど、同居を求められた訳でもないし今までのご苦労を思えば仕方ないのだろうと自分に言い聞かせた。今にして思えばこれだから私はつけこまれちゃうんだね。優しい自分でいなければダメって自分の気持ちを抑えて蓋をしちゃうところ。
結婚して半年が過ぎた頃、仕事が休みで家に居た私を義母が訪ねてきた。
「早いわね、もう半年過ぎたなんて」
義母の言葉に私は何の気なしに相槌を打った。まさかそれが義母に口実を与えてしまうなんて思いもしないで。
義母は穏やかな笑顔だった。だけど私は笑顔の中の不自然な視線の冷たさが気味悪くて、背筋がゾワゾワするような嫌な感じを覚えた。
「沙織さん、また生理が来たんですってね」
「……は?」
今度は身体中を虫酸か走り全身に鳥肌が立った。そうやってひきつっている私を見ても義母は当然だと言わんばかりに悪びれる様子なんて何処にもない。
「涼太さんに……聞いたんですか?」
「そうよ。今回はちょっと遅れたじゃない?だからワクワクしていたのに結局始まったって電話が来てもうがっかりしちゃったわ」
涼太が……自分からそんな連絡をしていた?
「やっぱりねぇ、沙織さんのお仕事が良くないんだと思うのよ。女性に冷えって良くないの、それなのに真冬でも暖房を入れない職場だなんて。しかもこうやって涼ちゃんとお休みがズレちゃうんじゃあねぇ」
私の職場が土日祝日こそが忙しいのは涼太も承知の事だ。涼太だって仕事柄土日出勤になることも多く、私たちはそんなスケジュールを擦り合わせてお付き合いしていたんだもの。普通の夫婦みたいに週末は一緒にいられるのが当たり前とはいかないけれど、それが障害になったことなんかないのに。
「ほら、今は苦労している人も多いじゃない?」
「苦労?」
「不妊治療よ。そのうちにできるだろうなんて呑気に構えていると今に痛い目をみるわよ」
「でも、まだ結婚して半年ですし……」
それに私は二十代半ばでまだ焦る必要もないと思うし、まだ二人の間には赤ちゃんが欲しいって話も出ていないのに。
「生活に困る訳じゃないんだもの、そろそろお勤めは止めて主婦に専念した方が良いわ」
「待って下さい。涼太さんは仕事を続けることを応援するって言ってくれたんです。それに私は帝邦ホテルの正社員なので産休だって認められています。育児休暇を消化してから職場復帰ができるんです。それなのに今退職なんかしてしまったら」「沙織さん?」
義母は鋭い口調で私の名前を口にして話を強引に遮った。
「じゃあ貴女、自分のやりがいの為に涼ちゃんの赤ちゃんを保育所に預けて働く気?沙織さんには母性本能の欠片もないの?」
そんなこと、今責められたって……
「私はね、涼ちゃんと生きていく為に仕方なく働かなきゃならなかったの。だから涼ちゃんを保育所に預けたけれどいつも後ろ髪を引かれるような思いだったわ。でも涼ちゃんの赤ちゃんには涼ちゃんっていうステキなパパがいるの。それなら沙織さんが全身全霊で赤ちゃんを育てるのが当然じゃない。それを趣味みたいな仕事を続けたいからって人任せにするなんて、呆れてものが言えないわ。とにかくもう仕事は辞めなさい。それでも妊娠しないのなら早く調べてもらった方がいいわよ」
趣味……みたいな、仕事……?
義母はまた笑顔を浮かべた。私を諌めたという達成感に溢れた晴れ晴れした笑いだ。私の意思も尊厳もアイデンティティも無視し、私には私という人間ではなく涼太の妻としての価値しかないと身に沁みて解らせてやったのだという笑顔だ。
結局反論することを諦めうやむやな態度のまま義母を見送った私は帰宅した涼太に義母の横暴を訴え、そして私の生理を義母に報告していたことを詰った。
「ほら、おふくろはずっと俺と二人っきりで淋しかったからさ、孫が楽しみなんだよ。できたかできたかって気にしてばっかりいるから、だったらまだだって解りやすいのがそれだろ?」
「あり得ない、そんなこと教えるなんて!」
でも涼太にはどうして責められるのか理解できないようで『わかった
』と言ったもののムッとしてゲームを始めた。
「仕事は続けて良いっていったよね?やっとメインテーブルのアレンジメントをやらせてもらえるようになったのに、必死で努力してここまできたんだよ!私絶対に辞めないから!涼太がお義母さんを言い聞かせてよね?」
「無理だよ。わかっただろ?おふくろは言い出したら聞かないんだから」
「……なにそれ?……仕事を辞めろってこと?」
涼太は画面から視線を反らすこともなく面倒臭そうにしている。
「そうすりゃおふくろも黙るじゃん。そもそも沙織が半年経っても妊娠しないのが悪いんだろ?」
私は耳を疑った。




