胎動
それは、月が雲に隠れたある夜の出来事だった。
飲み騒ぐ者すらほとんどいなくなった静かな時間に、街の中をこそこそと進んでいく影があった。
影はいくつもあったが、その全てがやがてひとつの屋敷の元に集結していった。
「本当にあの男はいないんだな?」
影の一つが小さな声でつぶやく。
「ああ、予定通り今日異界に潜ったのを確認している。
いまここにいるのは女と住み込みの使用人だけのはずだ」
「よし、ならば手はず通りにいくぞ」
どんな目的があるのかは知らないが、どうやら彼らはこの屋敷を狙っているようだ。
金銭目的か、あるいは誘拐目的か。
屋敷は門こそ閉じられているものの、不用心なことに警備のたぐいを一切置いておらず、賊である彼らの侵入を容易く認めてしまった。
門も塀もそれほどの高さがなかったので、身軽なものならば飛び越えるのはさほど難しいことではないからだ。
先んじて侵入した一つの影が内側から閂を外し、門を開いて他の賊たちを招き入れる。
警備が厳重な屋敷であれば魔道具によって開閉が検知されてしまうところだが、ここに魔道具が設置されていないのは確認済みだ。
堂々と、かつ静かに慎重に侵入していく。
敷地内に侵入した彼らは闇に紛れ、そのまま入り口まで向かっていく。
さすがに屋敷内部に入るには扉を破らなければならないが……影の一つが前に出て、懐から何かを取り出した。
「よし、やはり形式はうちと同一のものみたいだ。
これなら問題なく解錠できる」
その何かを扉の錠の部分に押し当てると……ややあって、カチャリと音がした。
どうやら解錠の魔道具を持ち込んでいたようだ。
屋敷は組合本部の所有物であるため、多くのものは作りが非常に似通っている。
そのため、別の屋敷で使えた解錠の魔道具がそのままこの屋敷でも使えた、ということらしい。
侵入者たちは解錠できたことにほっとし、しかし決して油断することなく音を立てぬよう慎重に扉を開いていく。
あとは二階にある個室の中から目的の人物を探し出すだけだ。
室内のどこに誰が居るかまでは事前に調べることは出来なかったので一部屋ずつ調べなければならないところだが……しかし彼らには秘策があった。
彼らのうちおよそ半数はヒューマンではない。
獣族だ。
獣族の特徴として優れた身体能力というものがある。
そしてそれは、嗅覚や聴覚といった五感にも当てはまる。
そう、事前に確認してある匂いを頼りに目的の人物の部屋を探し出し、そして誘拐するのが今回の作戦である。
屋敷内の音を聞く限り、住人たちは使用人も含めて静かに寝入っている。
扉を解錠できた時点で彼らの作戦の成功は確実なものとなった。
――そのはずだった。
個室の立ち並ぶ二階に向かうべく階段に足を向けようとした時、ふと見上げると何かがあるのが見えた。
それがあまりにも静かに佇んでいるので、侵入者はただの置物かと思い目を離した。
だが目を離した直後、得体の知れない恐怖感が全身を襲い、思わずその場所を二度見してしまった。
そこには何もなかった。
「おい、今あそこになにか――」
あったよな? と言おうとして味方の方を振り返った時、彼は見てしまった。
先程自分たちが侵入してきた扉の前に、不気味な影が立っていた。
そいつは全身を漆黒の外套で包んでおり、外套についた頭巾で頭をすっぽりと覆っているため顔がよく見えない。
けれど少なくとも味方にこんな奴はいなかったというのは断言できる。
ただただ薄ぼんやりとした影にしか見えないのに、その中にひときわ目立つ鮮烈な桃色の光が浮かび上がっている。
こいつはなんなんだ?
こんなやつがこの屋敷に居るなんて聞いていないぞ?
