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鬼の武蔵は、いやにて候 -岩崎城陥落-  作者: 陸 理明
第一部 美濃剣戟編
2/26

信長の試し

 氏次と氏重の父親にあたる丹羽氏勝(うじかつ)は、尾張の国にある岩崎城の主人であった。

 織田信長の直臣であり、永禄十二年(1569年)に伊勢大河内攻め、元亀元年(1570年)に姉川の戦い、野田・福島攻城戦等に参加している。

 浅井・朝倉軍が挙兵した際に坂本に移り、比叡山の戦いや越前攻め、紀伊国雑賀攻めなどの大きな戦にも名前が残っている。

 だが、天正八年(1580年)四月二十四日、信長が鷹狩のために伊庭山に訪れたとき、氏勝の配下が大石を切り出す普請をしていた際に、配下の手元が狂って目の前に大石を落としてしまい、その罪で信長の怒りを買ってしまったらしい。

 同年八月には、林秀貞と安藤守就と共に織田家から追放されることになる。

 はっきりとした理由は明らかにされていない。


「いいか、氏重。何度でも繰り返すが、おれたちの目的は上様の父上へのお怒りを解いていただくことだ。それにはおれとおまえが誠心をもってお仕えする必要がある」

「わかっております、兄上」


 上諏訪における信長は、甲斐攻めの論功行賞でやってくる武将の対応で休む暇もない忙しさのはずだ。

 運よく御前に参上できたとしても、一言二言の話ができれば御の字といったところだろう。

 その短い時間でなんとか良い言葉を引きださねばならない。

 氏次はそっと弟を見た。

 頬が熱くなるものを感じた。


(……まったく我が弟ながら美しいものよ。あの蘭丸殿も絶世の美青年だが、身内の身びいきだとしても、氏重はまさるとも劣らぬ。こいつならば、上様の御前にさえ顔を見せることさえできればすぐにでも近習にとりたてられるやもしれぬ)


 氏次の策とはこういうことだった。

 古来、我が国では男色も禁忌といえるものではなく、かなり普遍的な色の道の一つであった。

信長ですらこの時代の武将の常として近習の小姓を愛の対象としていたのである。

 特に有岡城攻めで討死した万見仙千代、森蘭丸と続く系譜を鑑みると、どうやら人並み以上の美貌と秀でた才覚をもつものを好む傾向があるようだった。

 そして、小姓は性質上、いつまでも同じ地位にはいられない。

 同じく近習のままであったとしても、小姓ではなく次第に一人の武士として扱われるようになっていく。

 現在、十八歳の森蘭丸とてやや年を食いすぎているといってもいいのだ。

 氏次の狙いは、将来的に空くであろう信長の小姓の枠に弟・氏重を据えようというものであった。

 氏重が小姓の地位にあがり、運よく信長のお気に入りにでもなれば氏勝への怒りも緩和され、家中に復帰することができるのではないか。

 それが目的である。

 兄としての贔屓目なしでも氏重は傑物であった。

 一度でも御前に拝謁できれば、それでなんとかなるとこの時は確信していた。

 そのために氏次は甲斐攻めに挑む信忠の指揮のもとで獅子奮迅の働きをみせて、手柄をたてて、この場にやってきたのだ。

 信忠が氏次の頼みをきいてくれ、丹羽兄弟の直々の拝謁が許されたのはほんのわずかな時間であった。

 だが、そのわずかな間が丹羽家にとって大きな分水嶺となることは明白である。

 まずは氏次が、次いで氏重が信長の前に出る。

 左右を重臣たちが挟み込むように並んでいる。

 奥には例の森蘭丸もいた。


「久しぶりだな、氏次」

「は、上様もご機嫌麗しゅう」


 多くの者に魔王と恐れられている梟雄は珍しいことに機嫌がよさそうであった。

 普段は冷徹で酷薄そのものといってもいい笑みを口元に浮かべているだけであるのに、今日に限ってはとても、そう、ある意味では無垢な素顔を見せている。

 そんな錯覚に囚われてしまった。


菅九郎かんくろうがおまえに面倒をかけたとこぼしておったぞ」

「いえ、そのようなことは。岐阜左中将さまこそ、最前線で戦われていたときいております。特に高遠の戦いでは、ご自身で城の備えをお破りになったと」


 岐阜左中将とは嫡男信忠のことである。

 菅九郎も信忠のことであり、父である信長や親しいものだけが呼ぶ愛称でもある。

 このときの氏次はそこまで親しい身内という訳ではないので、他の臣下と同様に岐阜左中将と呼ぶしかない。

 七年前の長篠の合戦の後に織田家の家督そのものは信忠に譲られている。

 武田信玄がいなくなったとしてもまだ上杉謙信、本願寺が残っている中、息子に家督を譲るというのは博打ともいえる出来事だったが、信忠は父からすべてを受け継ぐだけの情けない息子ではないということを証明してみせる機会を与えられたともいえる。

