元七十八話 道を踏み外した話をしたら口を滑らせてた
「終わったー!」
「……」
昨晩はあのやりとりの後でややパニックになり、切り出すタイミングを見失ったため、リリナは翌日の朝食で宿題の件を切り出した。
そして宿題が終わり、両手を上げて喜ぶマナを観察するリリナ。
お泊り会から帰って来てからというもの、様子がおかしい事に気付いたからだ。
宿題中も妙に浮足立った様子で、まるで遊びたくて仕方ないような感じだという印象を抱いた。
一通り片付けを終えると、マナは本棚へと向かう。
(珍しいですね、いつもケータイをいじるかゲームをしているはずの基矢さんが―――!?)
マナが手を伸ばしている本棚を見たリリナは驚愕した。
(少女漫画…!?)
ラノベまみれだった本棚の一角に少女漫画のコーナーが出来ていたからだ。
「い、いつそれを?」
「さっき出かけてきた時だよ。」
「あ、マナ。その前の巻読んでいい?」
「いいよ!」
ジーナがなんの違和感もなくその変化を享受している。
そのことにも唖然とするリリナだったが、ハッとして部屋を去ったジーナを追いかけて尋ねる。
「じ、ジーナさん!」
「何?リリナ。」
「基矢さん何かおかしくないですか!?」
「え?どこが?」
「どこがって…全部ですよ!」
「いつも通りじゃん。」
「……」
リリナの疑問が現実を侵食し始める。
(おかしいのは私の方なんでしょうか………
…こんな時こそ。)
「リリナ?どうしたの?」
「あ、いえ、なんでもないです。
私は部屋に戻りますね。」
「…?うん。」
湧き上がる焦燥感に駆られて急いで部屋に戻ったリリナはスマホを操作し、電話をかけ始める。
「……あ、詞亜さん?」
相手は詞亜だった。
『何?リリナ。』
「ちょっとこちらに来て頂けませんか?家なんですが…」
『家?何かあったの?』
「それが、基矢さんの様子がおかしいんですよ。
ジーナさんは別におかしくないと言ってましたが…」
『…リリナがおかしいんじゃない?』
「見てないのに決めつけないで来てくださいよ!ちょっと私がおかしいとか本気で思っちゃうじゃないですか!
お願いします来てください!!」
『まあ、どうせ暇だからそっちに行くわ。
基矢とも会いたいし…』
「…突然惚気るの止めてください。」
『良いじゃない、好きなんだから。』
「恥じらいが無くなりましたね…では、待ってますよ。」
『分かったわ。』
通話を切るリリナ。
ふと、マナの様子が気になったリリナはこっそりとマナの部屋を覗き見る。
(………ほぼいつも通りですね。持っている物を除けば。)
マナはというとベッドに横たわり、足をパタパタさせながら少女漫画を開いていた。
その顔は綻んでいるようだった。時折フフッ、と小さな笑い声が聞こえる。
その様子をしばらく見ていたリリナだったが、もう得られるものはなさそうだと思いそっとドアを閉める。
(……普通ですね。女の子としては。)
精神的な女性化を見抜いたリリナはきっかけを考える。
まず、今更神の力が効いたとは思えない。神の力以外での突発的なきっかけが生じたとも考えにくかった。
理由はジーナの反応。もしそうだったらあんな平然としている訳が無い。
一緒に帰ってきたし、理由が分からなければ分からないことを、知っていればそのきっかけを話してくれるはずだ。
もしくは…本当に自身がおかしくなってしまったのか。
そのあたりは詞亜の反応を見てから判断しても良いだろうと考えたリリナは、考察を終えて詞亜を待つ。
電話から十分後。
「待たせたわね!」
詞亜はややかっこつけながら訪れた。
「基矢さんの真似ですか?カッコイイデスネー」
「そんな棒読みじゃなくて良いじゃない…あと、ちょっと恥ずかしいわね…よくできるわアイツ。」
「それにしても、早いですね。てっきりもう少しかかると思ってましたが。」
「別件で近くまで来てたから、そのついでにね。
それで、基矢は?」
「見て頂ければわかります。では部屋へどうぞ。」
