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鬼の武蔵は、いやにて候 -岩崎城陥落-  作者: 陸 理明
第一部 美濃剣戟編
14/26

赤錆の槍の男



 突きだされた人間無骨の一刺しを丹羽氏次は大きく後退することで躱した。

 わずかに見切って、逆に反撃の突きを送るということもできたが、あえてしなかった。

 なぜなら、人間無骨は十文字槍であり、穂先の左右に枝刃がついていることから、それを警戒したのである。

 ただし、それだけではない。

 長可の突きは、なんと回転する。

 突く寸前に右手を捩子あげ二転させ、さらに槍が伸びきったところで左手がさらにもう一回転加えるのだ。

 合計三回転する刺突は、枝刃がまるで風車のように広い間合いを抉りだす。

 まともに刀で受けようものなら、その刀身ごとズダスタに切り裂かれてしまうのであった。

 玄妙な宝蔵院槍術とも違う、虚空に唸りをあげて抉りだすある意味では力任せの槍術のようであるが、やはり十人力でも武士としては小兵の長可が編み出した独特の技法である。

 しかし、人間無骨の人の骨すら難なく切断する斬り味が加われば―――触れるだけで死に至る必殺の武技と化す。

 かつて伊勢長島でこの技を見知っていた氏次だからこそ、後退することで間合いから逃れることを選べたのであった。

 横に躱す、槍以外で受ける。

 どれも悪手であるから仕方がない。

 いきなり仕掛けてくるとは思っていなかったという油断もない訳ではなかったが、それだけ周囲の岩崎城の城兵たちが一切反応できない神速の刺突であったということであろう。


「わしの一の太刀を躱しきったか。……やるなあ」


 にやりと長可は笑った。

 追撃はしなかった。

 彼にとっては挨拶のつもりなのだから当然である。

再会の挨拶を何度も同じものに繰り返すものはいないのと同じことだ。


「なにをする!!」


 氏次からしてみればこれほどの乱暴狼藉はない。

 陣営としてはっきりと敵味方に分かれているわけではない立場の城に押しかけてきて、門番の首を刎ねて、城主に殺し合いを仕掛けてくる武将などどこにいるものか。

 手にした愛槍で反撃することもできなくはなかったが、あまりに尋常ではない長可の行動に酷く戸惑ってしまったのである。


「だから、言うているだろう。わしと貴様、どちらが織田家の皆朱の槍の持ち主か勝負をつけに来た、と。それ以外、わしらの間に何かあるとでもいうのか」

「待て、勝蔵どの!! おまえの言っていることは一から十までおれには理解できん!!」

「そうか。理解できんか。できるのならば、そのまま死ね」

「待て!!」


 目の前の状況についていけなかった城兵たちも、城主が危険なのだとようやく思考が追い付いたのか、五人が抜刀して「でえい!!」と叫びながら進みだした。

 このままでは氏次が危ない、と自然と身体が動いたのだ。

 城主を御守りせねば。

 よく鍛え抜かれた戦国の武士らしい勇気ある行動であった。

 五人は左右から長可に斬りつけた。

 すべてを防ぐことはできない勢いだった。

 通常ならば一斉に斬りつけられればそれで終わる。

 戦場で敵に囲まれたら死ぬしかないのと同じだ。

 だが、世の中には常識を覆す化け物がいる。

 長可は、突き切った槍を手首のしごきだけで小脇に抱えるように引っ込めると、右手の脇を絞める動作によって穂先を立て、左手で石突を掴むと死の竜巻を吹かせた。

 触れたら切れる人間無骨の刃がたった一回りすることであらゆるものが切断された。

 五人の城兵の首と上段に振り上げた両腕が血飛沫をあげて落ちていった。

 たったの一振りで五つの命が消え去ったのである。

 世界が凍りついたようだった。

 相対していた氏次は気づいていた。

 長可は一瞬たりとも視線を彼から外してはいない。

 氏次に戦いを挑んだ以上、彼以外は眼中にないということを示すかのごとく。

 それは同時に左右から襲い掛かる五人の動きをまったくの勘のみで奪ったということである。

 凄まじいまでの鬼の所業であった。


「邪魔をするな、木っ端どもめ。わしが用のあるのはそこの勘介よ」


