元五話 コイバナしてたと思ったら追いかけてきた
1人暮らしになってからというもの、詞亜の住んでいるマンションには行ったことが無い。
年頃の男女だし、そのあたりに気を遣うのは間違っていないのだが…互いの距離が広がったようで少し寂しかった。
友達だからな。
「いいですか?洗い方ですが、雑に洗っちゃだめです。
髪はシャワーを30秒浴びて、それからシャンプー、リンスを使ってください。
体はボディーソープを手に付けて、塗り広げるようにして洗ってください。
拭く時もゴシゴシしたら痛いですよ?タオルに染み込ませるように優しく拭くんです。
…って、ネットにありました!」
「お前の洗い方じゃねーのかよ!」
「神には老廃物も排泄物も無いのです!お風呂もトイレも不要!今は必要ですけど!」
女神はトイレに行かないらしい。ひと昔前のアイドルを思い出した。
今、詞亜の立ち会いの下リリナに体の洗い方の講義を受けている。
いつ過度なスキンシップが入るか分からないからと見張り役を買って出てくれたのだ。
ありがたいがもう遅いとも言える。今の俺に失うものは無い…
あるのは自分の体を洗うことに対する緊張である。
初めてだからうまくできるかわからないというのもあるが、中身は俺でも見た目は美少女。
その体を洗ってもいいのだろうかと言う躊躇が入ってしまう。
洗うのは俺しかいないと自分に言い聞かせてトライすることにしよう。
講義を聞き終えた俺は玄関から入ってすぐにあるというユニットバスに行った。どうでもいいがトイレと風呂は一緒らしい。
「……行きましたね。」
「行ったけど…何?」
基矢が脱衣所に入ったところでリリナが呟いた。
詞亜は嫌な予感を感じつつも話を聞く姿勢に入る。
「私、一回やって見たかったんですよ。
全JK、いや全女性恒例のコイバナと言う奴を。」
「……そ、そうなんだー」
詞亜は目を逸らす。
逃げたいと思っていることがひしひしと伝わってきてもリリナは躊躇しない。
「目を逸らさないでください。今ここに私の相手は貴女しかいないじゃないですか。
聞かせてくださいよ、基矢さんを好きになった理由を。」
「え、ええ!?
わ、私があんな奴を好きだなんて、どこで判断したの!?そんな訳無いじゃない!!」
そこで顔を真っ赤にして否定する時点でもう肯定しているようなものだ。
リリナは呆れながら言う。
「…いっぺん自分の行動を思い返してみてください。何故ばれないと思ったんですか?」
「だって、当の本人は全く気付かないし…」
「彼のような朴念仁を基準にしないでください。私だって恋に恋する乙女ですよ?」
「……」
色々ツッコみたい事はあったが、ぐっと飲みこむ詞亜。
「それで?いつどこで?」
彼女は観念して口を開いた。
「……去年だったかしら。
クリスマスごろにこの辺りの物件を見に来てたのよ。
その時基矢も一緒だったんだけど…」
「何かあったんですね。」
「ええ…コンビニの前で質の悪いナンパに引っかかっちゃって。
その時基矢にはコンビニで買い物してもらってたわ。」
「店内で待たなかったんですか?」
「ちょっとこのあたりの風景が見たくて。
それで、腕を引っ張られて無理やり連れて行かれそうになった時、基矢が腕を叩いて助けてくれたの。
買い物してたはずなのになんで?って基矢を見てみたら、会計前の商品が道に落ちてて。
慌ててコンビニの店員が追いかけて来てた。
結局のところ基矢は店員の声に気付いたところを殴られちゃうんだけど…その時、基矢にこんな勇気があるなんてって、見直したわ。」
「ちょっと待ってください。貴女を守れてませんよ?」
「最終的には通りすがりのお姉さんが目にもとまらぬ動きでナンパを投げ飛ばしてくれて、私は助かったんだけどね。」
「何者ですかそのお姉さん…」
「黒くて長い髪に、きれいな顔。
それに、男口調で一人称は俺だったような…」
「ギャップすごいですね。」
「憤怒の形相で走ってきたときは殺されるかと思った。
そんな相手に大丈夫か?なんて聞かれても怖くて怖くて仕方なかった。」
「……」
「お姉さんはすぐに立ち去って、ナンパはどこかに連れていかれたけど…基矢はその時やっと起きて、大丈夫かって訊かれた。
