夜会のドレス
リードが帰国してひと月が過ぎ、今夜は帰国を祝う夜会が開かれる。
わたしはこれまでも晩餐会には出席していたが夜会に出るのは初めてのことだ。14歳で王太子妃になり直ぐにリードと離れ離れになったからで、初めての夜会でエスコートするのはリードであるべきだという理由だった。
いつもは王妃様と相談しながらどんなドレスにしようかと決めていたけれどそろそろ一人で決めてはどうかと提案され、わたしは初めて王妃様の手を借りずに仕立てたドレスを身に纏った。もちろんデザイナーやリリア達とは沢山話し合ったし要所要所で王妃様にも見て頂き問題無しと確認は取ったけれども。『少し大人っぽいデザインになさっては?』という助言を受けて決めたオフショルダーのドレスは普段は選ばない深い瑠璃色だ。
普段は淡い色の口紅を塗るくらいだけれど、初めての夜会とあって今夜はリリア達が気合いを込めてメイクを施し髪を優雅に結い上げてくれた。
「天使のような妃殿下が誇らしくてなりませんでしたが、今夜の美しさはまるで女神様のようですわ!」
仕上げにアクセサリーを付け一歩下がったリリアが目を潤ませて言うと他の侍女たちもうっとりと眺めながら頷いてくれている。本当にこんな大人びたドレスを着こなせているかしらと不安だったけれど、鏡に映る自分の姿に思わずにこりと微笑んだ。きっと大丈夫、リリア達のおかげで思っていたよりも似合っているみたいだ。
しばらくするとリードの到着が知らされわたしはドレスの裾を持ち上げて礼を取る。開かれたドアから入ってきたリードの足音がすぐ側でピタリと止まりわたしは顔を上げた。
けれどもリードは燃え上がるような怒りを瞳に湛え、何も言わずに憮然としてわたしを見下ろしていた。
「アンネリーゼは体調が悪いようだ。今夜は夜会には出ずゆっくり休むように」
長い長い沈黙の末、リードは低く怒りを込めた声でそう命じ足早に出ていく。目を見開いたわたしは声を上げることもできずに唇を震わせて呆然と見送っていたが、ふらりと崩れるようにしゃがみ込むと掛けよったリリアの手を握った。
「お気遣いに感謝しますとお伝えして頂戴ね。私は……もう休みたいわ……」
リリアは顔を歪めたが一礼をするとリードを追いかけて行った。残った侍女達に支えられソファに腰を降ろしたわたしはぼんやりと鏡の中の自分を見た。何が気に障ったの?初めての夜会だからと侍女達は一生懸命努めてくれた。自分でも似合っているんじゃないかしらと思っていたのに……。
「お加減がお悪いのですってねぇ!」
甲高い声を聞いただけで吐き気がするほどうんざりする。どうしてこの女は許可もなくやってくるのか?わたしはこの時ばかりは愛想笑いすらなく無言で冷たい視線を向けた。
ワインのような深い赤のドレスを着たエレナ王女は鮮やかに色づいた唇をにいっと引き上げて笑っている。いや、可愛くて可哀想な自分を嘲笑っているのだとわたしは思った。
「貴女の代わりは私がお務めしますから、どうぞゆっくりとお休みになってね」
「エレナ様が?」
「えぇ、ジークに懇願されてしまったの。だからジークのことは心配なさらなくてもよろしくてよ。それではいって参ります」
エレナ王女は仰々しく膝を折ると侮るように笑い、軽やかな足取りで去っていく。わたしは一刻も早く視界から消してしまいたいと顔を背け目を閉じた。
想いを込めた初めてのイブニングドレスは、握りしめた左手の中でくしゃりと皺を作っていた。
この夜からわたしは眠れなくなった。
そればかりではなく食欲もなくなり無理に口に入れても戻してしまい水を飲むのもままならない。診察した医師は特にどこが悪いと言うわけではなく蓄積した疲れが一気に出てしまったのだろうと診断した。
「挙式までまだしばらくございます。思いきって一週間ほど静養なされたらいかがでしょうか?」
この時期に医師の提案は無謀に思えたらしいが現にわたしの身体はみるみる力を奪われてしまっている。結局リードが強く主張しわたしはその日のうちに保養地のロンダール城に送られることになった。
馬車まで歩くこともできないほど力を失くしたわたしにリードが歩み寄って来たけれど、わたしは拒否するように騎士を呼んで腕を伸ばした。そして自分ではどうしようもないくらい重くて堪らなかった身体を軽々と抱き上げられ馬車に乗せられた。
「リセ……」
最後に呼び掛けたリードの声は聞こえないふりをした。答えることなく毛布にくるまって身体を縮めたわたしを乗せて馬車は走り始める。
13歳のあの夜以来涙を堪え続け、今初めて泣きじゃくるわたしを乗せて。