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鬼の武蔵は、いやにて候 -岩崎城陥落-  作者: 陸 理明
第一部 美濃剣戟編
10/26

歴史に消えた信長屈辱の敗戦―――横山麓の戦い



 氏重と萩姫が婚約したのは、天正十一年の夏のことだった。

 もともと長久手と岩崎で交流のある家の子供同士ということで、幼い頃からよく知っている相手であり、どちらかに政略的な縁談がなければそのまま祝言をあげていてもおかしくない間柄ではあった。

 お互い、歳も近く、幼少時から意識し合っていたということもある。

 二人の婚約はすぐに決まった。


「氏重さま。岩崎の御屋形さまとお父さまがさっきからずっとお待ちですよ」

「それはすまない。色々とあってね」

「もう」


 見慣れていたとしても、氏重の美貌に正面から見つめられるとたいていの女は頬を紅く染める。

 常に武芸の稽古をしているというのに雪のように透き通る白い肌を持ち、他のどんな男とも比べられないほどに端正で麗しい氏重と相対して、態度を変えない若い女子は実のところ萩姫だけであった。

 むしろ、そこが氏重にとっては好ましいところであったともいえる。

 萩姫は純粋にこの幼馴染の人柄を好いているのだ。


「ところでどうして萩がうちの城に来ているんだい?」


 その問いに萩姫は口を可愛らしく尖らせた。


「もう。氏次さまがそろそろ尾張からお戻りになられるというので、祝言の話し合いに来たのではありませんか。あなた様と、わ・た・し・の」


 自分と氏重を交互に指さす。

 こんな大事なことを忘れていたの、というちょっとした苛立ちがこめられていた。

 この時、氏重は十六歳、萩姫は十三歳。

 夜の関係を伴う夫婦生活には入らなくても、形式的な婚礼を経て正式な夫婦となるには十分な年齢である。

 萩姫の姉が氏重の兄である氏次のもとに嫁いだのも、その頃のことであり、妹としてはその例に倣いたいというのも当然のことであった。

 それに美貌をみて不覚になるということはないとしても、武芸全般にすぐれ、折り目正しい武士である許嫁と少しでも早く一緒になりたいという乙女らしい想いもあった。

 なのに、婚約をかわしただけで肝心の許嫁はまったく長久手に顔を出そうとはしない。

 そうなると萩姫自ら父親の景常にくっついてやってくるぐらいしかなかったのである。


「兄上がお戻りになってから、萩と話をしようと思っていたんだ。別に祝言をあげたくないということではないんだよ」

「だから、萩も氏次さまがお戻りなるのを待っていたのです」

「うん、まあ、ここしばらくは私も忙しかったからねぇ」

「それはわかっております。尾張の信長公がなくなられて、今は嫡子となられた信雄さま、徳川さまが、羽柴さまと天下を争っておられるということも、加藤の家と丹羽のお家がどちらにつくか悩んでおられることも」


