忍びの影
いかに 小さい野城とはいえ、あれほど大勢の忍びが陽の明るいうちから潜り込めるはずがない。
普段から城主または城代の指揮のもと、それなりに警戒を怠らない城ではあるのだ。
しかも、城兵たちはすべて顔見知り以上の関係であり、城下の町からくるものたちもほとんどが知り合いなのである。
本来、間者の類いが忍び込むには難しい拠点であった。
だが、城の屋根の上に忍びもせずに立つものたちは紛れもなく侵入者である。
もっとも、どうやってはともかく、いつの間にという問いについては誰でも答えられたであろう。
「鬼武蔵に気をとられすぎておったか!!」
まっさきに反応したのは、老いて病に伏せていたとはいえ往年の名将氏勝であった。
森長可一党というとてつもない炸裂弾が投げ込まれたことによって、岩崎城のすべての関心が一か所に集中した隙にまんまとしてやられたということである。
しかも、忍びが人質としている萩姫はついさっきまで庭にいたにも関わらず、ほんのわずかな時間の間に略取されているのだ。
誰も気が付いていなかった。
かなりの忍びの術の達者であろう。
「萩になにをする!!」
氏重が叫んだ。
対峙している安田作兵衛から目を切ってまで、勇敢な美少年は許嫁を攫おうとしている賊を睨みつけた。
もし、作兵衛がその気であったのなら、無抵抗な大根のごとく切り刻まれていたであろう。
ただ、そんな氏重の様子を獣のような赤錆の槍の使い手はにたりと異様な笑みを浮かべて観察していた。
「何やつだ!!」
氏次はさすがに長可から完全に注意を外すことはしなかったが、それでもこの事態に対して城主として動かぬわけにはいかない。
すかさず手振りと目による合図で城兵たちを殺到させようとする。
しかし、忍びどもも当然ながらそうはさせまいとする。
「おっと、何もしないでもらおう、丹羽どの。拙者たちはお手前の敵対者にあらず。できることならばこの話し合いがすんでも、拙者たちを無事に送り出してもらいたいところでござる」
「……質をとっておいて戯言を抜かす。おれが自分の城に潜り込んだネズミを首が付いたまま逃がす男だと思っておるのか」
「思うておりまする。なぜなら、拙者はお手前とその郎党のためにここにやってきたのですからな。……まさか、森どのと被ることになるとは考えもしませんでしたが」
忍び達は少しでも動き出そうとすると城兵たちを目で追い、実際に動くものの足下に短弓の矢を放っていた。
明らかな威嚇であったため、激するものはでなかった。
また、命令を下すべき、氏次、氏重、氏勝の一挙手一投足が完全に封じられているため、勝手に動けないということもある。
加えて、森長可一党に背中を向けることも恐ろしかったという事情もあった。
岩崎城のものたちは一人残らず硬直したかのように動けない有様だったのである。
「丹羽のためだと……?」
氏次は訳が分からない。
この忍びはわざわざ陽の出ているうちに現われて、しかも女を人質にとっておきながら何を言い出そうとしているのか。
そもそも、この忍びは誰が放った間者なのか。
それがわからなければ手の打ちようがない。
もうすぐ陽が落ちることもあり、すぐにでも片をつけなければならない。
「―――あいつ、見覚えがあるぞ。信孝さまのところに何度か忍んできていた。徳川どのの書状を運んで来ていたはずだ」
意外なところから答えが出てきた。
可児才蔵だった。
念願の氏次との決闘を止められた長可が、気の弱いものなら自害しかねないほどのぎらぎらした殺気をこめて忍びを凝視しているのに比べて、笹の飾りをまとった武士は比較的冷静な顔をして、髭を撫でていた。
涼しげで、匂いたつような男ぶりである。
主人程好戦的ではないようだ。
しかし、おかげで侵入者の素性が割れたともいえる。
「徳川―――三河の手のものなのか?」
「そうだ、伊賀ものだ。信長公に故郷を焼かれた腹いせに信孝さまを害するんじゃないかと、俺を含め腕の立つものを並べたうえで面会を許されていた。まあ、忍びらしく任務に忠実なのはよかったな」
