元五十七話 優しさの裏は醜さだった
ジーナの部屋のドアを閉める。
ドアを閉めればリリナの力により完全防音だ。どんなに大きい音でも部屋から廊下に音は漏れないし、廊下から音が入ることも無い。
なのに、俺は静かに涙を流していた。
何故か、声を出してはいけないと思っている。
『リリナ……
なんで、俺がお前を責めなきゃいけないんだよ。』
――本当は、激情のままに怒鳴り散らしたかった。
男に戻れない事実への困惑や喪失感。
戻せないと言った無責任なリリナへの憤り、怒り。
それらが混ざり合い、俺の心は荒れ狂っていた。
『基矢さん…?』
『お前は、俺を二度も助けてくれたじゃないか。
リリナに感謝はするけど、責める筋合いは無いだろ?
それに、お前のおかげでいろいろな奴に会えた。
憂佳もじょうちゃんも、守もギーナも、皆お前が引き合わせてくれたようなものだ。
今日皆で映画を観に行けたのも、俺をこの体にしてくれたお前のおかげみたいなものだろ?』
――これも本心だ。
この体になったからこそあった出会い、出来事。それらが激情をつなぎとめた。
…いや、それは少し違う。
『でも…それを差し引いても、私は許されないことを…』
『あのな。
俺は友達として、リリナに傷ついて欲しくないんだよ。』
――違う。
他人を傷つけるのが怖かったんだ。
友達が離れるのが怖かったんだ。
みんな綺麗事だ。本当の俺は、もっと醜い。
『ですが…それでは、けじめがつきません。せめて、何か一つでも――』
『じゃあ、一緒に居てくれないか?ずっと、皆でさ。』
………
俺は、リリナが本当に強い覚悟をしている事に気付いていた。
だから、その場の勢いで、その時だけの感情で、リリナが遠くに行ってしまうのが怖かった。
要はリリナの覚悟が怖かったのだ。
あの時、俺が出て行けと言ったら本当にこの家から出て行っていただろう。
あの時、もし一言でも死んでしまえと言っていたら、本当に命を絶っていただろう。
俺はその強い覚悟と、リリナが離れていく事、そして、何を言い出すか分からない俺自身を恐れたのだ。
怖がって、許したふりをして逃げたのだ。
本当の感情を隠して、本当に言いたいことを言わずに。
この涙は、俺が抑え込んだ感情そのものだ。
静かな涙は止まる気配すら見せない。左手でどれだけ拭っても溢れてくる。
『話はまとまったな。じゃあ、俺は部屋に戻る。』
『基矢、さん…』
部屋を出る時に見たリリナの表情が頭から離れない。
言葉を額面通りに受け取っていないのは確かだ、でなければあんなに辛そうな表情はしない。
………
リリナは、自分を責めているのだろうか。
責めているだろう。俺が償わせるまで、ずっと…
…もう、それで良いんじゃないか?リリナの償いは、自分で……
…駄目だ。
やっぱり俺、逃げてるだけじゃないか。
綺麗事を並べて逃げて、するべきことから逃げている。それを正当化しようとしている自分も居る。
俺は、本当に醜い人間だ……
「基矢さん。」
背後からリリナの声がした。
ぎょっとして俺は涙をぬぐい取り、リリナに向き直った。
驚いたせいか、涙は止まっていた。
「なんだ?」
声は震えていた。
何事も無かったかのような声色を作ったはずだったのに。
リリナは一瞬辛そうな表情を浮かべると、俺を強く抱きしめた。
「リリナ?」
「無理、しないでください。」
「何言ってんだ、無理なんてしてない。」
鼻声で言っても説得力は無いだろう。
それでも俺は、嘘をつき続けることを選んだ。
「…あんな言い方では、あんな状況では言いたいことも言えませんよね。
正直に言うと、私も貴方の優しさに甘えてました。もしかしたら、強く言えば何も言わないんじゃないかって。」
「…俺は優しくなんて無い。
俺は自分を守ることしか考えてなかったんだ。」
この時、俺は自分の仮面が完全に剥がれたことに気付かなかった。
「基矢さん。」
リリナは両腕を俺から離し、左腕を掴んで自分の部屋へ引きずりこんだ。
更に、ドアは完全に閉める。
「リリナ、どういうつもりだ?」
「基矢さん。これで、誰に聞かれる心配もありません。ここには私しかいません。」
「だから、どういうつもりなんだ?」
「私は貴方から離れません。今から、何を言われようと。
でもちゃんと聞きます。そして、明日からはいつも通りに接します。」
「質問に答えろ!」
「だから、私に言いたいことを全部言ってください!!」
「!!」
「どんなに辛い言葉でも、どんなに醜い告白でも、私が全部受け止めます!!
だから、貴方の気持ちを全部、私にぶつけてください!!!」
「う、うっ…うわあああああああああああああああ!!!」
―――俺は、この後大声で泣きわめきながら押さえつけていた本心を吐き出し、綺麗事で塗り固めていた醜い心を全て曝け出した。
リリナは俺を抱きしめ、優しく撫でながら、黙って全てを聞いていた。
目が覚めると、俺の頭はリリナの膝の上にあることが分かった。
腫れぼったい目を開けるとリリナの寝顔が映り、後頭部に柔らかい、まるで人の肉のような感触があったからだ。
でも憂佳より少し固いな…リリナ、意外と筋肉質なのか?
「今失礼なことを考えませんでしたか?」
「うわあお!?」
目を閉じたまま鮮明な寝言を吐いたリリナ。
よく見ると目は薄く開いていて、その奥には恐ろしい眼差しが…
「な、何も考えてないぞ!?っていうかお前起きてたのか!?」
「細目でマナさんの寝顔を堪能してました。
やっぱり、中身はともかく外面は良いですからね~。」
「お前が失礼なこと言ってるだろ!」
「……膝枕してるのに唾飛ばさないでくださいよ。唇についちゃったじゃないですか。」
「あ、すまん…」
素直に謝ると、リリナはペロリ、と唇を舐めた。
「おい!」
「冗談ですよ、唇に唾なんてついてませんから。」
「ちょっとそのペロリ止めてくんない?誘拐された時を思い出すんだけど。膝枕もされてたし…」
「フフフ、すみません。」
少し頭を上げて、リリナの膝枕から脱出する。
「髪の毛がくすぐったいです…」
「あ、悪いな。」
しまった、伸びてた髪の事を忘れていた。
性別が変わった時にもセミロングくらいには伸びてはいたが、美容院なんて行ってないので二か月間伸び放題の髪はロングと呼べそうなほどになっていた。髪切りに行かないとな…
でも、今日は……あ。
「…今日、学校だよな?」
「そうですね、早く支度しないと………」
「どうした?」
掛けられていた毛布をたたみ、リリナの布団に戻しているとリリナの動きが止まっていることに気付いた。
「あ、足が痺れて…」
「……まあ、一晩中膝枕なんてしてたらな。」
その日の朝食はカロフレが並んだ。
レイティは一晩放置されたことも含めてぶーたれていたが、カロフレを食べて陥落した。カロフレは世界に通じるらしい。
「……マナさん。昨日言ってた物は帰ってから渡しますね。」
「え?なにそれ?」
全く覚えてなかった。
シリアスが続いたのは多分五月病のせいです。
冬休みより休んでたしなぁ…