 萩姫は将家の娘らしく天下の趨勢について、それなりに詳しかった。


「ゆえに萩もそんなに我が儘を言ったりしません。……言ったりはしませんが」


 もう一度頬を膨らませ、


「一年近く、放ったらかしにされるとさすがに腹も立つのです」

「いや、それはごめん。私とて萩をないがしろにするつもりはないんだ。だが……」

「だが、なんですか?」

「……うんと、だが……」


 感情的になると若かろうが年寄りだろうが、話しているうち興奮してくるのが女というものだ。

 現代ならばキスの一つでもして口を塞いでしまえばいいところだが、残念なことにいかに絶世の美少年といってもこの時代の武士である氏重にそんな真似はできない。

 興奮気味の許嫁をどう扱っていいかわからずあたふたしていると、萩姫の背後から声がかかった。


「こらこら、姫さまよ。兄上が留守にしているこの岩崎城をしっかりと守っている城代に無理を言ってはなりませんぞ」


 人の善さそうな禿頭の僧侶がいた。

 丹羽家の菩提寺妙川寺の住職日洲徳鯨和尚であった。萩姫の出身である加藤家にとっても菩提寺である。

 氏重にとっては和歌・連歌の師でもあるのだ。

 以前はこちらから妙川寺に通わねば会えない御人だったが、流離いから戻ってきて早々前城主の氏勝が病で伏せるようになってからは度々城に訪れるようになっていた。

 しかし、いったいいつのまに城にやってきていたのだろう。

 氏重は誰からも聞いていない。


「和尚さま」


 ばつが悪そうに萩姫が振り向いた。

 許嫁ならばともかくさすがに和尚の前では猫を被らざるを得ないようだ。

 ただ、今更である。

 徳鯨和尚は若者二人の愁嘆場を最初から眺めていたのであり、そろそろ潮時かと思って声をかけたという訳であった。


「あまり我が儘を言うでないぞ、姫さま。今は丹羽も加藤も正念場じゃ。若殿が城代の勤めを懸命にこなしているのならば、黙って待つのもよい女子のあり様じゃぞ」

「……もう。わかっております」


 誰も見ていないと思っての我が儘だったのにがっつりとみられていたらしいことがわかり、萩姫は膨れ面になった。

 色々と表情が豊かに変わっていく許嫁を氏重はほほえましく思った。


「若殿は、皮がくずれて溶けていく流行病のせいで城から出られないということになっておりますからな。病に臥せっておるのに祝言というのもおかしな話じゃから、まあ、しばらくは我慢しなければならんじゃろ」

「……むー、それは萩も承知しております。和尚さまに言われるまでもありませんわ」

「かっかっか、坊主の説教は聞き飽きたか? おてんば姫よ」

「もう」


 実のところ、氏重が小姓になるという話は信長の死によって立ち消えた訳ではなかったのである。

 それどころか、氏重の美貌に目を付けた織田信雄から自分のところに来いと裏から声がかかっていた。

 信雄も父親譲りの性癖の持ち主であったのだ。

 とはいえ、信長と異なりただの暗愚な若殿と評されている信雄のところにのこのこと弟を差し出す気は氏次にもなかった。

 そのため、「氏重は流行病に犯されて今は城の外に出せない」という虚言を吐いて要請を断っていたのである。

 和尚のいうのは、その口裏を合わせろということだった。

 逆に氏重は徳鯨和尚に問いかけた。


「和尚さまはお帰りなのですか」

「城の御屋形さまと景常どので話があるそうなのじゃ。俗世塗れとはいってももう坊主は必要ないとのことだ。途中からずっと二人で話し合いを始めておる。まったく、わざわざ拙僧にこの城の由来まで語らせておいて勝手なことじゃ。これだからいくさ人は困るわい」

「そうですか」


 妙な話だった。

 萩姫の父親である加藤景常が岩崎城に訪れることはよくあることだ。

 現城主である氏次の妻が景常の娘であり、両家は一族となっていることから、行き来が多いのもいつものことである。

 だが、わざわざ呼び出して見舞いに来てくれた徳鯨和尚を追い出して二人で話し込むようなことなど、そうあることではない。

 そもそも、今日、景常が来訪することを城代である氏重すら知らなかったのはおかしい。

 いったい、どういうことだろう。

 

「和尚さま、失礼いたします」


 氏重は奥座敷に向かって歩き出した。

 萩姫も無言でついてくる。

 ほとんど誰にも会わずに奥座敷まで辿り着き襖を開くと、床に横になった父親の氏勝と加藤景常がなにやら難しい顔をしていた。

 少し離れた場所に丹羽平五郎茂次が座っていた。

 丹羽の傍流のものだが、忠誠心が篤く同い年の氏次ととても仲が良い男だった。

 氏重と眼が合うと軽く礼をしてきた。

 それもおかしかった。

 平五郎は兄・氏次について尾張に出向いていたはずなのだ。

 ここにいるはずがなかった。

 ただし、平五郎は家中でもっとも足の速い男であり、その馬術と相まって、使者としての役割を持っていた。戦国時代の使者は万が一の事態を考慮して、正副二名の使者が送られるのが普通であり、平五郎は常にその一人に選ばれている。