 実際、今回の甲斐攻めにおいては信長の力はほとんど借りずに自力で大敵武田を滅ぼしている。

 実権が信長にあろうと、後継者としての素質は十分にあるということを天下に見せつけたのであった。


「総大将がなにをやっておるのか、まったくあやつは……」


 信長は苦笑いをした。

 高遠城での戦いについては把握しているらしい。

 そのときの息子の無茶な戦いぶりについても怒りよりはむしろ面白がっているようだった。

 

「勝蔵があまりに傾くゆえ、真似でもしたくなったのだろう。予の息子ゆえ、無茶が過ぎるのはわからなくもないが、なんとか今のうちに総大将としての自覚をもたせぬとならんな。攻めるべきときと動かぬときの区別がつかねば、天下を取ったのちにしなくてもいい苦労をするだけよ」


 甲斐攻めの総大将は信忠であった。

 森長可、団忠正を先鋒として、木曾口、岩村口から出陣させ、信濃を蹂躙させたのである。

 信濃の木曾谷は、美濃に接し、尾張・三河を繋ぐ要衝であるため、武田信玄の娘を嫁にした木曾義昌が守護していたのだが、この年二月一日に武田方を裏切り織田に寝返った。

 義昌の案内のもと、突進する濃尾の兵はまるで無人の野をいくがごとく席巻していく。

 そして、月末には駿河往還上の地を護る穴山梅雪が武田を裏切った。

 梅雪の母は信玄の姉であり、信玄の娘を妻に持つ、親族衆の筆頭である。

 勝頼にとってはもっとも信頼できる家臣であった。

 ゆえにその裏切りは武田にとって絶望的な出来事となる。

 武田家の武士たちはこれですべてが終わったと悟った。

 ただ一人、その崩れゆく名門のために命を燃やした若き武将がいた。

 信州高遠城の仁科盛信にしなもりのぶである。

 盛信は勝頼の異母弟であり、信忠からの降伏勧告に対して、


「当籠城の儀、一端一命を勝頼の方へ武恩のために報いたく候。信玄公以来の鍛錬の武勇の手柄の程、御目に懸くべき候」


 と、信忠の使いとしてやってきた僧の額に焼け火箸をもって「信忠」と烙印をし、耳と鼻をそぎ落として馬にくくりつけて送り返した。

 この僧侶が早くから織田につき、信濃の多くの武将を裏切らせるためにあちこちを廻っていた、ある意味で売僧であったことを知っていたからであろう。

 使いのものにこのようなことをしでかせば、信忠が烈火のように怒り狂うことを見越しての挑発であった。

 このとき、盛信は十九歳。

 織田家の本気の進軍にかかれば一日とてもたず落城するかもしれないとわかっていても、逃げることはできず、ただ為すすべもなく死ぬのはごめんだという戦意にみちた若い魂であった。

 このときの信忠の布陣が、団忠正、河尻肥前守、毛利河内守、滝川一益、前田利益、そして森長可だということを考慮すると、とてもではないがいかに要害であってもちっぽけな城が抵抗できるはずがない。

 だが、盛信の手勢は死力を尽くして奮戦し、婦女子までも自害して、一兵残らず玉砕した。

 信忠にとっては甲斐攻めにおいてもっとも戦いらしい戦いの舞台となったのである。


「―――勝蔵めはな、本丸にまで出向き、わざわざ仁科とやりおうてきたそうじゃ。首級まではとれなかったそうだが、返り血で真っ赤になっておってな、それをみた菅九郎めは勝蔵は手負たりと勘違いしたそうだ。まったく、将たるものが敵城の本丸までいってくるとは何事じゃと、さきほど叱っておいたわ」


 信忠の話だったはずなのに、いつのまにか森長可の武勲にすり替わっていた。

 信長にとっては自分の息子の勲氏よりもそちらの方が痛快だったのだろう。

 その高遠城の戦いにおいて、森長可は二度の軍機違反を犯して書簡でまで叱咤されているので笑い話ではすまないというのに、信長は心底楽しそうであった。

 氏次もあまりみたこともない笑顔である。


「鬼武蔵殿……ですか」

「そうだ。予が名付けた。あやつには相応しい名だと思ってな」


 軍機違反を犯しても信長に笑ってすませられる武将というものが、どれほど稀有なのか、織田家の家中のもののみならず一般の民草でさえよくわかっている。

 さきほど、長可にいきなり絡まれた氏次にとっては理解の範疇の外にある相手であった。


「それで、氏次」

「はっ」

「おまえは自分の手柄をもって氏勝の命乞いに来たという訳だな」


 空気は―――変わっていない。

 信長はさっきまでと同じままだ。

 笑いながら鬼武蔵の話をしていたときと同じ。

 

「御意」


 否定はしなかった。

 その通りだからだ。

 信長の問いに異議を唱えられるほどの度胸がなかったということもあるが、氏次はまさしくそのためにここにいるのだから否定してもはじまらない。


「おまえが大きな手柄を立てたということは聞いている」

「はっ」

「それと引き換えに父親を許せという心もわからなくはない」

「はっ」


 ぎろりと信長はみた。


「足りんな」


 氏次は応えられなかった。

 

