2、兄達と姉
急いだ割には上出来だ、とラウジに言われた毒袋を持ち、カナンがマッドビーの巣がある木の下へ向かう。
依頼を出した川沿いの村からもよく見える、一本だけ突出した大きさの巨木だ。
幹は太く真っ直ぐに天へ伸び、枝葉は空を覆い隠すように広がっている。
村ではこの木を御神木として大切にしてきたのだがーー。
(……魔物には関係ないものね)
広場として切り開かれた場所にたどり着き、カナンが中央で焼かれているマッドビーの巣を見て、少しだけ眉を寄せる。
マッドビーの生態は普通のスズメバチとたいして変わらないが、大きさが大きさだけに鶏だけでなく、ヤギや羊などの家畜、人間の子供なども餌として襲うことがある。
村では10年程前に4人の子供が犠牲になったことがあり、そのため何としても早く駆除しなければと必死に費用を捻出し、依頼を出したとのことだった。
「みんなー!」
村人達とそれぞれ後始末をしている仲間を見つけ、カナンが手を降る。
「おー!」
「カナーン! お帰り~」
「カナン!」
村長と話をしていたジークが、笑顔を浮かべて手を振り返す。
ミーナも同じように笑顔で手を振る。そのミーナの前には大きな怪我をした者はいないようなのに、なぜか治療待ちと称して村の青年達が順番に並んでいた。
そして。
風の魔法使いである青年ーーレンドルが、心配を隠さない様子で駆け寄って来る姿が見えた。
「怪我は?」
開口一番の問いかけは、いつもと同じ。
なので、カナンはこれまた同じように、いつもの答えを返した。
「この通り大丈夫よ!」
そう言ってレンドルの前でくるりとターンを決める。
体どころか服すら傷付いていないのだと見せてみたのだが、レンドルの眉間には疑わしそうな皺が寄ったままだった。
「おいおい、レンドル。この俺がわざわざ付いて行ってるんだぞ」
心配性にもほどがある、とカナンの後ろを歩いてきたラウジが、呆れて溜め息をこぼす。
ガリガリと頭を掻きながら言われ、レンドルは少しだけムッとして口を尖らせた。
「ラウジの腕は知ってる。でもカナンはまだーー」
「まだ、じゃねえよ。もう見習いでも新米でもねえ。お前と同じDランクだ」
「……っ! そ、それはそうだけど……!」
ラウジの指摘にレンドルが言葉を詰まらせる。
正しく言うならば、Dランクに昇格したばかりのカナンと、Cランク昇格目前のレンドルでは、冒険者としての実力ーー評価は同じではない。
けれど。
「………っ…」
同じDランクであるのは事実でありーーレンドルは出かかった言葉を再び喉の奥で詰まらせた。
違うとは言えない。
まだまだ後ろにいろと、前に出るなとは言えない。
カナンが毎日頑張っているのを知っているから。
ゆっくりと確実に腕をあげているのも知っているから。
だけど。
「……しょうがないだろ……」
心配なんだから。
声には出さなかった言葉。
けれど、カナンにもラウジにも、その気持ちは十分伝わっていた。
しょぼん、としてうつむいた姿が、耳と尾を下げた犬のようだ。
ちなみにその姿を茶色の中型犬だと言ったのはミーナである。
小型犬ほど愛らしいわけではなく、大型犬ほど勇ましいわけでもない。
程よく中型犬。
その例えにレンドル以外誰も異を唱えなかったのだから、定着してしまっても仕方がない。
そんなしょんぼり犬レンドルに、カナンは少し困ったように、それでいて嬉しそうに、柔らかく苦笑した。
彼が心配性なのは優しいから。
自分よりも2つ年上で、『大家族』の中で一番年が近く、一番一緒に過ごしてきた青年だ。
皆から生活のいろはを教えてもらったり、読み書きを習ったり、いたずらをして怒られたり、野山を駆け回ったり、町で迷子になったり……思い出の中には、いつもレンドルの姿がある。
もしこれが逆の立場だったら、きっと自分も同じように心配をし、ラウジやジーク達に心配しすぎだと小言を言われることだろう。
だからレンドルの気持ちは解る。
けれどーー。
もう少し認めてくれても……と思う気持ちがあるのも事実だった。
「なんだ、なんだ。またやってるのか?」
不意にかけられた声に、カナンとレンドルがはっとしてそちらへ顔を向けると、黒髪黒瞳の青年がやれやれといった顔をして歩いて来るところだった。
