元九十六話 情けないけど感動した
部屋に入った詞亜は静かにドアを閉め、俺に向き直った。
「思ってたより重症みたいね。」
冗談めかして、明るい風を装って言う詞亜。
「ああ、俺もびっくりするくらいすげー重症だ。だからほっといてくれ…」
俺はその姿勢に応えることは出来なかった。
寝返って詞亜から目を背ける。労わるような悲し気な彼女の目を見ていられなくなったからだ。
「放っておけるわけないじゃない。
クラスメイトから話を聞いたけど、リリナが記憶喪失って本当みたいね。そうじゃなかったら基矢とジーナがこんなに落ち込んでるわけないもの。」
…そう言えば、他のクラスにも伝わってるって聞いてたな。詞亜にも伝わってたか。
「事実確認のために来たのか?
だったらジーナにでも訊けば良かっただろ…わざわざ俺に会う必要なんて無い。」
「そうじゃない!
私は、アンタに会いに来たの!」
「俺に?」
分かってるくせに、へそを曲げたような自分の態度が気に食わなかった。
自己嫌悪で更に気分が落ち込む。面倒臭い奴だな、俺…
「そう、基矢に!
アンタがリリナの事で落ち込んでるのは分かってた、だから私は、基矢に立ち直ってほしいから来たの!」
「……その気持ちは、嬉しい。」
「………」
言い方からそれに続く言葉を察したのだろう、詞亜は何も言わなかった。
「でも、俺はリリナに会いに行けない。
会いに行くのが怖いんだ。
昨日みたいに、貴女は誰ですか?なんて訊かれたら堪えられない。
そっけない態度でもとられたら、俺の心が持たない。
今までみたいに接してほしいけどそんなことは出来ないだろうし、そんなリリナを見たくなくてしょうがないんだ…」
「私だって、そんなの見たくないわ。
今日お見舞いに行ったジーナだって、奈菜美だって、達治だって田倉だって…誰もあんなに空っぽになったリリナなんて見たくない。
それでも私達がお見舞いに行った理由、分かる?」
「……わかんねーよ、そんなの。」
「友達だからよ!」
「!!」
詞亜の答えはただ一言だった。
だが、俺はその短さに反して大きな衝撃を受けた。
「友達だから、リリナを助けたいから、リリナの力になりたいからあんな姿を見たくなくてもお見舞いに行ったの!
皆で励ましたらきっと力になれる、一緒に記憶を取り戻していくことだってできる!
リリナだって、辛いはずだから…あんな姿を見せたくないはずだから!」
暗闇に沈む心に、一筋の光が差した。
そうだ、リリナだって記憶が無くなって辛いんだ。
皆がこんなに頑張ってるのに、俺だけウジウジへこたれてる場合か。
さっきまでは途方もない虚無感と脱力感を感じていたが、自分を叱咤し、奮い立たせると力が湧いてきた。
「…ありがとう、詞亜。」
恐らく、詞亜が言っていたことに自分で気付いていてもこんなに力が湧き上がってくることは無かっただろう。
自分の言葉より、他人の言葉の方が強い。影響力が違うのだ。
「俺、バカだった。こんなところで落ち込んでる場合じゃないよな!」
でも、バカで良かった。
自分が辛くても、友達を励ましてくれる素晴らしい友達がいる。
そんな大切なことに気付けたのだから。
「やっぱり、お見舞い行ってくる。」
「行かないって言ってたくせに?」
「男にも二言はあるんだ、これくらいの二言は許してくれよ。」
「…情けない言葉ね。
でも、ちょっと感動しちゃった。行ってきなさい!」
男にも二言はある、絶対なんて無い。
ポリシーとしては情けないが、こういうことがあるから捨てられない。
「ああ!行ってくる!」
「…その前に制服着替えたら?帰ってずっとめそめそしてたのがバレちゃうんじゃない?」
「な、泣いてねーよ!落ち込んではいたけど!」
ついにリリナの病室の前に来た。