 そうなると、平五郎がここにいるのは兄・氏次の使者としてなのだろうか。

 しかし、いつこの岩崎城に戻ってきたのか。

 またも氏重は聞いていない。


「御屋形さま。岩崎城城代、氏重参りました」


 後ろについてきた萩姫ともども頭を下げる。

 身体を起こして床机に寄りかかる氏勝。

 織田家を追放されて以来、各地を放浪していたときに体調を崩していたらしく、岩崎に戻ってからもよくこうやって床に臥せっている。

 主君信長の死という精神的な疲労もあったのだろう。

 信長との関係において、この丹羽氏勝は非常に微妙であり、複雑な感情を抱くものであったのは彼の半生を見れば誰にでもわかるものである。


 丹羽氏勝。


 大永三年(1523年)に生まれ、幼名は源六郎といい、親しいものには右近と呼ばれていた、岩崎城の三代目の城主である。

「信長公記」においては丹羽源六、丹羽右近として登場している。

 永禄五年(1562年)に丹羽本家を継ぎ、二人目の妻は信長の妹ということから織田家の姻戚に当たるが、この妻は永禄十一年に死去しており、氏重の母とはならない。

 氏勝はその後、織田家に忠誠を誓ってか正室を娶ることはしなかった。

 つまり氏重は側室の子という扱いである。

 このように丹羽家は織田家と婚姻関係にあったのだが、実のところ、昔から忠誠を誓っていたという訳ではない。

 そもそも、丹羽氏勝が織田家に帰属するまでは、ある意味では敵対関係にあったからである。

 彼が二十九歳の時、丹羽家は岩崎城を拠点とする父・氏識うじさとと藤島城の分家である氏秀の争いが起こっていた。

 氏識は隣国の織田家と同盟関係にあったのだが、氏秀によって、


「裏切りの気配あり」


 という誣告が信長にされたのだ。

 当時、信長は織田家を継いだばかりであったが、信長としても三河の裏街道にある岩崎城を手に入れておこうという野心があり、この明らかな讒言に合えて乗った。

 本家を凌ぐほどの勢力を持っていた氏秀軍と、織田家の軍勢が攻めてくるとわかると、氏識は即座に氏勝と軍勢を引き連れて岩崎城を出た。

 籠城は意味がない。野戦での迎撃でしか勝機は掴めない。

 岩崎城の西南にある横山の麓の林に布陣した。

 城はいまだ現役でいた氏識の父である二代目城主氏清に任せ、積極策に打って出たのだ。

 少人数が大勢に勝つためには奇襲しかないということもあった。

 まだ若き信長は、岩崎城を簡単に陥落させることができるものと油断しきっていた。

 まずは軍勢で包囲してさえしまえばそれで足りる、と。

 皮肉なことにこのときの彼は後の今川義元と似通った思考でいたようである。

 織田軍は氏秀の家臣による先導もあり、たいした警戒もせずに横山の脇を抜けようとした。

 そうすれば岩崎城まで目と鼻の先だ。

 まだ獲得もしていない勝利に驕った織田軍に向けて、家老丹羽茂昌の指揮による鉄砲三十挺が火を噴いた。

 この一斉射撃は命中よりも音を立てて、敵を恐慌に落とさせるのが大きな狙いであり、隙を作るためのものである。

 丹羽家の多用する戦術である。

 当然、油断していた織田軍は慌てふためく。

 後年の最強と謳われた織田軍団の練度はまだない時代のことである。

「丹羽軍功録」によると、「人馬騒動シ、隊伍大ニ乱ル」とされていることから、相当の混乱が引き起こされたようだ。

 なにしろ、まず丹羽茂昌の隊が斬りこみ、狼狽えているところに氏識・氏勝の親子の本隊が鬨の声をあげて突撃しただけであっという間に後退してしまったからである。

 おそらく、最初の射撃で大将格が戦死したのだろう。

 まったく一戦も交えずに壊走したというのだから、理由はそのぐらいしかない。

 氏識・氏勝、そして家老の茂昌、茂信たちはこの敗走する織田兵を追撃し、平針まで追いかけて多くの首級を持ち帰ってきて岩崎城に凱旋した。

 この横山麓の戦いは、信長にとっては珍しい敗戦であり、織田家の史書類にはほとんど残っていない。

 敗者側からするとそれほどまでに屈辱的な大敗であったということだ。

 信長にとってこの敗戦は大きな戦訓になったといわれており、後の桶狭間における織田軍の積極的攻勢はこの丹羽軍のやり方が垣間見える。