「兄さん!」
「ジークさん!」
「おう」
軽く笑いながら、ジークがカナンの頭をポンポンと叩き、続いてレンドルの肩を一度軽く叩く。
冒険者のランクが新米のEではなくなった頃から、ジークはレンドルの頭ではなく肩を叩くようになった。
レンドルとしてはその接し方の違いが嬉しくて、より一層ジークを尊敬するようになったのだが、カナンは別らしい。
ランクが上がっても接し方が変わったりする様子はない。
今まで通りで、何も変わらない。『妹』はずっと『妹』らしい。
(何て言うか、まぁ……変わんなゃいけないのは俺なんだよな)
心の中でそう呟いて、レンドルは皆に気付かれない程度に拳を握った。
「ねえ兄さん。アッシュとユーヤは?」
辺りを見回していたカナンが、姿の見えない仲間の名前を口に出す。
二人とも筋骨隆々で斧を主力武器とするCランク冒険者だ。
心配するというよりは確認するための問いかけに、ジークは笑みを返した。
「さっき森の中でビッグボアを見かけてな。晩飯だーって、二人で追いかけてった」
「あー」
大の肉好きである二人組だ。
巨漢だが決して鈍重ではないし、いつものように見事な連携プレーで倒したビッグボアを肩に担いで、満面の笑みを浮かべて帰ってくるのが目に浮かんだ。
「あと、今日はこの村で一泊していくからな」
「え?」
何で?
その言葉が如実に顔に出ていたのだろう。
ジークは目を瞬いたカナンの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「村長がな、相場より安い報酬で請け負ってくれたお礼を、是非ともさせてくれって」
「そうなんだ。ーーあ、だからアッシュ達、張り切って狩りに行ったの?」
村の人達と楽しく宴をするのなら、ビッグボアはいいご馳走になる。
そう思ったのだが、見上げた兄は、まさか、と笑いながら肩を軽く上げた。
「あいつらは単純に食い気だけだろ。一泊するって決めたのは今さっきだしな」
「村長さんと話してた時?」
「そ。ーーん? 何かミーナが呼んでるぞ」
「え?」
視線をそちらに向けると、確かにミーナが手招きしていた。
「カナーン、片付け手伝ってー。レンドルー、火元から離れっぱなしは駄目でしょー!」
マッドビーの巣を焼いていたのはレンドルだ。村の青年達も傍にいるので火事になるようなことはないが、持ち場を離れたままというのはさすがに悪い。
「ごめん! 今行く!」
「じゃあね、兄さん!」
「おう」
焦って戻るレンドルと、毒袋を持ったまま手を振るカナンに、ジークは苦笑せずにはいられなかった。
「…………で、どうだったんだ?」
走って行った二人とある程度距離が開いたところで、ジークが視線を二人にーー否、カナンに向けたままラウジに問いを向ける。
先程とは打って変わった声のトーンに動じることなく、ラウジは一度短く息を吐き出してから口を開いた。
「……動いてるものを見る能力が高い。度胸も悪くねぇ。仕留めたのは一匹だが、見事に真っ二つだ」
「………そう、か」
眉間に皺を寄せ、瞑目したジークは深くため息をこぼした。
冒険者の世界はシビアだ。
老いはともかく、怪我を切っ掛けに戦えなくなる者や、目が出ないまま引退していく者も少なくない。
経験や鍛練だけではどうにもならない素質。
それがなければ冒険者をやり続けていくことはできない。
だから、出来ればカナンには別の道を歩んで欲しいと思っているジークとしては、先程のラウジの言葉に溜め息をこぼさずにはいられなかったのだ。
例えカナンが冒険者をやめても自分達の関係は何も変わらない。依頼を受け、一緒に行くことはなくなるとしても、いつものように拠点で生活するのも変わらない。
皆の『父』を自負するあの人を中心に、拠点は正しく自分達の『家』なのだから。
だから、何の心配もなく冒険者をやめてくれれば……と、普通の娘として暮らしてくれれば……と、今更ながらのことを何度も、何度も繰り返し思うのだが……。
ジークが後悔のような、苦いものを飲み下したようなーーそれでいてどこか嬉しそうでもある何とも複雑な表情を浮かべる。
そんな彼を見て、ラウジは、けっ、と一言吐き捨てた。
「気色悪ぃ薄ら笑いはやめろ」
「は?」
