ここまでついてくるとはやるじゃないか
サーシャさんの言葉が合図になったのか、直後私達がそれまでいた床が――爆ぜた。
その音と衝撃に驚いた私を救ってくれたのはその爆発よりも更に速く動いたロウ君だった。
両手に抱え上げられて飛び退き、爆発で立ち込める煙から十分な距離をとって立っている。
ああ、お姫様抱っこはいつ以来だろう。
初めてロウ君にされたのは……あの山を飛んだときだったかな。
あのときもすごい怖い思いをしたけど、いまは別の意味でとても怖かった。
反応できない速度で襲われて、怖くないわけがないよね。
あ、でもこの腕に抱えられているとなんだか安心だな。
あの時は落とされないかとかすごいビクビクしてたけど、今は絶対に放さないだろうって信頼できる。
ってそんな事考えてる場合か。
えっと今の状況を整理しよう。
サーシャさんとは敵対しなくてすみそうって安心してた。
その直後に実力を試すとか言い出した。
床が爆発した。
私はロウ君の腕の中。
なるほどね。
腕試しとか言いつつあの攻撃、完全に私達を殺す気だったね!!
いや、これで死ぬくらいならサーシャさんにとってはいてもいなくてもどっちでもいい存在だったってことになるのかな。
なるほど、これが女帝スタイル……。
「さすがに今の一撃ではかすりもしませんか」
煙の中から静かな声が聞こえてくる。
この落ち着き払った声、さっき私達を案内してくれたアジンって人だ。
執事のくせになんて破壊力。
いや、執事だからかな?
「あんた使用人とか言ってなかったか?」
「ええ、そうですよ。
ですので使用人として、お客様をおもてなしするのが私の務めです」
「そうかい」
人を殺しに来るおもてなしがどの世界にあるっていうんだろう。
あ、この世界のこの場所にありましたね。
「どうぞマオ様を下ろしてください。
そのままではあなたも戦いにくいでしょう」
どうやら不意打ちこそしたものの、それは単なる小手調べでこれから始まる本番の戦いではきちんと正々堂々戦いたい、というのが彼、アジンの考えみたいだ。
このまま戦えば圧倒的に有利なのに、私が安全なところに離れるまで待ってくれている。
「もういいぞ」
十分距離をとったのを確認して、ロウ君が相手に伝える。
どちらも臨戦態勢だ。
相変わらずロウ君は特に構えを取らないけど、相手の人、アジンさんは拳を軽く握り、今から殴り合いをしますよと言わんばかりの構えをとっている。
おお、あの人も武器を持たない、拳闘士ってやつなんだ!
これはちょっと面白そうな戦いになるかも。
どうせロウ君が負けることなんて無いだろうし、楽しませてもらおう。
向こうでサーシャさんも愉快そうに笑ってるし。
ちょっとだけあの人の気持ちがわかっちゃった。
◆ ◆ ◆
目の前の男の様子をじっと観察する。
武器は持っていない。
どうやら拳で戦う戦士のようだ。
剣と比べて間合いが短い分互いに有利とも不利ともなりえないが、個人的には剣よりもこういう手合のほうがやりにくい。
なにせ剣というのは形が変化しないから、軌道が読みやすい。
それに比べて拳の場合、関節がある分軌道が変えやすいし、殴るのか、掴むのか、直前までわからなかったりする。
さらに言えば剣士とは違って拳闘士というのは自分の体全てを使おうとするから、警戒するべき部位も増える。
必然的に、動きが読みにくくなるというわけだ。
もちろん、殺傷力で言えば武器を使ったほうが基本的には高くなるのだろうが、先程の床を砕いだ威力から考えても、この男はかなり鍛えているのだろう。
それに、ここでこいつを殺してしまったらあとで何を言われるかわからない。
手加減しつつ相手を無力化するには武器を破壊するのが最も効率がいいわけだが……、武器がないんじゃな。
まあ死なない程度に骨を折るとかすればいいのか?