「ふん、やはり信孝さまは徳川と通じておったか。腹を切らされても仕方ないところだったようだな」
長可が問いかけた。
「で、貴様はこの勘介に何の用なのだ? わしの楽しみを邪魔しに来たわけではあるまい。こととしだいによっては槍で刺し殺すぞ」
いかに人間無骨が長槍でも屋根の上のものを貫けるはずもないが、殺気のこもった言葉にさすがの忍びも緊張したように固まった。
岩崎のものも、長可一党の会話に聞き耳を立てていたためか、あの忍びがどのような答えを返すのか注目する。
わずかな沈黙ののち、頭領らしい忍びが口を開く。
「丹羽氏次どの。お手前をお迎えに参った」
「なんだと?」
「お手前が過日、織田信雄さまのお怒りにあい、内通の疑いありとして捕縛されるのをおそれて出奔したことはわかっておりまする。そして、家臣の方々を浜松城に向かわせたことも」
「なぜ、知っておる!?」
「徳川さまは信孝公のみならず、信雄公の傍にも常に我ら伊賀ものをおき、あらゆることがらを報告させておりましたので簡単なことでございます。―――そこの可児どのが信孝公の内実を森どののもとへと流していたように」
その指摘を受け、可児才蔵は顔を剽軽に歪ませた。
図星だったのだろう。
「我が主君は、お手前のような勇者がくだらない讒言によって謀殺されることを阻止するために我らを岐阜城へと向かわせました。もっとも、それは意味がないことでした。まさか、疑われたとみるやいなや、朝駆けで岐阜城を出ていってしまうとは思いもしませんでしたから。報せを聞いたとき、いや、胸のすくような気持ちでしたぞ」
古今、武将にとって大切な素質の一つに引き際がよい、ということがある。
負け戦がきまったときにいつまでも戦場に拘っていては泥沼に陥るから、優れた武将程あっけないほど簡単に退却を決断する。
愚かなものがいつまでもいくさに執着を続けるのだ。
現在でいう損切りの見極めが恐ろしく早く、逃げ足も凄まじく早い。恥や外聞など気にかけないほどの逃亡劇を行う。
生きていさえいればそれでいいと割り切るのである。
そして、氏次も良将の範囲に含まれる漢であった。
「ゆえに進路をかえて、岩崎城までお迎えに参ったという次第でありまする」
(筋は通っている)
氏次はそう考えた。
だが、わからないこともある。
「では、なぜ、萩姫を質にとるのだ。おまえのやっていることは、岩崎に住まうものたちを敵に回すことだ。そこな姫は、我が舅の景常どのの娘であり、おれの弟の許嫁だ。毛一筋でも疵付ければ即刻八つ裂きにされるぞ」
その言葉に城兵たちも同意の叫びをあげる。
ただでさえ、女子供を人質にとるというだけで卑怯なのに、それが自分たちにとっても大切な姫である萩姫なのだ。
許せるはずがない。
「萩を返してもらおう!!」
氏重が進み出た。
こちらはさっきから黙っていたが、全身から噴きあがる憤怒の気迫は他の追随を許さない。
白皙の美少年が心の底から怒りに震えているのだ。
「勘違いしないでいただきたい。拙者たちがこの方を人質に取っているのは、お手前方のためなのですぞ」
「なんだと?」
「……拙者らがこの姫を預かっているだけで、丹羽どのは本気にはなれないでしょう。そこの森どのは本気でないものと戦うためにわざわざこの岩崎の城までおいでになった訳ではありますまい」
すると、長可は嫌そうな表情で、
「まったく貴様のせいで勘介のやる気がそがれてしまったぞ。苦労して、織田陣営から追い出せてようやっと戦りあえると思っておったのに無駄足になったわ」
「なっ!? どういうことだ!?」
「貴様に叛意ありと信雄さまに告げたのはわしの配下よ。同じ陣におってはいつになっても貴様とは敵になれんからな。貴様が岐阜城から逃げたというので、これ幸いとこんな岩崎くんだりまで乗り込んで来たというのに、拍子抜けしてしまった」
心底悔しそうな長可であった。
一方、氏次はその告白を冷静に受け止められない。
まさかまさか、自分を陥れた讒言がこの男の考えたものだったとは……
