女の子の裸見といてその態度はないでしょ
大陸の端、深き森の更にその奥に佇む深山幽谷の地にその小屋はひっそりとあった。
月が眠り、太陽がゆっくりと目覚めていこうかとしているその時、小屋の主もまたその身を起こした。
その者の名はロウといった。
まだ年若いにもかかわらずこんな山奥に一人で住んでいるのにはなにか理由があるのだろうか。
それはまだ定かではないが彼がここでの生活にすっかり慣れているのはその落ち着き払った様子を見ていれば明らかだった。
寝床から出た彼は軽く伸びをしたあと、顔を洗うために水釜から桶に水をすくい取る。
すると何かに気がついたようで、わずかにため息をもらす。
どうやら水が少なくなっているようだ。
(もうなくなってたか……。まあちょうどいいかな)
ちらりと水汲み場の方に意識を向けると、この辺りでは珍しい生き物がいるのが感じ取れた。
亜獣も魔物もこの一帯ならありふれた存在だ。
だからそういった者たちならば向かってこない限りは気に留めない。
けれどもその生き物はそのどちらでもなく、またあまりにも弱々しいものだった。
面倒だと思いつつも、ちょうどその場所に用件があることだしと、ついでに調べることにした。
(一応爺さんたちにもこういうときは調べろって言われてるしなあ)
ロウは人が一人すっぽり入ってしまうほどの大きな桶を軽々と背負うとそれだけで準備ができたのか、ほかに装備らしい装備もせずに歩きはじめた。
ここで暮らしているうちに出来てしまったけもの道を10分ほど辿れば目的地だ。
周囲の気配をそれとなく確認しつつ進み、水場につくとそれはいた。
白く透き通るような肌に水を滴らせ、ゆっくりと両腕を動かし全身に水をかけている。
見るものが見ればなんと美しく幻想的な姿だろうと感動したに違いない。
けれども今これを眺めているのはそのような感性を持ち合わせていない青年だった。
彼はその美しい姿を眺めながら、ひどく実際的なことしか考えていなかった。
こちらに背中を向けているので顔はわからないが、水の深さから身の丈を予測するかぎりどうやら子供らしい。
弱々しい気配だと思ったが、こうしてみている限りどうやら健康そうだ。
当然害意も感じ取れないので、まずは話を聞くべきだな。
そう結論付けると、こちらに敵意がないことを示すためにも意識的に音をたてて、存在を主張する。
それで相手も気づいたのか、一瞬びくりと身体を震わせ、こちらを振り向いた。
驚きを隠すことなくあらわにしている顔は幼さを残すもののどことなく大人らしさが漂っており、十人に聞けば十人が可愛いと答えるだろう魅力を醸し出している。
そこに短く切り揃えられた亜麻色の髪が快活さを付け加えているようで、それがまた親しみやすさを感じさせた。
その者の正体を探るためにロウはじっくりと身体を観察しはじめた。
体つきが俺よりも丸いし乳房が膨らんでいる。
下腹部も確認してみないと確証はもてないけど、姉さんが言ってた特徴に一致しているところが多いし、多分これは大人の女だ。
後ろ姿は子供っぽかったけど単に小さいだけなのかな。
「お前……ヒューマンの、女か?」
とりあえず確認のためにそう尋ねた。
◆ ◆ ◆
突然の物音に少しだけびっくりして、獣でもきたのかと驚きながら急いで振り向くと、半裸の男が立っていた。
顔つきはそこそこ整っていて、若々しい感じがするし歳は同じか少し下くらいだろうか。
なぜかむき出しの上半身はよく引き締まっていて、ちょっと触ってみたいなと思ってしまった。
やや灰がかった黒い髪は切る習慣がないのか、腰ほどまで伸びているのを邪魔にならないように紐で結っているみたいだ。
まさかこんなところに人が来るなんて、意外と人里に近いのかな。
そういえば言葉とかはどうなっているんだろう。日本語が通じるとは思えないけど。
などと思っていると、男が口を開いた。
「お前……ヒューマンの、女か?」
耳に入ってきたのは知らないはずの言語だった。
日本語じゃない。
英語っぽい雰囲気もあるけどでも単語とか明らかに違う。
にもかかわらず。解ってしまった。
まるで母国語であるかのように、ごくごく自然に、脳内で翻訳する必要なく、その意味が解ってしまった。
そして、その言葉を一度聞いてしまったからか、口をついて出てきたのは同じ言語だった。
「あ、はいそうです」
「そうか」
男は得心がいったのか、それだけいって頷くと、背負っていた大きな桶をおろし始めた。
「あなたはヒューマンの男みたいね」
――っていやいやいやいや!
