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鬼の武蔵は、いやにて候 -岩崎城陥落-  作者: 陸 理明
第一部 美濃剣戟編
24/26

鬼と少年



 氏重たちが隠れ場所としていた地蔵院は、地元の住人たちもあまりよりつかない場所にあった。

 住職もいなければ、通いの寺男もいない、ただの廃寺があるだけだからというだけでなく、木曽川の川沿いにある地盤のゆるい地域にあるうえ、蛇滑黒嶽という碑文のある崖がすぐ横にあるからだと博識の坂見但馬が言った。

 蛇が滑るということは、がけ崩れがあるということであり、それはすなわち過去において地元の人間が近寄りたくなくなる災害があったことを意味する。

 地蔵院が建立されたのは天正元年のことらしく、たった十年でこれほどボロボロになったのはおそらく寺から少し離れたところに地肌が見える場所があることから楽々と想像できた。


「寝ているときに流されたりしないだろうな」

「なあに、雨が降らない限り大丈夫だ」


 それでも地元のものたちが寄り付かないというのは、彼らにとってはありがたい隠れ家であった。

 氏重たちはここを隠れ蓑にして、奥美濃屋の酒を買いに出かけたり、金山の城下町で噂話を仕入れたりしていたのである。

 十日の間の仮宿であったとはいえ、住み慣れてみると愛着がわくものである。

 六人は意外とここが気に入っていた。

 もっとも最初から氏重はここを決闘の場所と定めており、念入りな支度を行っている。

 支度といっても罠を仕掛けたり、伏兵を配置したりではない。

 あくまで立ち合いの場所である地蔵院の細かな部分を頭に入れたり、いざというときの準備である。

 武士として鬼武蔵と対峙するからには、正々堂々と正面からぶつかりたいとは思っていた。

 そして、そうでなければあの〈鬼〉が満足するはずもない。

 例え負けるとしても、鬼がたらふく平らげて満足させることもできなければ武士としては恥である。

 まっすぐに純粋に氏重はそう考えていた。

 同時に自分に何かあったときについてきてくれた五人を逃がすための逃走経路の確保も行っている。

 小舟を用意し、少し下流では逃走用の馬を買っておいたのだ。

 例え森勢とはいえ、そこまで準備周到な逃亡のあとを追いかけることはできないだろう。


「しっかし、あの薄気味悪い櫃はなんですかな」

「ほっておきましょう。わざわざ藪を突く必要はないです」


 鈴木重盛の疑問に対して、坂見但馬が小声で答えた。

 それは地蔵院の本堂にまるで奉納されたかのように置いてある黒い櫃であった。

 大きなものではないが、頑丈な樫の木で作られた無骨なもので、開けられぬよう黒い鎖が一重に巻かれている。

 この寺に泊まった初日に須賀六蔵が試しに外してみようとしたら、あまりにきつく巻かれていて到底開けられそうになかったという代物だ。

 最初こそ薄気味悪かったが、数日もすれば慣れてしまい、六人の共同生活の中で顧みられることもなかったのだが、氏重によれば今日でここを離れることになる。

 となると、主人である若者のことも気になるが、あの櫃の中のものについても好奇心がむくりと頭を起こすというものだ。

 

