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鬼の武蔵は、いやにて候 -岩崎城陥落-  作者: 陸 理明
第一部 美濃剣戟編
26/26

いやにて候



「―――おい」


 一艘の船にはやや多すぎる人数に向けて、誰と特定したものでもなく長可は声をかけた。

 四郎衛門も、今井勝澄も、鈴木重盛も答えない。

 坂見但馬にいたってはあまりに恐ろしいのか鬼武蔵から目を逸らしたままだ。

 男たちが口を利かないので、仰向けのまま動こうともしない氏重の頭を膝に乗せていた萩姫が応じた。


「はい、森さま」


 萩姫は普段の長可を知っているからこそ、他よりはまだ怖気づかずにいられるのだった。

 岩崎城からきた男たちはそれぐらい長可を畏怖していたと言える。


「丹羽が目を覚ましたら伝えろ。次はいくさの場に出て来いとな。立ち合いの最中に気を失うような小僧ではわしもつまらぬ」


 長可は手にした人間無骨の刃をくるりと回して伸びていた髭を剃った。

 あれだけ長いもので器用なものですね、と萩姫は思った。

 だが、どことなく愉しそうにも見える。

 ある意味では消化不良に終わったはずの氏重との立ち合いの結果が、意外と鬼の意を満腹にしたらしかった。

 ……ほんの数分前のことを思い出す。


「ふん!!」


 と、手にした氷の光を放つ刀を振り下ろした氏重の下半身が崩れた。

 人間無骨に殺られた訳ではない。

 限界まで張りつめていた琵琶の弦が断ち切れたかの如く、刀を握ったままの体勢でそのまま傀儡のように倒れたのだった。

 氏重の最後の体力と気力がたった今完全に尽きてしまったのだ。

 まだ十六歳の少年の限界を越えていたともいえる。

 ほんの刹那の差で氏重の首のあった場所を魔物の刃がすり抜けた。

 むしろ、驚いたのは長可の方である。

 いかに気と剣と身体の一致した肩から先が消える動きから送られた一刀でも、見える胴体部分がある以上大樹を断ち切るように薙いでしまえばいい。

 そのつもりで振った一撃が思いもよらぬ躱され方をしたからだ。

 ただし、それは意図されたものでもなく、さらに言えば攻撃につながるものではなかった。

 槍を大振りにしたことによる隙を突かれると一瞬、冷や汗が全身から噴き出るのを厭らしく感じたが、痛みを覚えることはなかった。

 斃すべき相手はそのまま長可の足下に蹲ったままぴくりとも動かなくなっていた。

 気絶しているのは明らかだった。

 長可は人間無骨の石突でちょんちょんと突いてみたが反応しない。

ただ妖刀をもっている握りの部分だけが時折震えているのが異様だったが。

 どうやらもう宿主は動くこともできないらしい。


「なんということだよ」


 長可は燃やした闘志が消化不良になってしまったことを嘆いたが、同時に眼の奥辺りに熱いものを感じた。

 気絶した少年の無垢な横顔に弟を―――蘭丸をみた。

 蘭丸を討ち取った安田作兵衛は言っていた。


『あいつは見事な武士だった』


 長可はそのとき、炎の中で幸若を舞う蘭丸と信長の白昼夢をみた。

 あの二人はやはり自分自身を燃やし尽くして死んだのだと思った。

 では、長可はどうか。

 半生を織田家の〈鬼〉として生きてきたが、それで満足と言える生であっただろうか。

 答えは一つだ。

 

「認めるしかない」


〈鬼〉としての生に不満はない。

 ただ一つ、はっきりといえることは、織田家の〈鬼〉としてではなく、〈鬼武蔵〉として生きる方がより長可らしいと思えるということだ。

 本来、織田家の〈鬼〉は、信長だった。

 その役目を引き継いだだけの長可では分不相応だったということである。

 ならば自分の惚れた相手と命のやり取りをし続けることで飢えを満たすことしかないだろう。

 例えば、それは伊勢長島の凄まじい皆殺しのいくさで出会った丹羽氏次であり、森勢にとって最強の武士を人質にとってまで自分に挑んだこの―――氏重である。

 この二人がいる限り、長可はずっと鬼武蔵のままでいられるかもしれない。

 氏次あいつ信長しゅくんであり、氏重こいつ蘭丸おとうとであったのだ。

 

「おい、貴様ら」


 黙って立ち合いを見ていた丹羽の配下らしい男どもに長可は命じた。


「こいつを連れて、さっさとこの金山から出て行け。萩姫、貴様もだ。もう用はない。……真柄、邪魔をするなよ」

「御意。しかし、それでよいのでござるか」

「いいんだ。わしが許す」


 長可が槍をたてて境内の樹によりかかり、停戦の意思表示をしても四郎衛門たちは恐る恐るとしか動けなかった。

 どうして、鬼武蔵がこのような態度に出たのか普通の武士では想像もつかないからだ。

 このときばかりは、今まで散々長可の思考を読み取ってきた氏重を羨ましいと思った。

 真柄直澄から解き放たれた萩姫が気絶した氏重にしがみつくのを抑えて、四郎衛門たちは氏重を少し離れた艀に繋いでおいた小舟に乗せる。

 いざというときのための脱出策であったが、まさか敵に見送られて出航することになるとは考えもつかなかった。

 森長可と巨人真柄直澄がついてくるのにびくびくと怯えながら、氏重を小舟に横たえる。


「持っていけ」


 投げ渡されたのは、さっき氏重が黒い櫃からとりだした妖刀である。

 鈴木重盛がおそるおそる受け取った。


「そいつは鵜の丸といってな、白河院の御代に宮中の神泉苑から鵜が咥えてもってきたという刀よ。色々と祟るといってな、まえに持っていた土岐悪五郎という男も無残に死んだわ。土岐家のものは祟りを恐れて、どうやらこの寺で朽ち果てさせるつもりだったようだ。だから、くれてやる」

「―――そんなものをどうして、氏重さまに」

「そこの小僧ではわしを討つにはまだまだ足りん。妖刀そいつがあってようやくというところだろうさ。だから、次にいくさ場でわしとやり合う時までにそいつを使いこなせるいっぱしの武士になっておけと伝えろ」


 謙信公の故事に倣って、敵に塩を送るつもりなのだろうか。

 岩崎城の男たちが真意を測りかねている間に、重々しい緊張に耐えかねた船頭役の坂見但馬が小舟を漕ぎだしてしまった。

 少しずつ鬼武蔵との距離が離れるについて、ようやく岩崎城の男たちの中安堵の色が浮かぶ。

 まことに恐ろしい相手だった。

 それと正面から戦った少年を讃えずにはいられないほどに。

 氏重はまだぴくりとも動かない。

 船はゆるゆると木曽川を下っていく。

 渺茫たるうねりを送り、朝の陽光に輝く水面を断ち切りつつ、ゆるやかに下っていく。

 鬼武蔵とはまた出会うことになるだろう。

 そのとき、この船に乗るものたちは一人残らず無残な地獄絵図に巻き込まれてことごとく討ち死にすることになるかもしれない。

 丹羽氏重とともに。

 彼らにとっての宿命とは、遠く離れつつあるあの凄まじい悪鬼羅刹のことなのかもしれない。

 船頭のように竿を握っていた坂見但馬がぽつりと呟いた。



「もう懲り懲りでござります。―――鬼の武蔵と対面するのは、もういやにて候」 






 ―――のちに岩崎城において、坂見但馬はただ一人生き残る。






                    第一部 完




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