びっくりしちゃってつい咄嗟に同じ質問返しちゃったけど、よくよく考えたら見ればわかることじゃない!
ほかに聞くこと色々あるでしょ!
突然の出来事に普段はそれなりに冷静なマオも、少しばかり混乱しているようだ。
っていうかそもそも最初の質問がなんなの!?
どっからどう見ても女じゃない!
どっっからどう見ても……って――
そこまで考えて自分の置かれている状況にようやく気がついて、
「そうだが「あああああああああああっ!?」」
男の返答に被せるようにマオは叫び、慌てて両腕で身を隠しながら水の中に全身を沈めた。
そう、マオはその美しい裸体を惜しげもなく男に晒していたのである。
「何を慌てているんだ? まだ何も襲ってきてないけど」
「いやいやいやいや、女の子の裸見といてその態度はないでしょ!」
そういうものなのか? と男はわかっていない風で首をかしげている。
「普通女の子の裸みたら恥ずかしがるとか慌てるとかそういうのあるもんでしょ……」
この世界の人は裸族かなにかなのかな?
この人も半裸だし、それで私達の世界とは羞恥心とかそういうものが違うとか。
そういえば地球にも裸族とかいた気がするし、そうなのかもしれない。
うん、そうに違いない。
しかし、念の為聞いてみよう。決めつけは良くない。
「もしかしてこの辺の人たちって服を着ないの?」
「俺は必要性を感じてないから上は着てないけど、爺さんとかはちゃんと着てるな」
「裸族じゃないんかい!!」
思わず虚空に向かってツッコミをいれてしまった。
ああ、多分この人いろいろとダメな人だ。
異世界で最初に出会ったのがこの人って絶対失敗だよ。
うう。
「で、あんた誰だ? この山に何しにきた?」
私が一人で打ちひしがれていると、特に気にした風でもなく気だるげに尋ねてきた。
そうそう、そういう質問を待ってたんだよ。
私も色々聞きたいことあるし、さっきまでのことは忘れてまずは情報収集といこう。
切り替えの早さも私の長所の一つだと思うんだよね。
「私は神埼真央。ええっと、神埼が家名で真央が名前だから、真央でいいよ。この山には……気づいたらここにいたから、私もよくわかってないかな」
ここで嘘をついても仕方がないので、正直に答える。
「マオか。気づいたらってことは転移術に巻き込まれたとかそういうことか」
転移術?
この世界ではそういう術がわりとありふれてるという事なのかな。
一瞬で街に帰還する呪文的な。
でも多分、そういう術ではない気がするんだよね。
あれは本当に神すらもしらない、運命のいたずらのようなそんな感じの現象だと思う。
「多分だけど、違うと思う。信じてもらえるかわからないけど、私はこことは異なる世界からやってきたんだ」
「異なる世界? うーん、よくわからん」
ですよねえ。
普通に考えて異世界だなんて信じられるわけがない。
日本人くらい想像力豊かじゃないとそんなの想像できるわけがない。
彼の方を見るとどうするか悩んでいるようで、うんうんと唸っている。
彼からはこれ以上聞いてくることもなさそうだし今度は私から質問するか。
「えっとじゃあ、今度は私から聞いていい? まずは――」
質問をしようとしたその瞬間、彼の後方、ちょうど死角になる位置から突然大きな影が飛びかかってくるのが見えた。
まだ彼は気づいていない。
このままじゃ彼が襲われてしまう。
そう思うや否や、慌てて叫んだ。
「危ないっ!!」