もしかしてそういうのって割とこの世界じゃ一般的?
拝啓、お母さん。お元気ですか。
私はいま、空を飛んでいます。
飛行機に乗っているわけではありません。男の人に持ち上げられて、彼がぽんぽんと飛んでいるのです。
空の旅は山を歩くのと違ってとても快適です。
何しろ障害物がなにもないのですから。
移動速度もとても早くて、まるで安全バーのないジェットコースターに乗っているみたいです。
そう思ったらだんだん怖くなってきました。
ああ、早く地上に降りたい。
敬具
空を飛ぶ、と聞いて最初は驚いたものの、すぐにその驚きは興奮へと変わっていった。
――実際に飛び始めるまでは。
空を飛ぶ、と聞いてどういうものを想像するだろうか。
きっと多くの人は、まるで重力がなくなったみたいにすうっと浮かび上がり、鳥のように自由になめらかに動き回ることを考えると思う。
けど現実は残酷だった。
そう、たしかに空を飛んでいた。だが飛ぶは飛ぶでも、飛行ではなく、跳躍のほうだった。
ここでもまた、異世界らしいありえない現象と出くわしたわけである。
彼曰く、
「これは移動術の一つで天歩って言ってな、まあ簡単に言えば空中に足場を作ってそれを踏み台にして飛ぶ技なんだ」
とのことである。原理の方は定かではないけど、いわゆる二段ジャンプを無限に繋げられる、といった感じらしい。
はっきり言おう、これを抱えられた状態で続けられると……はじめの方こそ目新しさでちょっと楽しかったが、だんだん怖くなってくる。
私はあまり怖いものがないんだけど、落下したら即死する高さを腕だけで支えられて、しかも跳躍のタイミングが事前に全くわからないときた。
これで怖くならない女の子なんて少なくとも私の世界にはいないだろう。
とにかく、そんなこんなでビビりながら空を運ばれ、元の世界に残してきた家族に脳内で手紙を書いていると、ようやく目的地が見えてきた。
周辺でもとりわけ高い山の頂上にたっていたのは、寺院だった。
簡素ながらも歴史を感じさせる雰囲気。
周囲にはなにもない。いや、寺院の横に高さ3メートルほどの黒い岩が立っている。最初からここにあったようには見えない。おそらく寺院を建てたときにどこかから持ってきたのだろうが、なにか宗教的な意味合いがあるのだろうか。
「ついたぞ、こっちだ」
寺院の目の前に着地するとすぐに私を下ろして、すたすたと寺院の中に入っていってしまった。
きっとここの主がお師匠様なのだろう。
すぐに追いかけて中に入る。
すると中には――彼しかいなかった。
中は広い座敷になっていて、がらんとしている。
なんとなく、あまり使われていないのかな、という印象を感じた。
「ちょっと、誰もいないけど?」
端のほうで壁にもたれかかって寛いでいる彼に問いかけた。
お師匠様とやらに会いに来たのに、いないとはどういうことだろうか。
もしかして騙された?
それとも今はでかけているだけですぐ戻ってくるのか。
彼の落ち着きかたを見る限りではこれはどうも想定の範囲内みたいだけど。
「まあ、すぐくるから」
彼はそれだけ言って、入り口のほうに目線を飛ばした。
つられて私も入り口を振り返る。
しかし誰もいる気配はない。
やはり騙されたのかと、再び彼を見ると、何やら首を振っている。
よくわからず、もう一度入り口のほうに振り向くと――。
「珍しくロウが呼び出してきたと思ったら――なんじゃこの嬢ちゃんは。拾ったのか?」
一瞬前までは誰もいなかったそこに、男が立っていた。
一人だけじゃない。後ろからさらに何人かやってくるのも見える。
というかーーなにもないところから出てきているような気がする。
「ま、今回は久々に面白そうじゃな」
先頭の男は何やら満足げにそう言うと、私の方を軽く一瞥してから座敷のほうに進んでいった。
後続の人々も、それぞれ一言二言似たようなことをつぶやいてから、同じように私を見て、座敷のほうに進んでいく。どうやらそれぞれに所定の位置があるようで、気づけば彼らは車座になって座っていた。
彼らは一体何者なんだろう。
あの男ーーそういえば名前を聞いていなかった――が言っていた爺さんとやらはこの中に?
そうは見えないけど……。
そういえば彼はなんて言っていたっけ。
あのときは確かーー爺さんたちにあんたのことは任せようかと思った――って、あ、そうか。確かに一人とは言っていない。
爺さんたちといってるんだから彼ら全員のもとに私を連れてきた?