「親父の命乞いをするためという重さに対して、おまえが立てた手柄だけではまだ足りんな。―――予の命を覆すためには、全くもって足りんな」


 専制君主の酷薄な薄ら笑いがあった。

 取り囲む家臣たちは顔色一つも変えない。

 よくあること、だからだ。

 織田信長という男につき従うものにとってはとてもよくあることだからだ。

 

(試されている)


 氏次は悟っていた。

 これが信長の試し、だった。

 旗下のものたちがときおり奇妙な追放の憂き目にあったり、突然成敗されることがあるのはこのせいだった。

 織田信長という武将は兄弟にも親族にも家臣にも同盟者にもよく裏切られることで知られている。

 だが、一度裏切ったものでも降伏して帰順すればなんなく許してしまったりもする。

 度を越えたお人好しではないかと言われることもあるが、実際は違っていた。

 信長は仕掛けるのだ。

 そこで裏切るべきかどうか、降伏するかどうか、あえて逆らう道を選ぶか。

 巧妙に絡新婦の巣のように張り巡らされた信長の思惑を正確になぞり、正解を見つけることができるかどうかが何よりも重要なのだ。

 そして、今。

 信長は氏次を試している。

 お題は一つだ。


「父親を助けるためにどのような満額回答をだせるか、どうか」


 である。

 おそらく父である丹羽氏勝はその試しに破れたのだろう。

 だから、織田家を追放された。

 とはいえ成敗されていない以上、そこそこ間違ってはいなかったはずだ。

 見返りとして丹羽家そのものが滅ぶことはなく、嫡子である氏次が家督を継ぐことは認められ、氏勝の追放だけで終わったのだから。

 だが、今回、もしも誤れば氏次の命だけではすまないかもしれない。


(どうする……?)


 氏次がなにも考えつかず、そろそろ信長が痺れをきらそうとしていたとき、後ろから鈴の如き声がした。

 なにより聞き覚えのある弟のものであった。


「鬼退治―――などはいかがでございましょうか」


 斜め後ろに控えていた氏重が言ったことだと気が付くのにわずかにかかった。

 もともと氏重には挨拶以上のことはさせるつもりはなかった。

 弟の美貌があれば主君が喰いつくだろうとたかをくくってはいたものの、いかに如才ないとしても十五の少年では信長とは口を利くだけでも困難だろうと思っていたからだ。

 制止するのが遅れた。

 その分、信長の方が早かったのだ。


「―――鬼退治、といったか」

「御意」


 つき従っているのは弟の氏重であるとは最初に伝えてあった。

 氏重が顔を上げると、信長が素面になる。


「私と兄の二人で、これから上様が御覧になりたいであろう鬼退治をお見せします」


 弟が何を言っているのかわからなかった。

 鬼退治、わたしと兄の二人。

 それが氏勝の命乞いに結びつくのか。

 だが、信長と氏重の会話が成立してしまっている以上、もう口を挟むことはできない。

 なりゆきに任せるしかない。


「なぜ、予がそのようなものをみたいものと思う?」

「失礼ながら」


 氏重は一つ呼吸を溜めて、


「上様は面白いことがお好きであらせられる」


 さらに、


「周囲の方々があたりまえの反応を示すことはお嫌いでございまする」


 と断定した。


「そうだな。で、おまえはその二つを満たせるのか」

「御意。ゆえに鬼退治をご覧にいれまする」


 しばらく沈黙の後、信長はひとしきり爆発じみた笑いを起こす。

 あまりに大きな音のため、常ならぬことで、奥に隠れていた護衛が顔を出すほどであった。

 生きた心地のしない信長の爆笑が止んでしばらくして、


「……おまえ、氏勝の息子だったな。確か、予の小姓にしたいとあやつが言うておったのを思い出したぞ」

「はっ」


 氏重が控える。


「面白い、やって見せろ、その鬼退治をな。―――お蘭。おまえが金山にいくとなると後釜が必要だったはずだ。三職推任さんしきすいにんが終わり次第、そこの氏勝の息子をおまえが躾よ」

「御意」


 信長の後ろに控えていた森蘭丸が応えた。


「よい、二人とも下がれ。笑わせてもらった礼に、おまえたちの願いは聞き遂げてやろう。予が安土城に帰り次第、氏勝をおまえたちの岩崎城に戻すがいい。そこの童子頭はそれから予のところに来い。―――蘭丸、おまえの代役だ」


 森蘭丸は感情のこもらない顔で一礼をした。

 噂に聞く秀才らしいそっけなさであった。

 それ以上、語ることはないというように別の武士が案内されてきたので、氏次たちは謁見のための間から出ざるを得なかった、

 氏次にはさっぱりわからない謁見はこうやって終わったのである。

 ただ、いえることは、


(一応、おれの考えた筋書き通りにはいったということだけか……?)


 主君も弟も、氏次にはなんとも理解できないものたちだということだけが骨身に染みていた……

 





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