四魔槍の襲撃
門の外には誰にでもわかるような殺気が広がっていた。
清流を泳ぐ魚が岸に立つ人間を感じ取るように、城兵たちと丹羽兄弟の皮膚が敏感に何かを嗅ぎ取っていた。
「どくんだ」
凝然と一塊になっている城兵たちを脇へ押しのけて門の中に空間を作った。
何かあったときのためだ。
門がぎぃっと開かれていく。
五月だというのに生温い空気が流れ込んできた。
血の沼に漂う瘴気のようであった。
氏重は軽い金縛りにあいかけた。
門の外から吹きつけてきた風にぶつかったからだ。
それは物理的な本物の風ではなく、殺気や妖気といったものに近い人の放つ気配であった。
「こいつは……」
氏次が呻いた。
氏重は立ちすくんだ。
まさに圧倒的なまでの存在感。
異様な雰囲気の空気が渦巻いている。
全身に汗がにじんでいた。油汗であった。
それほどまで緊張を強いられていたのだ。
「ようやく開けたか。あとちぃと待たされていたら火を放っていたところだぞ」
菱の形に隊列を作った四騎の武者と一騎の足軽が鉄蹄の音を響かせて入ってきた。
先頭は巨大な黒駒に乗ったやや小柄な男。
手には太陽の光を受けて煌々と輝く十文字槍を抱えていた。
日焼けしているのにもかかわらずキメの細かい肌をもった端正な顔立ちと妖しい眼光を湛えた美青年である。
丹羽兄弟のみならず、甲州討伐に赴いた丹羽軍にいたものならば忘れるはずがない鬼武蔵―――森武蔵守長可であった。
氏重からすれば一年前に一度会ったきりであるが、そのときの記憶と同様に真っ赤な三日月のように割れた笑みを持つ男であった。
「勝蔵どの……」
「久しぶりだな、丹羽勘介」
氏次は自分の勘が正しかったことを知る。
そして、それは最悪の的中であった。
こんな時に、こんな場所で再会したい手合いではなかったからだ。
馬上から自分を見下ろす双眸には、以前とはまるで違う肌も粟立つ狂気が宿っているようだった。
上諏訪であったときとは明らかに違う。
あの後、氏次は信雄のもと、鬼武蔵は秀吉のもとについてしまったからか、一度も顔を合わせたことがなかったが、たった一年ほどの間にこの鬼にどんな試練があったのであろうか。
そうでなければ人はこんな凶相にならない。
なるはずがない。
「ほお、そっちの小僧もなかなか良い面構えになってきたな。確か、傍示本城とかいう小城の主になったとか聞いているぞ。顔がぐちゃぐちゃに爛れている病にかかったというのはやはり虚言か」
「……武蔵守さま。お久しぶりでございまする」
「なに、心配しておったのだ。貴様が病いでものにならぬとあってはこちらも困るから喃」
森長可の闇夜の狼のごとく光る眼は氏重も同じ煌めきで見つめていた。
愉しくて仕方がないとでもいうかのように。
兄弟二人の顔色はなぜか青ざめていた。
「あなたさまが困る……?」
「そうだ。わしが困るのだ。本能寺の後にどちらも無事でおって何よりであったぞ。そうでなければならぬからなあ」
長可の言いたいことが二人にはわからない。
だが、狂人の考えなどわかるものかと切り捨てる訳にもいかない。
なぜならば、すでにこの危険な男を城内に招き入れてしまっているからだ。
「ぬっ!!」
菱形の最後尾にいて、殿を守る役らしい六尺半(約1メートル95センチ)はあろう、この時代においては信じられないほどの大男が櫓の方を睨みつけて気合いを飛ばした。
その気合いに弾かれたのか、櫓からあらぬ方へ一本の矢が飛んでいった。
四騎を狙って構えていた見張りの一人が怯えて弦から指を離してしまったのだ。
番えていた矢を思わず放ってしまったのだ。
ひぃと同じように構えていた弓兵たちが情けない声を発する。
「―――弓を下げさせろ!! 勝蔵どのは、秀吉どのの使者であるぞ!! 敵を迎え撃つような真似をするな!!」
氏次が命じると、高みから敵に向けて矢を番えていた兵たちが安堵したかのようにほっと息を吐いて弓を下ろした。
戦いになるかもしれないが、鬼武蔵の一行に対する得体のしれぬ緊張で身体が動かなくなっていたからでもある。
長可たちを狙っているものがいなくなったのを確認してから、
「申し訳ござらん。うちの兵たちがご無礼を働いた。あとできつく叱責しておくので勘弁していただきたい」
氏次が頭を下げると、長可はせせら笑うような顔つきで、
「構わねえよ。矢なんぞでわしらを仕留められるはずはないからな。なあ、貴様もそう思うだろう、真柄」
「―――御意」
後ろに控えている大男が重々しく応えた。
この四騎はそれぞれ異常なまでに耳目を集める武士ばかりであったが、最も目立つのは実のところこの大男であった。
なにより六尺半近い身長だけでなく、横幅も同じように広く、まるで大寺の仁王像であったからである。
びっしりと生えた髭のせいで顔はよくわからなかったが、おそらく四十は越しているだろう落ち着きがあり、まるで熊のようだ。
しかも、その着込んでいる鎧は胸板と胴のあたりが丸く弧を描く鉄の板でできている南蛮のものであった。
それに大袖やら九尾の板やらがついているというでたらめさだった。