予想外の出来事に戸惑うも、すぐに落ち着いて味方たちに合図を出した。
包囲し、逃さず捕らえよという命令だ。
今回の作戦に失敗してしまえばこの国での評価に大きな傷がついてしまうのは明らかだ。
見られてしまった以上、ここはなんとしても目撃者を消さなければならない。
それに手札は多ければ多いほうがいい。
どうせこの屋敷にいるってことはあの男の身内に決まっている。
こいつと、あと目的の女を捕らえて交渉を有利にしてやろうという欲が、彼の判断を誤らせる原因となってしまった。
再び合図を出し、一斉に襲いかかる。
その不気味な影がどれほどの実力かはしらないが、多勢に無勢。
この国でも有数の冒険者である自分たちに敵うわけがないのだと、現れたそいつに憐れみの表情を投げかけた。
その直後、
「世話の……、お礼……、外敵……、排除……」
影がつぶやいた。
そしてその瞬間、彼らの意識は暗転した。
夜襲は、誰に知られることもなく失敗に終わった。
◆ ◆ ◆
「お嬢様、例の人物の足取りを掴みました」
「ふん、随分時間がかかったのお」
「申し訳ございません。何分情報が一切ございませんでしたので」
国内のとある場所に堂々と立てられた豪奢な館の一室。
優雅に湯浴みをする美しい女性のもとに、その女性の配下らしき男性が訪れている。
現代で言うところの執事風のきっちりとした装いに、静かな物腰。
主たる女性の機嫌を損ねないよう、丁寧かつ慎重な言葉選びで報告事項を述べていく。
「まあよいわ。それで?」
「はい。条件に合う人物は二名。
どちらも女性であり、どちらも現在は同じ屋敷に住んでいる模様です。
一人目の名前はマオ。
身分としては低級冒険者を名乗っているようですが冒険者となる前の身元が不明です。
ある日突如として王国の田舎町に現れたという情報のみ上がっています。
また、先日入国したミスリル級冒険者であるロウという人物と共に旅をしており、現在は表向きは彼の使用人として過ごしている事になっているようです」
「なるほどの。少しばかり奇異なところがあるようだがの、それだけでは上がわざわざ釘を差すような傑物とは思えんのお」
「ええ、申し付けられた仕事は候補者を探し出し、その所在地を特定することですので。
条件に一致する、該当日時に入国した素性不明の人物として挙げたまでです」
無駄に自身の憶測を入れることなく、事実のみを淡々と告げるその様子は配下としては申し分のない働き方のようだが、どうやら女性はそんな彼のことがあまり気に入らないらしい。
つまらないやつだと、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でつぶやいた。
「それで? もう一人は?」
「もう一人の名前は『ライラ』『ローラ』『レミィ』『リズリザ』のいずれか、あるいはそのどれでもないと思われます」
「む? それはどういうことかの?」
「該当人物に対する呼称が調査の度に変化しており、また正式な記録に名前が記載されていないため断定不可能です。
また、こちらの人物に関しては王都から船で入国したことは確認できましたがそれ以前の経路については完全に情報がありませんでした」
「ほお……そやつも先の女と共に住んでいるのだったな?」
「ええ、該当の屋敷には現在ミスリル級冒険者ロウ、身元不明女性マオ、呼称不明女性の三名に加え、使用人が数名います。
それとこちらは蛇足となる情報になりますが、どうやら該当屋敷に対して先日、夜襲があった模様です。
その日はミスリル級冒険者のロウも不在であり、屋敷の戦力は非情に少ないと思われましたが、夜襲が撃退されているのを確認済みです」
それはいいことを聞いたと、女性はニヤリと笑う。
どうやら彼女の中では襲撃主の目星がついているらしく、その情報を利用すれば何やら面白いことができそうだと考えているようだった。
そして同時に、二人の女性のどちらかが探し求めている人材であることを確信したようだ。
「アジンよ、その館の者たちを我の元へ招待せい。
口実はそうよの……そのロウとかいう輩に興味が湧いたとでもいっておけばよい」
「御意に」