お姉さんのそれとはまったく違って、間抜けなはずなのに妙な安心感があって…
ちょっとダメなところも含めて好きになっちゃったの。」
「……普通はお姉さんの方を好きになりそうなものですけどね。」
「あんな殺気を向けられて好きになんてなれない…しかも女性だし。」
「殺気はナンパの方に向いていたのでは?」
「巻き沿いを喰らったって感じね。」
「それは災難でしたね…」
「おーい、背中はどうするんだ~?届かないんだけどー!」
話にひと段落付いたところで風呂場から基矢の声がした。
「ボディタオルを使いなさい!」
「これかー!ありがとー!」
「……」
「どうしたの?」
今のやり取りを聞いてかどうも納得がいかないと言いたげな顔をするリリナ。
「詞亜さん、一つ話が…」
「何?」
「上がったぞー、いやー助かった。ありがとな、詞亜…
…詞亜?リリナ?」
背筋が凍りそうな笑みを浮かべる2人。
今日何度目かも分からない嫌な予感を感じながら問う。
「その笑みはなんだ?」
「ねえ基矢、これ見てくれない?」
問いに答えず詞亜が見せたのは手鏡。
基矢が見るとさっきと変わらず銀髪黒目のロリ美少女が映っている。
「鏡がどうした?」
「基矢がお風呂入ってる間に話してたんだけど、こんな子が男っぽくしてたら変だよねー」
「二の句は要らんさらば!」
一を聞いて十を察した基矢は高速で振り返り脱兎のごとく玄関へ走る。
「待ってください!」
「なんで逃げるの?」
「嫌だ!嫌だ!人格の矯正なんて人権の侵害だ!個性の剥奪だ!アイデンティティの喪失に他ならない!!
俺はどれだけかっこ悪くても生きる!例え無様でも俺は俺として生きるんだああああああああああああ!!!」
玄関の扉を開けた手で勢いよく戻し、軽い時間稼ぎをして外に出る。
「待ちなさい!」
「修正しなければならない…!貴方の性格を!!」
それを意に介せず追いかけてくる2人。
もう片方は工事中で一つしか使えないエレベーターまで行って扉を閉めてしまえば俺の勝ちだ。6階なら階段よりもエレベーターの方がよっぽど早い!
この体は軽く、加速が容易だからか2人との差は広がっていく。力はそのままだったのが功を奏した。
丁度エレベーターは人が載っているところだった。運がいい。
「すみません!乗せてください!」
「え?い、良いけど…」
開のボタンを押してくれている間に乗り込み、扉を閉じてもらう。
「ああっ!待ってください!私達も」
閉じた扉は戻らない。
扉を開けようとした人の腕をつかんで止めたからだ。危なかった…
そしてそのままエレベーターは降りていく。
「…大丈夫だったのかい?」
「はい、ありがとうございました!」
「鬼ごっこでもしてたのかな?
ダメだよ、こんなところで追いかけっこなんて。」
「ごめんなさーい。」
悪びれる様子もなく謝る。
ふと、エレベーターのボタンが見えた。
「四階…!?」
「ああ、今から四階の友達の家に行くところだったんだ。」
しまった、これじゃタイムロスが発生してしまう。
2人より先に行けるか…
と思っていたら五階で止まり、何人か乗客が乗ってきた。
それぞれ二階、三階とボタンを押していく。
これでは間に合わない。一階に着いた途端に捕まる…
一体どうすれば良い!?
俺が悩んでいる間にもエレベーターは無情に進み、人が降りていく。
四階に乗客が降り、三階に着いた時天啓が舞い降りた。
一か八か…この場所で降りて階段から行く!
どうせ一階では2人がエレベーターの前で待ち伏せている。
ならばここで降りて階段から降り、ばれないように外に出るしかない!
エレベーターを飛び出し、階段を駆け下りる。
一階に着くとやはり2人がエレベーターの前で立っていた。
「ゲームオーバーね、基矢。」
「まさか他の方に邪魔されるとは思っていなかったでしょうね…我々もですが。」
エレベーターのランプが1を示していた。
2人は扉が開くのを今か今かと待ちわびている。
その間に俺は外へ飛び出す。
「……あれ!?基矢は!?」
「あ!あれは基矢さん!?」
「いえ、基矢は確かにエレベーターに載ったはず!」
後ろから聞こえてきた二人の声は無視し、外を駆け抜けた。