 槍を引く気は一切ないらしい。

 氏次と好き勝手な殺し合いをするためならば邪魔ものはすべて排除するつもりのようだった。

 常識外れの狂人という以外のなにものでもない。

 だが、すべての城兵が息もできずに立ち尽くす中、一人、手にしていた刀を鞘からすらりと抜きはなったものがいた。

 氏次さえどうするべきか迷っているのに、その人物は三尺(約90cm)ある陣太刀を握りしめて、前に踏み出した。


「氏重さま」


 彼が動いたことに気がついたのは萩姫であった。

 恋する乙女の勘働きが想い人の決意を悟ったのだ。

 他の誰も動けない緊張の中を、十六歳の少年城代が孤剣一振り携えて進み出る。

 萩姫は城兵らしき数人によって手を引かれて、後ろの方に避難させられた。

 女子を戦場になるかもしれない場所に留めておけるはずがないので、氏重としてはありがたかった。

 惚れた少女を危険にさらすわけにはいかない。


「次郎助!!」


 兄が制止の声を上げるが、弟は言うことをきかない。

 聞くはずもない。

 これは兄の危機であり、岩崎城の危難であり、臣下の敵討ちなのだから。

 するすると能の足捌きのように氏次と長可の間に割って入ろうとした氏重の前にさらに立ちはだかる者がいた。

 赤く錆びた槍を手にした騎馬武者であった。

 森長可、可児才蔵、真柄直澄ら以外の最後の一人にして、誰も名前を知らない男だった。

 年齢的には長可よりも上、三十歳過ぎだろう。

 同じ歴戦の武者然としながら、可児才蔵、真柄直澄とはまったく違う、品のない獣のような野卑な笑いを浮かべていた。

 

「ちぃと待てや、茶坊主」


 錆びついているにもかかわらず、明らかに手入れは怠っていないとわかるのは切っ先のわずかな部分だけ丁寧に研がれているからだ。

 赤錆の槍などという奇天烈な武器を用いているのはわざとだということがひと目でわかる上、手元のところに妙な管を取り付いているのも印象的だった。

 茶坊主呼ばわりされても氏重は激したりはしない。

 冷静に敵を観察し、武士として培った第六感が決して鈍らぬように集中を続ける。

 いつ馬から降りたのかもわからないのは、この男が並大抵の腕の持ち主ではないことの証拠のようにさえ思われた。

 少なくとも、氏重は怯えもしなかったが、侮りもしなかった。


「どいていただけませんか。私は兄上をお救いしなければならないんです」

「させねえよ。あの丹羽勘助は殿の獲物だ。邪魔立ては許さねえぜ」

「―――私も急いでいるんです。あなたを叩き斬ってでも兄のところに向かいます」

「俺を? 叩き切る?」

「はい」


 すると、赤錆の槍の武者はぷっと堪えきれないように失笑した。

 

「うぬのような茶坊主が、俺を、斬るとはまただいぶ大きく出たな」


 ゲラゲラと大きな声で笑い出したのに、突然、急に鎮まると眼を剥きだして氏重の顔を凝視する。

 眼球が零れだしそうなほどにぎょろりと睨みつけてきた。

 あまりに態度が急変するさまは、目撃していた城兵たちが怖気づくほどであった。


「……よく見ると、うぬ、蘭丸に似ているよな」

「蘭丸どの?」


 一年ぶりに聞く名前だった。

 たった一度しか口を利いたことがないというのに、氏重にとっては懐かしさを伴う相手だった。

 もし、本能寺の変がなかったのならば、師と弟子に、もしかしたら莫逆の友にまでなれていたのではないかと思わせる出会いだった。

 花の咲く野原を通り抜ける爽やかな風のような美青年。

 それが森蘭丸についての氏重の感慨だった。

 だが、何故、蘭丸どのの名前が出る?


「あいつが、俺を止めようと本能寺の御殿で立ち塞がったときのことを思い出すわ。さすがは森蘭丸だと思い出すたびに身震いするほどのいくさぶりであったぞ」

「蘭丸どのと本能寺でやりあったというのですか……」


 現代とは違い、本能寺でどのようなことが起きたのかについては、この時代はほとんど伝わっていなかった。

 なぜならば、本能寺で生き残った織田家の家臣はほとんどおらず、攻め手となった明智軍のものたちも山崎の戦いで討ち死にし、当時の状況を正確に伝わっていなかったからである。