他の三人と違い、一人だけ太刀を背負っているのだが、これも異常な代物で五尺三寸(約175センチ)はあろうという大太刀なのである。
とても人が振り回せそうなものではなかった。
すべてにおいて桁外れの、巨大なる男である。
「今、真柄、と言うたか?」
それは息子たちよりわずかに遅れてやってきた氏勝であった。
病で床に臥せっていてまともに戦える躰ではないが、相手が森長可ということであれば話し合いの場ができるのではないかと病身に鞭をうってあらわれたのである。
親友・加藤景常が肩を貸している。
丹羽氏勝と長可の父親可成とは同い年で信長の配下に加わったこともあり、わずかだが親交もあった仲だった。
可成が宇佐山城で戦死したときはそれなりに哀しんだ。
その息子同士が相争うことは避けたいと彼は考えていて、邪魔になるかもしれないとわかっていてわざわざ奥座敷からやってきたのである。
そこで耳にしたのが、「真柄」という名前であった。
氏勝は大男をしけじけと観察し、
「覚えがあるぞ。おまえ、もしや真柄十郎左衛門か。……いや、奴にしてはやや小さいな。それだけ似ておいて別人ということはあるまいし、子供という年ではないとなると、おまえ、あやつの弟だな」
氏勝はじろりと睨みつけた。
「確か、真柄には直澄という似た弟がいたはずだ。姉川で見たのが最後だったが、まさか生きていたとはな。すると二十年ぶりか」
「父上……姉川というと」
「―――そうだ。思い出したぞ。あのときは三左衛門(可成)が逃げる朝倉どのを追撃しておったな。そのときに捕らえておったということか。で、森が匿っておったという訳だ。ならば生きておっても不思議はないな」
真柄直澄と呼ばれた大男は何も答えない。
答える気がないのかわざとしないのか。
ただ、明白な沈黙は雄弁である。
「ほお、歳はとってもさすがは親父殿の僚友よ。たったそれだけで真柄の素性を見抜いたか。本当に食えねえなあ」
「すると、やはり真柄直隆の弟であるか」
「今はわしの家臣だ。なあ、」
長可はにやりと笑った。
世間の噂話に詳しいものたちは今の一連のやりとりで腰を抜かしそうだった。
ただでさえ、鬼武蔵と可児才蔵という槍の魔人ともいうべきものたちが揃っているというのに、そこに剛勇無双の武芸者として名高い真柄直隆の弟が生きて加わっているというのだ。
なんという化け物たちなのだ。
すると、あの赤錆た槍の持ち主もまた名の知られた武人なのかもしれない。
まったくいったいなんて連中だろう。
もしかしたら、この四人にかかられたら本当にこの岩崎城が落とされるかもしれない。
城兵たちは恐怖した。
あり得ないことではないと悟ったのだ。
しかし、そんな兵たちの怯懦を打ち払うものがいた。
「勝蔵どのに問う!! いったい、我が城に何の用だ!! もしも、つまらぬことのために、我が城のものを殺めたというのであれば、それ相応の報いを受けてもらうぞ!! ―――この丹羽氏次、城の主人として決して無法は許さぬ!!」
愛用の岩突きの槍をぶんと振り回し、風を切った。
それだけで長可たちの作りだしていた空気が霧散する。
裂帛の気合いであった。
「答えい、森長可!!」
胃の腑がずしんと沈みかけるような重たい声が発せられる。
混乱しきった戦場でさえ、すべての兵に届くような将の気迫であった。
もっとも長可たちは簡単に受け止めてしまう。
こちらも戦場往来の修羅たちなのである。
将が臆することなければ兵も臆することはない。
「簡単なことさ」
長可は愛馬海津黒から飛び降りた。
同時に人間無骨を軽く振り回して、切っ先を氏次に向けた。
「忘れてしまったとはつれないことよ。わしは上諏訪で貴様と約定したではないか」
「約定? なんのことだ?」
まったく記憶になかった。
氏次と長可は約定を結ぶほどの関係ではないからだ。
ぶんと人間無骨を木の枝のように楽々と振り回して言った。
「わしと貴様、どちらが皆朱の槍を振るうに相応しいかのやりとりについてよ」
身長でいえば長可は氏次よりも頭半分低い。
だが、十文字槍を振るう速度も風切り音も氏次のものとまったく変わらぬ勢いであった。
しかも、全身から漂う殺気は氏次よりも大きい。
「―――まさか、槍の手合わせに来たというのか!?」
「いいや」
「では、なんだ?」
「わしの手合わせは実戦がすべてよ」
つまり、果し合い―――いや、殺し合いにきたということだった。
そう嘯くと同時に気合いとともに長可は氏次に襲い掛かっていった……
◇◆◇
血腥い戦場と化しつつある岩崎城の城内に忽然と忍び込んだ影があったことに、城兵の誰も気が付くことがなかった。
それもそのはず。
正門から侵入してきたあまりにも強烈な騎馬のおかげで誰もが警戒を怠っていたからだ。
その影は城郭から見下ろし、
「なんということだ。織田の侍どもは、まったくもってどいつもこいつも頭がおかしい奴ばかりか。……これでは殿から仰せつかったお勤めが果たせなくなってしまう。さて、どうする?」
と、首をひねって考えはじめた。




