消える刀
金山城の奥屋敷において眠りについているところを、まるで猫のように抱きかかえられて連れ出され、そのまま巨人のごとき真柄直澄に荷物のように運ばれた先で、萩姫は夢にまでみた許嫁の美しい顔と再会した。
真柄からすれば小鳥を連れているようなものだろうが、それでも人としてその扱いに異議を唱えたかったが、それよりも丹羽氏重がすぐそこにいることが嬉しかった。
だが、そんな乙女の感傷は長くは続かなかった。
槍をもった許嫁が対峙している相手は、金山城の城主である森長可であったからだ。
数か月の間、人質でありながら見方によっては賓客のように大切に扱われてはいたものの、折に触れて伝えられる鬼武蔵の逸話は恐ろしいものばかりだった。
正妻であるお久や実弟である千丸と交流をもっていたとしても、たまに場内で見掛ける森長可は岩崎城でのあの振る舞いそのままで生きる信じ難い男であった。
ただ、そんな鬼武蔵が家族や近い家臣に見せる顔はどことなくあの丹羽の兄弟のものに似ていた。
純粋な武士という者はただ似てくるものなのか、森家と丹羽家が酷似した家系なのかはわからない。
萩姫は恋い焦がれている許嫁に会えないさみしさを、鬼武蔵を観察することで紛らわせることをしていた。
そのせいで萩姫は森長可の小兵ながら恐ろしいほどの槍の冴えを知っていた。
体格でならば丹羽氏次が勝てるかもしれないが、長可の手首を回転させての突き技が古い鎧をばらばらにさせる光景を目撃したことでその優位性を絶対とは思えなくなっていた。
ましてや、まだ少年の氏重が鬼に勝てるなど恋する乙女のひいき目で見ても難しい。
しかし、同時に胸の奥が熱くほてってもいた。
(氏重さまがきてくれた!!)
それだけで萩姫は幸せになれた。
自分のためにやってきてくれた男がいる。
この時代の女にとって、それは濡れるほどに心の火照る出来事であった。
「いくぞ、丹羽」
「―――!!」
氏重は答えない。
いや、応えられない。
掛け声と同時になされた突きを捌くのに全神経を集中せねばならなかったからだ。
いくさにおいて最も人を殺した武器は何かと問われれば、それは槍ということになるだろう。
弓矢も負けてはいないが、矢による傷というものは直接よりも時間を置いてから受けたものを虫食むことが多く、やはりいくさ場と限定をするならば槍が一番だろう。
なにより、有効距離が長い上に遠心力と言う武器が加わる分、戦場においては槍はまさに主たる凶器なのである。
特に長可が使うような十字槍は薙ぐ、斬るも可能なため、ただ突くだけのものとは被害の広がりようが違う。
手首のスナップを利かせるだけで玄妙な術ともよべる変化さえ引き起こし、対一で戦うとなると非常に難しい相手であった、
逆に氏重の槍はただの直刃だ。
基本的に突くことしかできない。
宝蔵院の口伝に言う、
「突けば槍、打てば鳶口、引けば鎌、とにもかくにもはずれざらまし」
という変幻自在さはない。
むしろ、氏重の骨頂は剣にあったのだが、岩崎城での長可の暴れっぷりをみて槍でしか相手できないと考えての選択であった。
だが、付け焼刃ではないとはいっても、森長可と人間無骨―――この組み合わせに対して肉体の出来上がっていない少年の身ではまともに打ち合うこともかなわない。
振り回される暴風を辛うじて凌いだとしても、突きこまれる疾風はなんとか防いでも後方へと弾き飛ばれるだけであり、反撃の糸口すらつかめない。
上下左右、叩きつけられる必殺の一槍撃に加え、触れれば頑丈な鋼の柄でもなければ破壊されかねない回転突き。
どれもが触れただけで致命傷を負ってしまいそうだった。
氏重では防ぐだけで手いっぱい。
凌ぐ、捌く、というレベルですらない。
あまりに圧倒的な腕の差だ。
加えて気合いがとてつもなく違う。
(これが本気の〈鬼〉!!)
安田作兵衛もまたとてつもない力量を感じさせたが、それでもこれほどではない。
この力強さには狂気が満ちている。
心に冷たい風が吹きつけているものにしか宿らない狂々《くるくる》とした歪みが。
(上諏訪のときの武蔵守どのにはなかった!)
