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鬼の武蔵は、いやにて候 -岩崎城陥落-  作者: 陸 理明
第一部 美濃剣戟編
22/26

天狗飛翔


 須賀四郎衛門は内心舌を巻いていた。

 忽然と姿を現したあの黒い肌の忍びのことだ。

 一度だけ岩崎城で目撃したことがあったが、あの時から並大抵の忍びではないと思ってはいたが、実際に間近で見ると異常そのものだったからである。


(俺だってそんなに忍びを見た訳じゃあねえが、それにしたっておかしすぎる。山の獣……熊のものに気配が近い。こりゃあ、一筋縄じゃあ行かねえぞ、若)


 四郎衛門は狩人でもある。

 山の中で獲物を求めて何日も彷徨するなど産まれたときから日常茶飯事だ。

 その過程で山に住む民である山窩やら傀儡の一族と接触することもあるし、探索途中の忍びそのものに出会ったこともある。

 山で暮らすものたちは一様に気配を消すことに長け、特に手練れの忍びともなる獣に匹敵する隠形をみせることがあった。

 自然では己の気をある程度はコントロールできなければならないということだ。

 でなければ動物たちに見抜かれ、ひいては他の人間にすぐ見つかってしまう。

 四郎衛門ですら獣と同等まで気配を消すことができ、そのおかげで勘の鋭い二人の武士に見張っていることを悟られずに済んだのである。

 だが、その彼をしてあの黑影という忍びは異常だった。

 気配がほとんど獣と同様なのである。

 人間のものとはまったく違う。


(色が黒いってだけでなくて、本当に獣なんじゃねえのか)


 飛騨の黑影と名乗る以上、おそらく飛騨忍びなのだと思われる。

 近畿の伊賀ものと甲賀もの、関東の風魔、甲斐の武田忍びらと比べると知名度こそ低いが、岐阜にある岩崎出身の彼の耳にはよく入ってくる一族だ。

 確か羽柴秀吉が召し抱えていたとも伝え聞いている。

 現在、秀吉の下についている森家の飼っている忍びというのならありえない話ではないだろう。

 だが―――


「異国の人が忍びとはけったいなことですね」


 氏重は刀を車輪に構えた。

 狭い場所で刀を振るために左手首を柄にあてる構えだ。

 かつて、もともと北条に仕えていた鐘巻自斎という剣の達人にわずかな期間だけ教えを受けたときに学んだ剣術である。

 まだ身体のできていない氏重では、兄のように自在に槍を振り回す筋力がないが、剣術ならばそれなりのものがある自負している。

 実際、岩崎城ではまだ十六歳の氏重に立ち合いで勝てるものはほぼいないほどだ。

 この年齢でこれほどのまでの剣力はそうそう身につくものではなく、「代々続く丹羽家の血ですかな」と噂されているが、氏重の天稟もあったであろう。

 また、自分の剣に自信がなければあの鬼武蔵に挑もうとは思わぬに違いない。


(もう一人いたか……)


 森に入ってきたときは、作兵衛と才蔵だけであったからこの二人だけと早合点していた。

 まさか、森に入る前にもう一人が様子を見るために別行動をとっていたとは氏重も読めていなかった。

 しかも、それが黒人の忍びとは。

 岩崎城における萩姫略取のときに存在は知っていたということを加味すると、氏重のしくじりといえなくもない。

 忍びは純粋な戦闘能力でいえば鍛え上げた侍に勝るものではない。

 そもそも役割が違うのだから当然だ。

 しかし、目の前の異人の忍びについてはそうではない。

 あの時に確かに目にした。

 

(手足の伸びが異常だった)


 黒人の体型は黄色人種とは全く違う。

 さらに言うと、アジア人の中でも日本人は背が低く、胸板も薄い、比較的貧相な身体つきになることが多い。

 それは胴体の断面を上から見た時に楕円の日本人と正円に近い黒人種との差だと考えられている。

 元が楕円の場合、筋肉がついても突き出ることはないが、正円の場合膨らんでがっちりしたいわゆるマッチョ的な筋肉質になりやすいのだ。

 さらに黒人は腰の位置が高く、肩が張りだして、四肢が長くなるという体型に育ちやすい。

 弥助―――黑影もそういうスタイルの持ち主であった。

 長可の依頼で黑影に短期間の忍びとしての修業をつけた朱鷺影という飛騨忍びは、この長い手足を活かした術を施した。

 もともと信長の家臣団から武術の稽古を受け、炎上する本能寺から逃げ出し、二条御所では信忠とともに戦い抜いたほどの身体能力を有した弥助は、ほんの数か月で長可の手助けができる程の忍びに育て上げられた。