面会時間の終了は近い。意を決して扉をくぐる。
「よう、リリナ。」
病室に入ると、リリナの視線が俺に向いた。
相変わらずその目は虚空を見るように虚ろだ。ジーナは混乱が収まったと言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。
「貴女は昨日の…昨日はすみませんでした、いきなり『貴女は誰ですか』、なんて…」
確かに、昨日までのぼんやりとした感じは薄くなってきている。
本来の明るさを取り戻しつつあるらしい。これは良い傾向だ。
「いや、大丈夫だ。
そりゃそうだよな。記憶喪失になったんだから訳わからないし、混乱するよな。
むしろ、取り乱して暴れ出さなかっただけ良い方だ。」
「…暴れる元気すら無かっただけですよ。記憶喪失だけではなく、怪我もあるんですから。」
そうだった…記憶喪失にばかり目がいっていたが、リリナは怪我もしてるんだったな。
「でも、幸い打ちどころが良かったのか後遺症は残らないそうですし、怪我の方はすぐに治るそうですよ。」
「そうか…そりゃ良かった。」
打ちどころもあるが、リリナは人外なので常人より頑丈なのかもしれない。
ともあれ、怪我は軽い方のようなので良かった。
「ところで、さっき何人か見舞いに来なかったか?そいつらのことは覚えてないのか?」
「いえ、この部屋で目覚める前の事は何も…
でも、名前は覚えてますよ!奈菜美さん、ジーナさん、達治さん、田倉さん、あと、マヤさんですよね?」
「ああ、正解だ。
って、マヤも来てたのか。」
「びっくりしましたよ、昨日来た貴女とは別人なんですよね。本当に別人なんですか?もしかして双子の姉妹なんですか?」
「あー…まあ、そんな感じだな。」
本当は俺を模して作られたコピーなのだが、それを言うと混乱しそうなので言わない。
リリナが元女神だということも必要なタイミングまでは隠しておくべきだろう。ついでに鴨木さんとジーナの事も。
「あ、それと昨日貴女と一緒に来た憂佳さんも、妹さんを連れて来てましたよ。」
「憂佳とじょうちゃんが?」
「…じょうちゃん?」
「ああ、憂佳の妹のことだ。城司憂子っていうから、お嬢ちゃんとかけてじょうちゃんって呼んでるんだ。」
「へぇ、あだ名ですか…私にも何か、そんなニックネームとかはあったんですか?」
「元女神…あ。」
「元?女神?どういうことですか?」
………
「…いや、なんでもない。お前はリリナって、名前で呼ばれてたよ。」
「どうしたんですか?今、少し悲しそうな…」
「い、いや、何でもないぞ!ちょっと昨日あんまり寝られなくて、眠気がな…」
「じゃあ、一緒に寝ますか?」
「…え?」
「冗談ですよ、本気にしちゃいましたか?」
…今の、リリナらしいな。
記憶喪失以来、初めて見せたリリナらしさに頬が緩む。
「はは、少しな。」
「もう、私はそんな安い女じゃないですよ。」
「そうだよな、流石に男と一緒に寝るって言うのは…」
――そうですよ、自覚があって何よりです。元野郎さん――
「!?」
今のはリリナの?いや、そんなはずはない。
今リリナの口は動いてなかったし、どこかぼんやりとした声だった。もしかして、幻聴だったのか?
「え?マナさんは女性ですよね?男ってどういうことですか?」
ガン、と頭を打ち付けられたような錯覚を覚えた。
「………」
頭が真っ白になっていく。
「あ、あれ?もしかして違いましたか?」
「…俺は、もと……いや、合ってる。
ゴメン、ちょっと眠くてさ…限界みたいだ。帰るよ。」
「マナさん…?ちょっと待ってください、どうしたんですか!?」
リリナの声に返事をする余裕は無かった。
リリナとの会話で浮き上がった気持ちは、また底へと沈んでいった。