本能寺が炎上したとき、長可の心の中から何かが抜け落ちたのだろうか。
いまだいくさに出たことのない氏重では立ち向かえぬほどに強い絶望が鬼を慟哭させたのか。
「でえい!!」
長可渾身の一撃を受け、かろうじて槍の柄で受けきったものの、氏重は後方に弾き飛ばされた。
しかも根元からぶったたかれたこともあり、凄まじい力のせいで地蔵院の扉を突き破って中に吸い込まれていく。
境内の真ん中で始めたはずの立会いが、いつのまにか地蔵院を背にするまで追い詰められ、そして中にまで叩き込まれるという、一方的なやられ方である。
その一撃によって氏重の手にしていた鋼の槍が真ん中から叩き折られてしまい、すでに勝負は決したかに思われた。
観戦していた須賀四郎衛門たちにとってはしてもではないが正視できない光景だった。
とてもではないが、氏重では〈鬼〉には敵わない。
確かに丹羽氏重は刀を持たせればこの年齢で達人と呼べるだけの技量はある。
しかし、戦場を無傷で生き延び、多くの敵を屠ってきた鬼を相手にするなど明らかに無謀過ぎた。
一騎打ちに持ち込めればとか細い希望に縋っていたとしてもそんなものの何の助けにもなりはしない。
家臣たちの目には氏重が近い未来に八つ裂きにされる姿しか見えなかった。
それを止めることも考えたが、実のところ例の大太刀を抜刀した真柄直澄がじっと睨みを聞かせているおかげで身動き一つ取りない状態だ。
とてもではないが敗北寸前の氏重を救う手立てはない。
このとき氏重の勝利を祈っていたのも信じていたのも、実は萩姫しかいなかった。
乙女の惚れた男を信じる心だけが氏重の勝利を祈っていたのだ。
「氏重さま、氏重さま!!」
◇◆◇
(―――萩は助けてくれとは言わなかった。……ただただ、私の名前を呼んでいた。武蔵守どのはおろか、安田も可児もまともには討ち果たせない私を信じているんだ。―――私を信じろと口が裂けてもいえそうにない、この氏重を)
右手には半分に折れた槍がある。
これではバランスが悪くてまともに戦えない。
せめて刀の一振りでもあれば。
しかし、ぎりぎりまで身体を軽くして長可とやりあうとしたことで腰に刀はつけていない。
配下たちから借りるのも難しい。
(どうしょうか)
ふと、顔を上げると本堂の真ん中に黒い櫃があった。
同じく黒い鎖で縛られた櫃だ。
ここ数日寝起きを共にしたもので、多少の親近感がある。
その上に白いものがいた。
長い口長であった。
蛇だった。
しかも白いものはそうはいない珍しい。
このあたりの神の使いかもしれない。
槍を失い、このまま折れた半分を持って長可に突貫するしかないと思っていた氏重にとってそれは吉兆のように思えた。
御仏の加護があるかもしれぬ。
武器としては機能しそうもない槍を杖代わりに立ち上がった氏重は少し眼を見開いた。
黒い櫃を縛っていたはずの鎖がなく、ただ白い蛇が這っているだけなのだ。
まるで鎖が化けたかのように。
その異常な光景にしばし魅入りつつ、わずかに触れると、櫃の蓋がずっとずれ落ちた。
あれほど堅そうな櫃の内部が明らかになる。
「えっ」
氏重は息を呑んだ。
そこにはただ一振りの刀が眠っていた。
◇◆◇
「なにしてやがる?」
地蔵院の中に叩き込んだはずの氏重が姿を見せないので、さすがの長可も眉をひそめた。
殺した手応えはない。
もしや、地蔵院の本堂で頭をぶつけてのびてしまっているのかとも思うが、何やら動いている気配はする。
いつもの彼ならばそのまま内部に押し入って、文句を言わさずに突き殺すところだったが、ここに至るまでに丹羽氏重が見せていた必死の抵抗が面白かったためにもう少しだけ決着を先延ばししたくなっていたのだ。
長可が本気になって人間無骨を振るって生き延びているというだけで、かなり珍しいことだった。
しかも相手は元服したばかりで初陣も経験していないという小姓みたいなものだ。
実弟蘭丸という例外はあっても、通常、小姓程度ではたいした働きはできないのは当たり前のことだ。
なのに、あの丹羽氏重は見事な抵抗を見せている。
〈鬼〉が満足できるほどではない。