「おじゃましまーす…」
きちんとノックをしてからマナの部屋に入る詞亜。
「詞亜!いらっしゃい!どうしたの?」
リリナが様子を見た時と変わっていなかった。間違い探しにしても正解は無しになるだろう。
変わっているのは少女漫画のページが進んでいることくらいだろうか。
「なんか、リリナがアンタの様子がおかしいって言ってたから来たんだけど…」
「私が?別になにもおかしくないんじゃない?」
「……ウン、ソーネ。
リリナ、ちょっと。」
詞亜はリリナを連れ、一度部屋を出る。
「確かにおかしいわ。基矢はあんな漫画読まないし。」
「ですよね。
良かった、私は間違ってなかったんですね…」
「ええ。
でも、ジーナは違ったんでしょ?」
「はい。
しかし、何故かジーナさんだけはいつも通りと…」
「……ジーナが何かしたとか?」
「状況的にもそう考えられますね…」
「他の知り合いには聞いた?」
「いえ、詞亜さんとジーナさんだけです。
今日は平日なので、憂子さんは学校、憂佳さんは仕事ですし、モアさんもアウト。
奈菜美さんはなにか用事とか。」
「達治は?」
「そう言えば、達治さんには訊いてませんでしたね。田倉さんにも。」
「田倉?」
「あ、詞亜さんは知りませんでしたか?」
「…知ってる。」
「知ってるんですか?」
「基矢と一緒にうちのカフェに来たことがあったから。
確か、リリナが好きだったんでしょ?それで、どうなったの?」
「……あー…詞亜さんは知りませんでしたね。」
「何を?」
「実はその田倉さんなんですが…好きだったのは私ではなく、マナさんだったんですよ。」
「マナが?基矢が!?」
「まあ、キッパリ断りましたけどね…
その後、どう道を踏み外したのか女装の道に進み始めましたね。」
「何があったの…」
「基矢さんが口を滑らせて好きな女性のタイプを口走りました。」
「何やってんのアイツ!
……ところで、その、基矢の好きなタイプって教えてくれない?」
「瑠間さんがジャストでそれです。」
「基矢あああああああああああああ!!」
次の瞬間、詞亜は後ろのドアを開け放ってマナに詰め寄った。
「えっ!?何!?どうしたの!?」
「アンタ、アンタ瑠間がタイプだったの!?好きだったの!?私と付き合ってくれたあの時は何だったの!?」
「待って!いきなりどうしたの詞亜!?」
「……あー…もしかして、やっちゃいました?」
口を滑らせたことに気付いたリリナだったが、もう遅かった。
「アンタのタイプは瑠間だったの!?」
「タイプって何!?」
「だから、アンタの好きなタイプよ!」
「わ、私の…タイプ?」
「赤くなってる暇があったら答えなさい!ちょっと可愛くしないの!!」
「え、えっと…おっきくて頼りになる人…かな…」
「「!?」」
遠くで聞いていたリリナも目を丸くする。
「タイプが…違う?」
「ま、まさかアンタ…男に目覚めたの…?」
「え、えっと…
女の子になったんだし、今のままじゃいけないって思って…それで、ちょっと世間への振舞い方を変えた方が良いかなって…」
「……そ、う…」
詞亜は絶望した。
性別が変わっても、心が男であるうちはまだチャンスはあるだろうと心の奥底では思っていたのだ。
男に戻れないことを考えれば決して悪い選択ではない。
しかし、それはもう女性をそう言った目で見ないということでもある。
「…どうしたの?」
「……なんでも、ない。」
沈んだ声は聞く者に痛々しさを知覚させた。
俯いた顔は髪に隠れ、表情はうかがえない。
ただ、どんな表情かはリリナもマナも察していた。
「詞亜さん、あの…すみませんでした。」
「リリナは悪くないでしょ…悪いのは、諦めきれなかった私なんだから…」
彼女は足を止めない。
「詞亜!」
それがマナの呼びかけでも。
「これからも、友達として…仲よくしよう!」
「……ありがと。」
小さな礼は、かすかにリリナの耳を撫でただけだった。