 わかっているのは、伝聞交じりの憶測と意味のわからない噂だけという有様だ。

 ゆえに本来ならば、信長とともに討ち死にしたものたちの最期もわからないはずなのだが、蘭丸についてだけは勝手が違っていた。

 森蘭丸を討ち取ったという明智軍の者が、自分の手柄を吹聴して回っていたからだ。

 しかも、その者は信長に対しても一番槍をつけたのは自分だと自慢していたのである。

 生き残りが極端に少なく、検証のしようもないことから、森蘭丸殺害の下手人にして織田信長を傷つけた男は歴史に名が残っていた。

 そして、その評判は京から遠い岩崎城の氏重ですら知っていた。

 男の名は―――


()()()()()()()()()()()()()()!?」


 氏重は叫んだ。

 あまりにも意外な名前だったからだ。

 なぜなら、目の前の男が「殿」と呼んだのは、その森蘭丸の兄であるのだから。

 さらにいえば、森長可の主君である信長を傷つけ、自害に追い込んだ明智光秀の陣営で三羽烏と称された男なのであるから尚更だった。

 まともに考えれば主君と実弟の仇である男を配下にするなど正気の沙汰ではない。


「ああ、安田作兵衛国継とは俺のことだ!!」


 氏重以外にも安田作兵衛の噂を知っているものは大勢いた。

 成り行きを見守っていたものたちから驚きの声があがる。

 あまりにも信じられない連中の集まりであった。

 

 森長可。

 可児才蔵。

 真柄直澄。

 そして、安田国継。


 この時代において誰もが知っている槍の達人どもがここに揃っていた。

 もし、同じ陣営に丹羽氏次がいたとしたらどれほど強力無比な槍衾ができていただろうという一党であった。

 だが、氏次はただ一人、この四騎と対峙しなければならなかった。

 岩崎城の諸勇士たちでは太刀打ちもできないような達人の群れ。

 氏重は緊張のあまり唾を飲み込んだ。

 森蘭丸があの若さで塚原卜伝の編み出した新当流の達人であったことは有名である。

 その蘭丸を討ったというだけでも強さがわかるが、彼の知る限り安田作兵衛は火をかけられた本能寺に突貫して一番槍を果たしたほどの強者である。

 ―――加えて先ほどから漂う尋常ではない殺気。

 仲間たちに負けず劣らずの並大抵の化け物ではない。


「鬼武蔵どのの邪魔をするというのなら、まずは俺を斬れや。―――まあ、うぬにできるというんならな。いっとくが俺は強いぜ」

「私も刀になら自信があります!!」

「よしわかった。俺相手に死なずに終われたならば、うぬの尻は俺がもらってやろう。腕の一本や二本斬り落とされてもすぐには死ぬなよ」


 赤錆びた槍の穂先が向けられると、氏重は鞘から抜いた刀を構える。

 もうすぐ西に陽が落ちる。

 赤々とした城内で、寂然と向かい合った二人の武士。

 一方でも丹羽氏次と森長可が対峙して動かない。

 城兵たちもだ。

 ただの兵たちまで固唾をのんで成り行きを見守っているのは、ここまで揃った錚々たる武士たちの決闘の行く末に魅入られたからかもしれない。

 氏重だけが落ちるとはいっても、ここにいる五人が放つ超絶の殺気を浴びてしまい金縛りになっていただけかもしれない。

 偶然にも長可と安田国継の槍がピタリと止まる。

 兜の下からめらめらと殺意の光がゆらめいて立ち昇る。

 丹羽兄弟がその殺意を受けた。


「天命だな、丹羽勘介ェェェ!!」

「ふざけるな、この狂人め。いいだろう、ここでおまえのような厄介者は始末してやる!! いくぞ!!」


 二人の槍の達人が同時に地を蹴り、若き美少年城代が相手の懐に潜り込むために身をかがめて踏み出したとき、


「そこまでだ!! 織田の気狂いども!!」


 長可にも負けない大声とともに城の屋根の上から幾つもの手裏剣が四人とその間の地面に向けて飛んできた。

 投擲距離が長すぎたせいか、氏次たちを標的とした手裏剣はすべて槍と刀に叩き落されたが地面に夥しい数が突き刺さった。

 全員の視線がその声と手裏剣が飛来した方向を見やる。

 柿色の明らかに忍び装束と思われる格好のものたちが十数人屋根の上に立っていた。

 手に手裏剣と短弓を握っている。


「忍びだと?」

「まさか、こんなときに!!」


 森長可たちに気をとられ過ぎていたせいで、これほどの数の忍びの侵入を許してしまったことを岩崎城のものたちは知った。

 不覚であったとかいいようがない。

 しかし、何よりも城兵たちはおろか丹羽兄弟、氏勝らが驚愕したのは、屋根の上の忍びの一人がその手に少女を抱きかかえていたせいであった。


「萩!!」

「姫さま!!」


 忍びらは抱えた萩姫の首筋に短刀を当てて、


「こちらの姫さまの命が惜しければ、丹羽の方々は槍を引きなされ。―――そこの狂犬どのも無抵抗の丹羽の御兄弟を討ち果たして満足できるというのならば、その愚行を続けなされい。拙者は任務を果たせず主人に叱られることになるだろうが、それでも一向にかまわん。さあ、どうするね!?」


 と、明らかな恫喝を行った。

 そして、その内容は明らかに双方の痛いところをついていたのである。



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