しかし、武士が楽しめるぐらいにはいい相手だ。
あの作兵衛と才蔵を捕らえただけでなく、それを餌にして長可を釣りだそうという性根も気に入った。
長可の脳裏に焼き付いているあの岩突きの男とやり合う前のお楽しみとしては十分すぎる―――武士であった。
「おもしれえな」
長可は舌なめずりをした。
こいつを仕留めればあの上諏訪で投げ飛ばそうとした時以上に、丹羽氏次を怒らせることができるかもしれない。
これまでに見たこともない最上の怒気が拝めるだろう。
「貴様の首を三河まで送りつけてやるぜ」
長可は人間無骨を腰に溜めた。
必殺の回転付きの構えと姿勢だった。
今まではよくぞ防いでいたが今度こそ、あいつのどてっぱらに大穴を開けてやろう。
ふらっと開けっ放しになった地蔵院の扉が揺れた。
奥から人影が現われる。
真柄直澄などはきっと逃げ出すだろうと内心決めつけていたのに、丹羽氏重は立ち合いの場に戻ろうとしているのだ。
槍の半分は折れて転がっている。
戦力は大幅に下がっていた。
これでは鬼武蔵に歯が立たない。
なにしろ牙が欠けたも同様なのだから。
のそりと太陽の光のある世界に少年が美しい顔を晒した。
表情に諦念はない。
それどころか、氷のようにすっと冷めていた。
「あ、あれは……」
その手には刀が一振り握られている。
四郎衛門も重盛も見たことのない拵えの刀だ。
なにしろ氏重のものは重盛が預かっているのだから、あれは彼のものではない。
では、なんだ。
ぞくり、とした。
その場にいたものたちの背筋に氷柱が差し込まれる。
刀の刃紋をみたことによって。
誰もが理解した。
あれは―――あの刀は―――
「殿、あれは鵜の丸の刀ではございませぬか。久々利の土岐悪五郎どのが久々利八幡宮から持ち出して都の大橋で人を斬り殺したという」
「……正月にやつが死んだとき、どこかに消えたと聞いているぞ。そうか、こんな寺に奉納されておったか。ここならば、まあ、そのうちに木曽川の荒々しさに流されて消えてしまうだろうからな」
「殿、あれはまさしく妖刀でござります。お気をつけなされい」
真柄直澄ほどの男が重々しく忠告すると、さすがの鬼武蔵も従わざるを得ない。
例え、相手がさっきまで圧倒していた少年と言えど、手にしている妖刀の放つ禍々しさは一味も二味も違う。
決して侮ってはいけない不気味さがある。
「このあいだ、諏訪でみた白い蛇といい、まったくわしはあの手のものに呪われているようだな」
「殿が片っ端から御使いらしきものを誅殺するからでござる」
「何を言う、あんなものをいちいち持て囃す衆が悪いのよ。わしらは人だ。神仏やら妖魅の類いなどに骨を抜かれてたまるものか」
不遜にも言い放つと、人間無骨をさらに強く握りしめる、
次こそ、眼前の美少年を真っ二つに両断するために。
「いくぜ、丹羽氏重」
氏重は手にした妖しき光を放つ刀を背負った。
力任せに一刀両断するための構えでもない構えだ。
しかし、目撃した真柄はうめく。
間違いなく正中線が氏重から消えてしまったからであった。
正中線は単なる身体の中心軸線ではない。
身体の曲直に左右されて、動きに歪みがあるからこそ見て取れるものだ。
しかし、このとき、氏重の肉体は正しく対称となり正中線が限りなく消えてしまう。
そして、それは動きが消えることを意味する。
「でりゃあああ!!」
長可の回転突きが放たれた直後、
「ふん!!」
両肩の消えた氏重の刀が振り下ろされた。
この「鬼の武蔵は、いやにて候」は第四回アルファポリス歴史・時代小説大賞応募作なので、とりあえず次回あたりで第一部完ということになります(それでも期日までには終わっていないので審査の俎上にはのらないでしょうね)。
ようやくキャラクターが出そろい個性が出たところですが、第二部からは小牧長久手の終戦にいたるまでを書く予定です。
多くの登場人物たちが派手に散っていく予定の第二部にご期待ください。
……その前に氏重くんと〈鬼〉の決着がありますけれどねwwww
うまく書きあげられたら朝日時代小説大賞に抜粋して応募しよう(≧◇≦)