ううん、だとしてもとても彼らがその爺さんたちとは思えない。だって――
「さて、では八仙会をはじめようかの」
思い悩んでいると、一番最初にきた男がそう告げた。
その男は言葉遣いこそなんとなく年寄りくさいものの、見た目はどう見ても若者――20歳くらいにしか見えない。
そう、明らかに若すぎるのだ。しかもその男だけじゃない。ここにいる全員が、男も女も問わず――ちなみに女性らしき人物が2名ほどいる――若々しいのだ。
一体どういうことだろう。
「ではロウよ、説明せよ」
男は事態の説明をロウという人に求める。すると彼が面倒臭そうに説明を始めた。
ああ、彼の名前はロウっていうのね。
「うちの山でそいつが水浴びしてたから連れてきた。なんでも異世界? からきたらしい。名前はマオ」
とてもわかりやすくて短い説明をありがとう。
「ほう、異世界とな?」「まさか、あの伝説の……」「やはり神が……」「ちーとかの? ちーとかの?」「こんなちっさいのが……」「男の子がよかったわあ」「ざわ……ざわ……」
異世界という言葉が出ると、彼らは少しざわついた。なんか反応が思ってたのと違う。
ていうかそこちっさい言うな。
一応150cmあるはずだもん。
なお実際のマオの身長は149cmである。
現実とは非情なものである、がこの真実を知るものはこの世界にはいないので彼女の名誉のために黙っておいてあげよう。
それにしても意外とすんなりと信じてもらえそうな反応だな。
やっぱり常識が違うのかな。
「あの、異世界とか信じるんですか? もしかしてそういうのって割とこの世界じゃ一般的?」
「一般的かどうかでいうと……あまり一般的とは言えないの。わしらはまあ、色々と特殊での。軽く千年は生きとるからいろいろ物知りなんじゃ」
「せ、千年!? だってあの、失礼ですけどずいぶん若々しく見えますけど……」
そう言うと男は機嫌が良さそうに笑い、こう言った。
「当然じゃな、わしらは仙術使い、仙人なのじゃから」
「せ、仙人? ってあの仙人!? 山奥に住んでいて不老不死で霞を食べて生きているっていうあの!?」
「いや、不老ではあるが不死性はもっとらんし霞も食わんのう。普通に肉とか食べるぞ」
「あ、そうなんだ。少し残念」
返答がイメージしていたのと違ったので少ししょんぼりしてしまった。
それでもまあ、仙人は仙人だ。
まさか生きているうちに出会えるなんて。
ああ、異世界にきてよかった。
「それで話は戻すがの。いくらわしらでもたまたま迷い込んだだけかもしれない者の言葉をそのまま認めるわけにはいかんのじゃ」
まあそれはそうだろう。
突然現れて「私、異世界から来ました!」なんていい出したらまずは頭の健康状態を疑うのが普通だ。
「そこで、お嬢ちゃんには証拠を示してもらいたい。なあに、そんな難しいことは求めんよ。異世界にしかなさそうなものを出してもらえればそれでよい」
なるほど、それならそんなに難しくない。
衣服もテントもその質を見せれば十分証拠になりそうだけど……ここはアレを出そう。
「わかりました。こちらの世界の常識がないのでわかりませんが、多分これならこちらの世界には存在しないかと思います」
そう言って荷物からあるものを取り出し、彼らに差し出す。
「ふむ、これは? たしかに珍しい材質でできておるようじゃが」
ビニールに密閉され、円筒形の容器に入れられたそれは何であるか知っていないとわかるはずがない。
そう思い、これはうまくいったと内心ほくそ笑みながら、
「これはカップめんというものです。長期間保存可能な即席の料理で、封をあけ、お湯を注いで3分間待つと調理が完了する、というものです」
「ほう、お湯を注ぐだけでよいのか。それはまた便利そうじゃな」
なるほど、これくらいの説明じゃせいぜい少し便利なもの、くらいにしか思えないか。やはり千年を生きているだけあって冷静に分析しているようだ。
しかし、この味を知ってしまえばそんな冷静な面をいつまでもしていられまい。
「言葉だけではわからないと思うので、実際に作って食べていただきましょう。お湯を準備しますね」
そういって荷物から調理用のガスバーナーとコッヘル、あとはペットボトルに入れておいた水を取り出そうとすると、声がかかった。
「お湯ならわしらのほうで用意しよう。どこに出せばいいんじゃ?」
「もしや……魔法、でしょうか!?」
「そうじゃな」
「おおおっ!!」
なんてことだ。
異世界といえば魔法。魔法といえば異世界。
異世界の代名詞である魔法にこんなにも早く出会えるなんて。
興奮を禁じ得ない。
やっぱり魔法はあったんだ!
「で、ではこちらの容器の中に沸騰したお湯をお願いします。量はこの内側に刻んである線のところまで」
抑えきれない興奮をなんとか隠しながら、封をあけ、指示をだす。
封を開けたときに漏れ出す匂いで少しだけざわついたのがちょっと面白い。
「それじゃ出すぞ。ほれ」
男が手をかざすと、なんの前触れもなく、容器にお湯が満ち始めた。
詠唱もなにもなかったのが少し味気なかったけど、きっと仙人クラスになれば無詠唱という境地に至るに違いないと勝手に納得していた。
「それくらいで大丈夫ですね、そうしたら蓋をして、3分待ちます」
あたりに漂う匂いが食欲をそそる。
ちなみにカレー味だ。
仙人たちも心なしかそわそわしている。
ロウも興味があるのかちらちらとこちらを見ている。
そして3分語、
「できました。ではこのフォークを使って、どうぞ召し上がりください」
カップめんとフォークを手渡す。
彼は恐る恐るめんをすくい上げ、軽く息を吹きかけ熱を冷ます。
そして、意を決して口に運び、瞑目してゆっくりと咀嚼する。
その様子を緊張した面持ちで見つめる他の仙人たち。
永遠にも感じられる数秒。
そして、その数秒はあっという間に過ぎ去った。
彼はたっぷり咀嚼しためんを飲み込むと、閉じていた目を限界まで見開いてこう叫んだ。
「うますぎる!」
カップめんは世界を超えた。