 賤ヶ岳の戦いでも長可のために働いている。

 岐阜城にこもる織田信孝のもとに向かう奥美濃の遠藤慶隆の郡上ぐじょう兵八百が須原砦を落とし、地蔵峠を越えて立花まで進んだのを長可に報せたのである。

 遠藤勢は長良川の西岸の郡山街道を進んでいたが、森勢が手前で陣を敷いたことでその進軍を止めざるをえなかった。

 無理をして岐阜城に向かえば、背後から鬼武蔵の軍勢に追撃されれば簡単に全滅させられてしまう。

 仕方なく立花山に陣を敷くしかなかった。

 この時、珍しく長可は派手に攻防することをしなかった。

 何故かというと、郡上郡の遠藤氏と森家は友好的な関係にあり、今回の派兵は恩のある柴田勝家の依頼で動かざるを得なかったという遠藤慶隆の事情があってのことであったからだ。

 また、長可に遠藤家の攻略を命じたのが羽柴秀吉であったから動いてやったにすぎなかったのである。

 しかし、遠藤慶隆が釘付けにされている間に賤ヶ岳の合戦は終わり、柴田勝家は討ち死にすることで織田家の後継者争いはほぼ決まった。

 秀吉から今度は東美濃の鎮定を命じてきたこともあり、長可はたまも積極的に戦いを開始していく。

 弥助―――黑影はその多くにおいて陰から長可を支えていく。

 通常の忍びや山窩以上の素早さで長距離を走り抜く黑影のおかげで、森勢は美濃の敵の動きはあっというまに察知できた。

 しかも、時折戦いとなったとしても四肢が長く奇襲的な動きの可能な黑影は抜群の働きを示した。

 長可の食客である安田作兵衛、可児才蔵、真柄直澄と並ぶ側近となったのも当然のことであろう。

 その事実は知らずとも、氏重からすればあのとき伊賀の服部半蔵を翻弄した動きが目に焼き付いている。

 屋根の天窓から飛び出してきた襲撃を躱した半蔵だったのに、ありえない位置から伸びてきた手に捕まえられ、抱えていた萩姫を奪われた。

 おそらく黑影の長すぎる四肢に惑わされたのだろう。

 加えて動きが凄まじく速い。

 懐に飛びこまれてはやられる。

 あの速さの飛び込みをする相手に刀を振り回すのは悪手だ。

 小回りの利いた斬撃が求められる。

 氏重は摺り足で立ち位置を変えた。

 黑影の眉間にしわが寄る。

 あえて氏重が彼と投網で捕らえた二人の間に位置をとったことを悟ったからだ。

 意図はわからずとも無意識でしたことではないだろう。

 この美しい少年武士が並々ならぬ強敵だということを見抜いていた。

 少なくとも黑影の僚友である悪魔のように狡猾な二人を無傷で捕縛したというのだから、かなり知恵のある者に違いない。

 黑影もずれると、氏重、作兵衛たち、そして淵の水面が直線状に並ぶ。

 弓をもった四郎衛門が気になるが、なぜかあいつは動こうとはしない。

 剣士にすべてを任せているのか。

 そういう命令が出ているのか。

 わからないが、動かないというのならば好都合だった。

 忍びらしい短めの刀を左で逆手にもち、黑影は機を窺った。

 飛び込んで襟を掴むか腹を刺す。

 氏重が腰を落とす。

 黑影はやや右足を前にして立ったまま、爪先で落ちていた小枝を踏んだ。

 小枝は先の方から垂直に立つ。

 立っただけでなくくるりと回転して上に跳びあがった。

 その小枝を黑影の右手で掃うと、そのまま氏重まで飛んでいく。

 間髪をいれず、眼前の奇妙な小枝の動きに釘づけになり、おそらくは刀で撃ち落とそうとする氏重の懐に入り込むつもりだった。

 黑影は一瞬でこれができる。

 すでに何度も実戦で実践したことのある技だった。

 だが、氏重の次の動きは想定していたものではなかった。

 彼は後方に飛び退って小枝を刀で叩き落し、黑影を懐に入れなかったのだ。

 氏重の後ろで投網に絡みつかれている作兵衛と才蔵が、


「ぐぇっ!!」


 と、牛に踏まれた蛙のように叫ぶ。

 実際、飛び退った氏重が背中に乗っかったのだからその声も仕方のないところだ。