男は拳を構えつつ、じりじりと足を動かし距離を詰めてきている。
どうやらこいつも最初は様子見といった感じらしい。
この距離があと一歩の踏み込みの位置まで到達すれば、攻め込んでくるだろうな。
少しずつ詰まっていく彼我の距離に、その場の緊張感は否応がなく高まっていく。
高みの見物をしているサーシャは相変わらず愉快そうな笑みを浮かべているし、マオはといえば手に汗を握り、高まる緊張感に喉をごくりと鳴らしている。
やがて二人の距離が詰まりきった時、先に動き出したのはアジンの方だった。
アジンは踏み出しと同時に腕を引き絞り、右の拳を強く打ち出した。
早く、鋭い、強烈な一撃だ。
ロウは落ち着いてその動きを見定め、半身になってその一撃を躱しつつ、いなすように拳を払った。
回避と同時にその勢いの方向をずらし、追撃を防いだのだ。
アジンの方も今の一撃が決まるとは思っていなかったのだろう。
冷静に体勢を整え直し、反撃を受けないようすぐさま距離を取り直す。
またしてもたっぷり空いてしまった距離だが、今度はじりじりと詰め寄るようなことはお互いにしない。
一度始まった戦いの勢いは衰えることなく、アジンは一気呵成に攻め立てることを選んだ。
ひとっ飛びに距離を詰め、重い一撃ではなく、軽めの連撃を繰り返すアジン。
先程のように軽くいなす程度では体勢を崩されず、隙きを作らず敵の防御のほころびを狙っていく攻め。
一撃ごとに速度が上がっていく拳には並の戦士であればついていくことも叶わず、やがて防御を崩されてしまっていたことだろう。
しかしここで戦っているのはことに防御に関しては並外れた実力を持つロウである。
一撃ごとにアジンの筋肉の動きや、その癖、速さ、重さなど、あらゆる情報を読み取っていき、守りを盤石なものにしていく。
やがてロウは防御に余裕が出てきたのか、今度は逆にアジンの殴り終える瞬間を見計らい拳を繰り出していく。
アジンも突然の反撃に驚きはしたものの、すぐに回避して対応。
次第にロウの攻撃も増えていき、お互いに高速で殴り合い、あるいは時折蹴りも織り交ぜ、そしてその全てを回避し合うという高度な戦いに移っていった。
軽い拳を高速で繰り出すことしか今はやっていないが、いつどの瞬間本命の一撃がくるかもわからない。
どちらの体力が先に尽きるか、どちらの集中力が先に切れるか。
これはそういう単純な戦闘能力だけでは測れない勝負になっていた。
「なかなかやりますね」
「そういうあんたもここまでついてくるとはやるじゃないか」
長い攻防の末、お互いしびれを切らしたのか全く同じ間に殴るのをやめ、距離をおく。
これ以上続けても永遠に終わらないだけだと感じ取ったのだろう。
体力も集中力も、互いに同水準。
消耗戦が無意味なら、一撃で決めるしか無い。
「これ以上続けるとお嬢様の貴重なお時間を無駄にしてしまいます。
次の一撃で決着をつけましょう」
サーシャが段々と退屈そうな雰囲気を醸し出してきていることに気づいたアジンがそう提案した。
アジンとしては、ロウの実力を測れて、サーシャのことを愉しませることができればそれでよかったのだ。
目の前の男との戦いを長く続けて自分が楽しむのも良いが、それは優先度の低い事項である。
「あんたがそうしたいって言うなら付き合ってやるよ」
ロウもその提案に合意し、改めて向き合う。
互いに一撃を入れ合い、より深く決まったほうが勝ち。
単純な戦いだ。
「では、いざ」
アジンはそう言うと、ロウが準備をするのも待たずに怒涛の勢いで踏み出した。
その場にいた他の二人には視認できない速さ。
まばたきをするほどの刹那の時間に彼我の距離を詰めて、ロウの懐に深く潜り込む。
そしてそのまま、防御態勢を取らせることなく、拳を放ち、それと同時に強く踏み込み威力を更に上乗せする。
その威力は内臓を破壊し、殺すことすら視野に入れた強烈な一撃だった。
衝撃がロウの身体を突き抜け、室内にもかかわらず風が巻き起こる。
アジン自身も、その瞬間にやっと目が追いついたマオも、これは完全に決まったと思い込んでしまうほど綺麗な一撃だった。
――だが。
「これがあんたの最大火力か」
本来なら倒れてもおかしくない拳を受けてなお、平然と立っていられるのがこの男、ロウだった。
「ほう」
その姿に、思わずサーシャも興味深そうにつぶやく。
当のアジンはといえば、その言葉を聞いて敗北を悟ったような潔い顔をみせ、マオは何も分かっていない様子でアホ面を晒している。
「じゃあ一撃貰ったことだし、俺からも一撃入れさせてもらおう」
本来であれば同時に殴り合おうという提案だったが、アジンが勝利のために出し抜き先んじて攻撃した。
対するロウは最初から先に打たせるつもりであえて防御すらせずに待ち構え、それを耐えきった。
そして、相手に納得させた上で一撃を与える。
それが相手を殺さず、骨を砕く程度で終わらせるための手加減の正体だった。
アジンの利き腕だけを綺麗に砕く一撃が与えられ、勝敗は決した。
誰に疑う余地も与えず、ロウはアジンに完全勝利した。