 また、鉄砲による戦術の重要性を再認識したらしく、この後、信長は率先して戦術に組み込み始めたようである。

 織田軍の敗戦によって藤島城の分家・氏秀の軍の士気はどん底まで落ち、戦わずして城を放棄せざるを得なくなる。

 藤島城を逃げ延びた氏秀であったが、西三河の広見城に匿ってもらうのだが、そこでも城主の中条秀正を暗殺して城を乗っ取ろうと企み、逆に成敗されたという。

 こうして丹羽家の内紛は鎮まり、織田家とは和睦して同盟関係となる。

 ただ、そののち、守山城における二度の内紛に加担することになってしまい、二度も信長を裏切ることになってしまう。

 まだ今川義元が健在であったこともあり、微妙なかじ取りを選ばなくてはならなかったせいとはいえ、客観的にみれば信用できない相手である。

 刈谷城主の水野信元の武田家への兵糧を売却したことかに始まる氏勝の内通の疑惑を受けるなど常に疑われていたことがわかる。

 もっとも、信長をよくしるものにしてみると、


「右近は、よく殿のお試しを切り抜けるものよ」


 と称賛に値する処世術であったのではあるが。

 要するに、氏勝は再三の逆境を正しい選択を繰り返すことで、あたりまえの回答を許さない信長の好みにあった対応をとってきていたということである。

 その血は実子の氏次と氏重にも伝えられているが、なかなかにしぶとい家系といえよう。

 ただし、伊庭山における大石の切り出しの普請作業において、鷹狩りに来ていた信長の足下に岩を落とした家臣の失態について、うまく対処しきれず、ついに追放の憂き目にあってしまったのである。


「……あのとき、もうちぃとうまくやっていればな。わしにとっては最大の痛恨事よ」


 と岩崎に戻ってきてから氏勝は常にぼやいていた。


「のう、次郎助」

「なんのことでございますか、御屋形さま」


 すると、氏勝は天を仰いでいった。


「織田とつきあうときの面倒ごとについてのことよ。……まったく、岩崎が尾張に近いというだけで、こちらは一苦労じゃ」


 氏重は、父親が織田家を追放された時のことを語っているのだろうと思っていたが、実のところ、そうではなかった。

 戻ってきた娘たちに目もくれずに手にした書状を読んでいた加藤景常が顔を上げる。


「―――で、どうするのだ、右近。このままでは、信雄さまがこの岩崎に軍を差し向けてくることになるぞ」

「わかっている。だから、氏次も慌てて昨日、こちらに使いを寄越したのだ。おそらく、今日中には戻ってこられるだろう」

「兄上がどうされたのですか?」


 氏重には二人の親たちの会話がよくわからなかった。

 わかるのは、平五郎は昨日のうちに帰参していて、持ち帰った内容について協議するために景常がやってきたということだ。

 事情を伏せるために、氏重たちの祝言の話し合いということでやってきたと言いつくろっているのだろう。

 萩姫など父親の厳しい顔付きの意味がわからずきょとんとしている。


「氏重。おまえにも伏せていたのは理由がある。もうすぐ氏次が帰るだろう。すべてはそれからだ……」


 城代として、実質的に城の運営をしているのはすでに若い氏重である。

 家老の今井小八郎の陰に日向に支えがあったとしても、十分に岩崎城の切り盛りはできていた。

 その氏重に秘して協議をする内容とはいったい……


「信雄さまに仕えておられる兄上がどうなされたのですか?」


 二人の老将はいやそうに眉をしかめ、


「その信雄さまが問題よ」


 今の主筋である織田信雄がどうしたのか。

 埒が明かないとみてはっきりと説明してもらおうと氏重が座りこんだとき、


「御屋形さま、若、氏次さまが帰参なされました!!」


 と、門を守護している鈴木重盛が足音をばたばたと鳴らして飛び込んできた。

 あまりにあわてていたのか、普段は背中にかけている得意の抜刀術用の長巻きをがっしりと両手で握りしめていた。


「戻ったか、氏次」


 氏勝の眼が、部屋にいたすべてのものを怯ませる光を放つ。


(さすがは父上だ)


 やはり痩せても枯れても丹羽氏勝は、織田信長に最初に手痛い敗北を与えた男なのである。


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