「あいつの成長っぷりが、嬉しいんだろ? 複雑怪奇な顔しやがって」
「………」
図星を突かれ、ジークの眉間の皺が深くなる。
ますます複雑さを増したジークに、ラウジは呆れたように目を細めた。
「諦めさせてぇなら、ご丁寧に教えてんじゃねえよ」
「う……。いや、まあ……できれば別の道をーーとは思ってるが、無理に諦めさせたいわけじゃないからな」
それは事実。本心だ。
兄としては普通の仕事を選び、生きて欲しいと思っているが、自分達と同じ道を選んだことを、心のどこかで喜んでいるのもまた事実なのだから。
「カナンがあんまり一生懸命頑張るから、つい、色々教えたくなるんだよ」
「つい、じゃねえよ」
呆れた様子でラウジが拳を突き出す。
かなりの速さのそれを難なく受け止め、ジークは困ったように苦笑した。
「そう言うな。俺達の気持ちはともかく、カナンが冒険者になることを認めた以上、半端なことはできないし、絶対にしない」
言い切る。
剣を取ることを選んだならば、自分が教えられることは全て教えたい。
出来ることが多ければ多いほど、不測の事態に対処ができる。
それはラウジにも解っていることなので、彼は引っ込めた腕を組んだだけで何も言わなかった。
その代わり、と言うように、ジークが口を開く。
「それに、諦めさせたいから適当に教えるとかそんなことしてみろ。間違いなくオヤジにぶっ飛ばされるぞ」
「………」
ジークの口から出た『オヤジ』の一言に、ラウジがあからさまに渋面になる。
脳裏に浮かんだのは太い腕を組み、仁王立ちになった我らがリーダー。
口髭を蓄え、50を超えて尚、誰よりも覇気を感じさせる皆の父は、豪快だがいい加減なことを誰よりも嫌う男だ。
「……そりゃそうだろうな。容赦ねえだろうよ」
「間違いなく、俺達にはないな」
「は!? 何で俺まで!? 教えてるのはお前だろ」
俺は関係ない、と声を大に言ったが、ジークは「むしろお前が何を言っている?」とでも言いたげに、小首を傾げた。
「当たり前だろ? 仮に俺が手を抜いたとして、お前がそれに気付かないわけがない。オヤジからすりゃ十分連帯責任の範疇だ」
「………………」
無慈悲な言葉。
だが否定できない。
他の皆が気付かない程度であったとしてもーージークがカナンの素質を伸ばさないように、皆には気付かれないように教えていたとしても、自分は解る。
そしてその事に、あの人も気付く。
解っててなぜ言わなかった!! と鬼のような形相で大剣か斧を手にする姿が、克明に思い描ける。
「……容赦ねぇ攻撃とか……命の危険しか感じねえなぁ……」
「ああ」
同じ光景を思い浮かべていたのか、ジークも「同感だ」と渋面になった。
ラウジが腕を組んだまま、暫し天を仰ぐ。
「……あー、勝てるイメージが全く浮かばねえなぁ」
「俺もだ」
「お前になら、そこそこ浮かぶんだけどなぁ」
「……ほう」
カチン、ときたのか、ジークが目を細める。
視線を合わせ、ニヤリと笑ったのは、二人同時だった。
からかうようなラウジに対し、余裕を口元に乗せたのがジーク。
互いの出方を見るように、静かにゆっくりと腰を落とす。
二人の間に走った微かな緊張感。それに気付いたのはミーナだった。
(何やってんだか……)
どうしてすぐにじゃれ合うのか解らない。
それも下らない……もしくは些細なことで、だ。
(全く……)
AランクとBランクでいきなり手合わせを始めたら、村の人達をどれだけ驚かせることになるか解らない。
んもぉ! と一声発し、ミーナが薬箱を抱えて立ち上がる。
「ジーク! ラウジ! 片付けの邪魔するなら、森の奥深くでやって!」
ほっそりとした綺麗な指先で、御神木の左奥ーーアッシュ達がビッグボアを追いかけて行った方向を指し示す。
ミーナの突然の大声に皆が驚き、順に彼女が向いている方向を目で追いかけると、腰を落としたジークとラウジの姿が目に入った。
皆に注目され、二人の男がそれぞれ軽く咳払いをして、その場から離れる。
よし! と言いたげなミーナと、少し視線が泳いでいるジークと、誤魔化すようにガリガリと頭を掻いているラウジを見て、カナンは改めて「さすが姉さん」と呟いたのだった。
やっと姉さんが書けたので満足。ジークはミーナの尻に敷かれてるといいよ。