切り拓く
封印した記憶の中に特に厳重に封じ込めた何かがあるというのは魔法使いも感じていたそうだ。そのせいで火花を散らすとは思いもしなかったんだろうけど。
けれど兄さまが何よりも心配していた記憶が戻ったわたしが受ける慟哭は、このトホホな現状に吹き飛ばされてしまったみたいで私は凄く冷静だった。
とにかくほんの一部だけどうにもできない何かはあるが、どうにか元の……というかアンネリーゼのいた世界へ召喚はできるらしい。
「だが記憶の欠けを補うために魔法陣の効果を最大にしなければならない。それには満月の光が必要だ」
「満月の夜ってことね。具体的にはいつになるの?」
「七日後だ」
七日か……七日あればどうにか…………
「アンネリーゼちゃん、君は何か企んではいまいか?」
「…………??」
「その左手の指だよ!」
言われてみれば、確かに私の左手の人差し指は毛先を巻き付けながらくるんくるんと回されている。
「悪巧みしている時はいつもそうやって考え込んでいるから兄さまには直ぐにわかったぞ。まぁ主にアルブレヒトへの仕返しだったから放っておいたんだが……」
「……嫌ですわ御兄様。オホホホホ……」
何という観察力!流石はどシスコン、ちょっとぞそっとしちゃうわね。
「私ね、無気力だったのよ」
「無気力?」
「うーんとね、リセじゃなくて魂の方。立ち向かう気力なんてなくなっちゃって、生まれ変われるとしたら幸せになりたいなぁって思いながら死んだの」
馬乗りになった不倫相手に何度もナイフを突き立てられながら、来世があるならそうでもなきゃたまったもんじゃないとは思ったけど……
生まれ変わったら自動的に幸せな人生が待っている、そんな期待をしたのがそもそもの間違いだったのかも知れない。
私はチャンスを与えられたんじゃないだろうか?今度こそ立ち向かって人生を切り拓くために。
「私は、わたしは……今度こそ切り拓きたい……」
「切り拓く?」
おうむ返しの兄さまに私は笑い掛けた。
「そうよ……相手をギャフンと言わせられる自分になって、新しく切り拓いた未来で幸せになる。この手で掴んだ新しい未来でね。だけど……どうやらさっさと離婚すれば良いなんて、そんなに簡単なことじゃいわね……」
私はトントンとこめかみを叩きながら考えた。
わたしは今やそこそこ役立つ王太子妃になっていたし、王室のイメージアップにも相当貢献していた。なんたってたった14歳だった女の子が王太子妃として健気に頑張る姿が多くの国民の支持を得ていたんだもの。そんなわたしを廃妃にするとなったら王室に向けられる反感たるや大変なものになるのは間違いない。一人残した幼い王太子妃が孤軍奮闘していたというのにその間王太子は外国の王女とよろしくやっていて、おまけに堂々と連れ帰って王太子妃を追い出し即再婚なんてことになったら……
少なくとも国民から敬愛される王室だとは言い難いでしょうね。
だから今すぐわたしをどうこうするのは無理で迫っている婚儀も回避は出来ないし、逆に私がストレートに離婚を要求してもねじ伏せられてしまう。思い余った兄さまが強引に動けば王家は伯爵家にペナルティを課して物言う力を奪うだろう。
けれど、そんなことは絶対にさせたりしない!
「私ね、あの本を読もうと思った訳を思い出したのよ。あれは、懐かしかったからだけじゃない。丁度私、生まれてくる兄さまとお義姉様の赤ちゃんに読み聞かせる本を探していたの。ほら、兄さまがいつもわたしにサヨナキドリの絵本を読んでくれたみたいに。それで、おやゆび姫はどんなお話だったかしらってすごく気になってしまって……」
「…………」
「まだ初めましての挨拶もしていないけれど大好きな大好きな兄さまの赤ちゃんですもの、私にとっても大切な家族よ。その子が得られる筈の物が私のせいで奪われるなんて私には耐えられない。だがらお願い。兄さまは王室に逆らわずに私を信じて見守って」
「だが……リセはどうするつもりなんだ?」
兄さまは心痛で青ざめたそれはもう憂わしげな顔で私を見つめている。
あのですね……この超絶美形が憂わしげな顔で、ですよ?
「兄さまって、本当に顔が良い……」
「リセ…………さてはお前何にも考えてないだろうっ?!」
「怒った顔も綺麗とか、最早芸術品ですわね!」
「アンネリーゼ・プロイデンっっ!!」
「残念!それは旧姓!!」
滅多に見られない目を血走らせて激怒している様子がおかしくて笑い転げている私を兄さまは呆れ返って見ている。それでも私はひいひい言いながら笑い、笑いすぎて涙をボロボロ流して笑っているのに鼻までぐずぐずになって、何度も何度も鼻をかんでからやっと落ち着いた。
「なにが信じて見守れだ!何処に信じる要素なんかある?皆無だぞ?」
「いいじゃない?何だか私、頼もしいでしょう?」
「……あぁ、そうだな。それにリセがまた笑ってくれた。リセは……もう何年も心の底から笑うことなんて無かったから。俺やアルブレヒトの前でならお茶目であんなに屈託なく良く笑う子だったのに。リセは内向的だなんて思われていだけれど、本当はただの内弁慶だからなぁ」
うるっとくる話しかと思いきや、最後が内弁慶だなんて酷いなぁ。むくれた私は意図的に秘密箱を思い浮かべ強引に蓋を引いた。
パリーン!!と大きな音を立てて鏡が割れ、腕組みをして頷いている私を見つめる兄さまはかなりのドン引きだ。
「……これ、使えるわね」
「アンネリーゼちゃん、やはり君が何か恐ろしいことを企んでいるように兄さまには見えるんたが……」
「あぁ、でも大丈夫よ。使うのは戻ってからじゃないから」
「何に?」
兄さまに指摘した通り左手の指には金色の髪が巻き付いていて、兄さまはそれを不安そうに凝視している。
「このまま残して行くのは心残りな人がいるの。きっと今その人もがんじがらめになってどうしたら良いかわからなくて苦しんでいる。だから自由になるきっかけを作ってあげたいの。で、これが使えそうだなって。おやゆび姫時代の思い出作りって感じ?」
「それにしちゃ物騒だがな?ちゃんと手加減しろよ?リセは情け容赦がないんだから。アルブレヒトへの仕返しなんか、コテンパンだったじゃないか!」
「あれは初めに仕掛けた方が悪いんだってば!」
横目でじろりと見ている兄さまはどっちもどっちと思っているんだろう。でもあれは絶対にアルブレヒト様が悪いのよ!
「わかったわかった。だけど節度ってものを忘れるなよ?」
心配そうに覗き込んできた兄さまの顔が透き通っている。それはキラキラ輝く粒子のようになって一つ、また一つと消えていった。私の夢の終わりが近付いているようだ。
「リセ……」
最後に私の名を呼んで兄さまは消えた。