思わず岩突きの槍を握りこむが、もし自分が激したらあの忍びが萩姫になにかをするかもしれんと考えると、弟のためにも無茶はできなくなった。
そのあたり、あの忍びの計略は的を射ていたといえよう。
「だが、ちぃとだけ面白いことを考えついたぞ」
長可の三日月の如き笑みが浮かぶ。
最初は氏次を、それから舐めるように氏重を見やった。
見られた側からすれば怖気の走るような視線であった。
「その娘、貴様の女か、氏重ぇ」
「―――そうです!!」
「なら、こうしよう。……おい、忍びよ。貴様が噂に聞く服部半蔵とかいう伊賀ものだな」
忍びは答えない。
逆にそれが明確な回答のようにも思われた。
服部半蔵正成というのがこの忍びの名であった。
「貴様には腹も立っているが、いいことを教わった。お返しにわしから貴様にもいいことを教えてやろう」
「……」
長可は槍を引き、なんととことこと歩いて愛馬の海津黒にまたがった。
ただ騎乗するだけですべての耳目が彼に集まる。
この場での主役はまさに彼であった。
「……貴様らがこのぼろ城に容易く潜り込めたように、他にも同じことをしているものがいるんだよ」
「森どの、何が言いたいのでござるか」
「そいつはあの焼き討ちにあった本能寺からまんまと逃げのびて、なんと二条御所に潜り込んで信忠さまとともに戦い、またまた生き延びたしぶとい黒猿でな。……少し忍びの術をしこんだだけで随分とものになったものだ。―――なあ、弥助」
弥助という名前が合図になったものか、岩崎城の屋根の天窓をすり抜けて漆黒の影が服部半蔵に飛びかかった。
音が一切しないだけでなく、異常な跳躍力をもっていた。
黒い手が伸びる。
さすがというべき反射神経でなんとか避けた半蔵だったが、奇妙な違和感を覚えた。
彼にとっては想定さえしていない方角から足が伸びてきたのだ。
そんな風に人の足は伸びない。
経験を積んだ忍びである半蔵が知らない手足の長さ。
まるで妖怪だ。
かろうじて半蔵は襲い掛かってきた敵をみた。
黒い肌と分厚い唇、焼けたちりちりの髪をもつ、見たこともない男であった。
半蔵は知らなかった。
この男は、黒人とよばれる日本には数人しかいない人種だったのである。
そして、黒人の身体能力は経験したことのないものにはすぐに対処できるものではない。
一瞬の隙をつかれ、半蔵の手から萩姫が奪われる。
黒人は萩姫を抱きかかえると、屋根を伝わって走り出して、そのまま城壁を越えて外へと逃げ出してしまう。
忍びどころか、城兵たちまで呆気にとられた早業であった。
「萩!!」
唯一、氏重だけが攫われた許嫁を追うために門から外に出ようとするが、
「邪魔だ、小僧」
その鼻先を疾風の如き四騎が駆け抜ける。
いつの間にか安田作兵衛でさえ騎乗していて、一気に馬首を返した長可一党もそのまま門の外へと走り出す。
門の真ん中に六人の城兵が立っていたが、
「かかれい!! かかれい!!」
長可の号令が放たれると、安田作兵衛と可児才蔵によって、二人が貫かれ、二人の首が飛んだ。
残った二人は横に飛んで海津黒の蹄からは逃れたのだが、菱形の陣形の殿にいた真柄直澄の大太刀によって胴体ごと分断されて上半身が血を吹きながら転がっていった。
「ちっ、わしだけ外したか」
長可は苦笑いし、門の外に躍り出たところで馬首を再び返して怒鳴った。
「あの弥助と云うのはわしの忍びでな、今は飛騨の黑影という」
そして、氏重と氏次を楽しそうに見やった。
「氏重、貴様の女を返してほしければわしに挑め。勘介、わしと戦うために家康につけ。わしは秀吉あたりの下で、貴様らとこんどこそ愉しく殺し合えるようにしておく。―――いいか、待っているぞ、貴様らがわしを殺しにくるのをなあ!!」
呵々大笑して走り去る長可たちと、しばらくしてから脇から足軽らしい小柄な兵と萩姫を抱えた黒人の馬が合流し、合わせて六騎となった一党は勢いを緩めることなく西へと消えていった。
必死の形相で跡を追おうとして城兵に止められた氏重の、声にならない魂の慟哭だけが岩崎城に鳴り響いていた……