「……そうだ。こんなところに捨てていったうえ、どう考えても厳重に封をしてあるのだ。どうせろくなものではない」


 戦場往来の武士はゲンの悪いものを嫌がる。

 老兵の今井勝澄からすれば、わざわざ怪しいものに興味を示すこと自体がツキが落ちかねない愚行だった。

 だから、若者たちの好奇心をたしなめた。


「だがよ、今井どの。気にならんといえば嘘になるだろう」

「ならんな。わしにとって大事なのは、氏重どのがある鬼を退治できるかどうかだけだ。うぬらもそちらを気にかけい。よそ事に気をとられるな」

「まあ、そうだけどよ」


 勝澄のいうことももっともだ。

 氏重は境内で槍を手にしてあの鬼武蔵を尋常に待っている。

 そちらの方が何倍も気にかかる。


「拙者たちも持ち場につきますか」

「そうだな。若にとっては正念場だ。おれたちが支えて差し上げねば」


 須賀四郎衛門と鈴木重盛、坂見但馬は黒い櫃から目を離して本堂の外に出ようとした。

 ただ、そのとき、坂見但馬の視界に一匹の白い蛇のようなものが見えた気がした。

 それは櫃の上でとぐろを巻いていた。

 どことなくあの黒い鎖が変化したもののように思えて仕方なかった……


「なにをしている、いくぞ但馬」

「あ、はい」


 もう一度確認もせずに坂見但馬は本堂を後にした。



              ◇◆◇



 陽がもうすぐ昇るだろう東の方角から、鬼がやってきた。

 見つけたのは前と同じく地蔵院の屋根の上から見張りをしていた須賀四郎衛門である。


「常に太陽を背負ってくるんですね、武蔵守どの。―――他に馬影は!?」


 四郎衛門の鷹の眼力がざっと見渡した限りでは、森の手勢らしきものは見当たらない。

 だが、ただ一騎だけ見覚えのある黒駒の乗り手につき従う巨大な武士がいた。


「真柄直澄だけがついてきています! 他は見当たりません!」


 上からの報告に対して、重盛が意見を述べる。

 

「本当に、鬼武蔵が自分だけであの手紙の呼び出しに応じたというのでしょうか。罠として、どこかに手勢をつれている可能性もあるのでは」

「罠というのならば、張るのはむしろこっちだよ、重盛。安田と可児を捕まえたのが昨日の夜になってからで、六蔵が文を射ち込んだのが真夜中。寝ずの門番が交代の時に気が付いて、それを武蔵守どのに届けてここに来られるまでは一刻もないはずだ。城内の兵を呼び集めたとしてもさすがにすぐには動けない。それに―――」


 氏重は空を見た。

 今日は青々とした日本晴れになりそうだ。


「あの御仁なら、私の挑発に乗ってくるだろうと確信していたよ」


 氏重は鎧をまとったりはしていなかった。

 あの人間無骨を相手にしては人体で最も斬りにくい首の骨でさえ泥に包丁を押し付けるかの如く斬り飛ばされるのだ。

 鎧など動きを重くするだけであった。

 一騎打ちをするというのならば、むしろ身体を軽くして速度で勝負するべきだ。

 腕と経験ではあちらが勝る。

 ただ、まだ育ちきっていない氏重には素早さとしなやかさがあった。

 そちらを活かす方がまだましだ。


「しかし、真柄がついてきておりますぞ。約定を違えたといえませんか」

「いいよ。約定破りしたとて、別にどうということはない。安田たちはあの淵に置いてきてしまったしね。気がかりなのは萩のことだけだよ。私が勝てた場合、萩の無事が保証されるかわからない。萩を助けられなかったら本末転倒になってしまうから」

「―――その心配はなさそうですぜ!!」


 上から四郎衛門が叫んだ。

 何やら興奮している様子だった。


「どういうことだい?」

「ちょっと遠目ですが、真柄のデイダラボッチ野郎が小脇に白いのを抱えております。例の大太刀も背負わずにいるくせに」

「それがどうした、須賀の兄貴の方!!」

「俺の眼には白いのはありゃあ女の足に見えやす!! もし、鬼の野郎が若のお見立ての通りなら姫さまじゃねえですか!?」


 氏重を除くものたちは顔を見合わせた。

 主人を信じていない訳ではなかったが、まさか本当に人質の交換という交渉に応じるつもりなのか、と。

 戦国の世の一国一城、七万石の武将がまさかそんなことをするとは思えないというあたりまえの発想なのだ。

 だが、ただ一人、丹羽氏重だけは手にした槍を両手で抱え込み、じっと大地を見つめていた。

 びくりともしない。


(兄上に伍するあの御仁がやってくる……)