 少年とはいえ、それなりに目方がある。

 小鳥が止まったようなわけにはいかない。

 だが、その飛翔はまるで天狗のごとく。

 想定していなかったとはいえ黑影もただの忍びではない。

 一度目は懐に入れなかったとしても、地面の上から他人の背中に飛び乗ったのならば足元は不安定極まりないはず。

 もう一度詰めれば、今度こそ行ける。

 足場となる二人には悪いが、ともに頑丈な武士であるから踏まれたぐらいでは怪我はしないだろう。

 作兵衛たちを傷つけないように万が一を考え、忍び刀で斬りつけるのではなく、氏重の腰に身体全体でぶちかまして体格差で制圧することにした。

 上半身を低くかがめ、三本刃の槍のようにすくいあげる突撃を敢行する。

 例え氏重が刀を振れたとしても致命傷にまではいたらないはずだ。

 格闘技の技法が進化した現在でも地を這うような鋭いタックルを切るのは難しい。

 しかも黑影と氏重では体格に違いがありすぎる。

 しがみついてしまえば勝負ありだ。

 だが、黒い獣が低く低く滑空したとき、


「お、おっ!!」


 厚い唇から漏れたのは驚愕の吶音であった。

 後ろに飛んで作兵衛の顔を踏みつけたあと、なんと氏重はさらに後方にもう一度跳ねたのである。

 淵の水面へと。

 そのまま水中に逃れるつもりではないことは一目瞭然であった。

 いつのまにか小船が接近していたことを見落としていたのだ。

 氏重は身軽に一層の小舟の縁に足場をとった。

 源氏の九郎判官のように。

 考えてみれば、この淵での龍神騒ぎが人為的なものだとすれば、毎日怪しげな格好で酒を買い、丁稚を連れ出して森まで誘い込み、隙を見て大石を水面に投げ込んで擬装したのも氏重らである。

 龍神の使いのバケモノを騙ったのだ。

 となると、丁稚の証言にある「白いものが淵を遠ざかっていた」というのも氏重たちの仕業であろう。

 その場合、考えられるのは船を使って白いものをもった何者かが向こう側まで音を立てずに漕いでいったということである。

 であれば、氏重達は船を有しているはずだ。

 そこに思い至らなかったのであるから、迂闊そのものといえよう。

 黑影には意外と手強そうな氏重に集中するあまり、船の存在を看破できなかったという瑕疵があったのだ。

 その失態はさらなる集中の乱れを生む。

 氏重の動きに呆気にとられた結果、追撃するためには踏み込む足の位置を変えなければならず、さすがに咄嗟にはできなかった。

さらに弓を構えていた須賀四郎衛門のことを失念してしまったのだ。

 結果、狩人の矢は黑影の左肩を貫いた。

 矢の恐ろしいところは治りにくいことだけでなく、人体に与えられる衝撃―――什器の弾丸でいうのならばマンストッピングパワーによる内臓や筋肉、骨への余波だ。

 だからこそ、弓矢による攻撃は警戒されるのである。

 ただの怪我で済むのならば兵士はもっと戦場で突撃している。

 威力が弱い短弓とはいえ、がっつりと射られてしまった黑影は横に倒れた。

 足場にした船でいったん態勢を整えてから、もう一度氏重は岸へと舞い戻った。

 矢を射られた激痛で気を失いかけていた黑影の喉元に刀の切っ先を突き付ける。


「四郎衛門、縄をもってきてくれないか」

「は、若」


 岸につけた一艘の船から、老武士も降りてくる。

 今井勝澄である。

 山育ちであるが、主の命令とあらばどこにでもいかねばならぬ使番として、このような渓流での操船にも長けていた。

 いざというときに氏重達を逃がすためにも船は重要であり、今井の経験を買ってこその役割だった。

  

「あの時の借りを返させてもらいます、武蔵守どの」


 森家にとっての重要な戦力を三人まで人質にとったことは大きいと氏重は確信していた。




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