 兄氏次の槍捌きを彼はよく知っていた。

 岩突きの槍と呼ばれる氏次の槍術は、敵兵ごと岩まで貫通する威力をもっており、腕前は音に聞こえた武芸者どもを上回ると言われていた。

 すべて本当である。

 氏重に剣を教えた鐘巻自斎が、「氏次どのの槍は天下無双ですな」と褒めたたえたほどだ。

 鐘巻自斎はあの宝蔵院胤栄とも交流があった武芸者であり、その言が嘘でなければ氏次は天下でも指折りの槍の達人といえよう。

 この時代の武士の強さというものは、現代の尺度では計れないものである。

 名の売れた武芸者も戦場では簡単に雑兵にとりつかれて死ぬのが当たり前であったからだ。

 その中でもまったくもってかすり傷の一つもしないで生き残る者たちが稀にいる。

 まさに天に愛されたものとでもいうべきものたちが。

 どれほどの激戦に挑んでも、数えきれない戦場に立っても、ときには傷を負うこともあるがほとんど奇跡のように毎回生き残る化け物がいるのだ。

 その一人が丹羽氏次であり、徳川家の本多忠勝であり、後の黒田家の母里太兵衛であり、


「森武蔵守長可どのだ……」


 そのいずれもがほとんど無傷で数多のいくさを駆け巡った武将たちであるということが、氏重には到底及ばないものであるように感じさせた。

 しかし、この命のやり取りは自分で決めたものなのだ。

 誰かに強いられたものはない。

 萩姫という許嫁が人質にとられてはいるものの、別に森家はなにかを要求してきた訳ではない。

 あっちの狙いはただ丹羽兄弟と本気で敵対して戦いたいだけなのだ。

 わざわざ氏重が自分の命を的にして誘き出す必要は欠片もない。

 しかし、そうはいかない。

 敵が鬼であろうとも、


「毫も屈するところなし!!」


 氏重は槍を抱えて立ち尽くすと、地蔵院の境内の中央に立ち尽くした。

 この日のために整えておいた。

 丹羽氏次に代わって、許嫁を救いだし、岩崎の城を蹂躙されたという恥をすすぎ、丹羽の男としての闘うため。

 朝陽が差し込んできた。

 やや丘の上にあるため、緩いスロープになっている入り口をあがって人馬が姿を現した。

 地獄の悪鬼と呼ばれている癖に、お天道様がよく似合う男であった。

 手にした槍の刃から反射する光が眩しい。

 翳になって顔は見えなかった。

 しかし、見覚えのある三日月の笑いだけは何故かわかった。

 透き通る殺意がもやをつくる。

 あのとき同様、本気の〈鬼〉が牙を剥こうとしている。

 のっそりと巨人真柄と小脇に抱えられた寝間着姿の萩姫もいた。

 寝ているところを強引に掴まれてきたらしいので、どうやら萩姫はそういう星の下に産まれているようだ。


「―――来たか、丹羽」


 やってきたのは自分の方だというのに鬼武蔵は横柄に言い放った。


(いや、金山までやってきたのは確かに私だったね)


 ならば鬼の言い分の方が正しい。


「参りました。あなたのところまで」

「まずは貴様からということでいいな」

「ええ、私からで」


 やはり鬼武蔵の狙いはまだ兄氏次なのだ。

 氏重は前座である。

 だが、兄のもとへこの鬼を向かわせる訳にはいかない。 

 槍を握る手に力が入る。

 ただ、決闘の前にただ一つだけ聞いておきたいことがあった。

 そのために氏重は重くなりつつある口を開いた。


「一つだけ、よろしいですか」

「何だ。言え」

「あなたがどうして私の呼び出しに応じてくださったのかを。あなたとて、私が大勢を引き連れ、鉄砲を伏せ、罠を張れば勝ち目はないでしょう。なのに、お連れは真柄どのおひとりのようだ。そこまで私を信じてくれたということでしょうか」


 すると、森長可は大きな声で笑った。


「増長するな、茶坊主。わしがおまえのような木っ端のことなど信じるはずがなかろう。―――わしがここまで来た理由はただ一つだ」

「……ただ一つ?」

「自分の城のすぐそばに敵がいるとわかっているのに討って出ぬなど、武士のやることではないからよ。わしは鬼でもあるが、武士でもある。武士たるもの、目の前を敵が横切っているのを見て見ぬふりなどできるはずがないだろうが」


 氏重はふっと目の前の鬼を羨ましいと感じた。

 この男は本物の鬼だ。

 しかし、鬼であるのと武士であるのは共存できる。

 鬼武蔵は確かに武士であったのだ。

 理由があれば牙を剥き、その果てに生きるか死ぬかのどちらかを選ぶ。

 そして、まだまだ若輩ではあったが、ここにいる少年もまた武士であったのである。


傍示本ほうじもと城主、丹羽次郎助氏重。いざ、尋常に勝負を」


 ゆっくりと海津黒から降りた森長可が応える。


「金山城城主、森武蔵守長可だ。―――首を貰うぞ、茶坊主」


 少年と鬼の二人の武士は真っ向から睨みあった……



 




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