元百三話 覚悟が出来ず無責任になりかけた
今のリリナは俺が元々男だったことは知らないはずだ。
だから、同性の俺を恋愛対象として見ることはまず無い、そう思っていた。
「私も自分で言ってておかしいとは思ってます。同じ女性を好きになるなんて…」
…俺も、おかしいと思う。
だからこそリリナの彼氏の事を聞いて湧き上がる感情に良い思いをしなかったし、認めたくなかった。
「でも、そうとしか言えないんです。
友人と言うには大きすぎる好意ですし、家族と言うには異質です。
一番近い感情が好きな異性に対する恋心…だと思うんです。
貴女と一緒に居ると安心して、ふと肌が触れ合うとドキドキする。これは間違いなく恋だと思うんです。
貴女とどのように出会ったのかは分かりません。貴女とどう過ごしてきたかも覚えてません。
ですが、これだけは分かるんです…きっと、私はずっと前から貴女の事が好きだった!!」
…記憶を失う前、リリナは俺に向けている感情の正体に悩んでいた。
それはリリナが気付けなかったのか、あるいは無意識に押さえつけていたのかは分からない。
しかし、彼女はようやく自分の気持ちと向き合えたのだろう。
思い出を失い、“裸の心”になったから。
…俺は、どうだ。
もう気付いているはずなのに、この期に及んでずっとぼかし、ごまかし続けている。
俺には記憶があるとか、そんな問題じゃない。
ただ単に…覚悟が出来てないだけだ。
「……リリナ、俺は…」
「分かってます。私と貴女は女性同士、そんな関係になるなんてありえないですよね。
でも、言わなきゃいけないと思ったんです。例え私と貴女の関係が変わっても。」
俺が一番恐れていたのはそれだ。
その気持ちを自覚したら、今までのリリナとの関係が変わる。
楽しいやりとりも、出来なくなってしまう。
「…俺は、リリナとの関係が変わるのが怖い。
覚えてないだろうけど、俺とお前はお互いに憎まれ口を叩き合うような仲だった。
嫌なこともあった。不快な思いなんて日常茶飯事だった。
けど、楽しかったんだ。
それが終わるのが怖いんだ。だから、俺はお前をリリナと同じ存在として見られなかったし、今もこうして自分の気持ちを押さえつけてる。
でも―――」
続く言葉を言おうとして気付いた。
俺、さっきまでのリリナみたいになってる。
自分の心を押さえつけて人と接する――それは結構当たり前だし、互いの我慢があってこそ続く関係もある。
さっきまでリリナはそう思ってたんだ…
それに対して俺はなんて言った?
『……我慢するなよ。
その我慢は誰の為にもならない。』
…無責任だな。
でも、続きを言わなくてよかった。それを言ってたら本当に無責任な奴になっていた。
「…マナさん?」
「―――いや、何でもない。
でも、リリナが勇気を出して言ってくれたんだ。俺もちゃんと返事をする。」
「あ、えっと、いえ!別に今じゃなくても良いですよ!ちゃんと考えてから言いたいでしょうし、気になりますけど私も返事を聞くのが怖いですし…」
「……さっきまでの勇気はどこ行った?」
「えっと…すぐに返事を貰えるとは思っていなかったので…
でも、知ってほしかったですし考えてほしかったので言ったんです。
なので、じっくり考えてから返事をください。半ば勢いで言ってしまったので、私も受け止める覚悟が出来てないんです…」
「でも」
「そ、そう言うことですからお先に帰らせていただきますね!」
「あ、ちょっと待て!俺追い付けないんだけど!おーい!」
リリナは凄まじい速さで去っていく。
全力で走って行かれたら俺が追い付くことなんてできないので、自分のペースで帰ることにする。せめて守くらいの身体能力があれば一緒に帰れるのだが、俺は人間だ。
…そう言えば今日は守と会わなかったな。ワオンモールに来た時は皆勤賞レベルで鉢合わせしたのに。
なお、この後マヤからお説教を食らったのちに夕食抜きの刑に処された模様。ハンバーガーはマヤの胃の中に納まっていたらしい。
「桝田さん。放課後、お話良いですか?」
「ああ、その…昨日はマジゴメン?許してほしいんだけど。」
教室でぼんやりと昨日の返事を考えていると、リリナと桝田の会話が聞こえてきた。
2人の声に身が強張るが、昨日リリナは桝田と別れると言っていた。恐らくだが放課後の呼び出しはその話を切り出すためだろう。
「…体育館裏で待ってます。では、次の授業は理科室なので。」
「え、ちょっと待ってよリリナちゃ~ん!」
冷たく言い放つリリナにやや焦りがちな顔で追いかける桝田。
それを見た俺から昏い笑みがこぼれる。
そして自己嫌悪。ナルシポイント-20ってところか…ここ数日で半分以上は削られてるな。自分嫌いまであと少しってところか。
「…どうしたマナ?お前のそんな邪悪な笑み初めて見たぞ?」
「笑顔の暗黒面にでも落ちたの?」
「笑顔の暗黒面ってなんだよ…」
どっかのトマトの事か?
いつも通りそんな俺に話しかけてきた勇気ある2人は達治と田倉。なんだかんだで波長が合うからなのだろうか。大体学校ではこの三人で居る事が多い気がする。
…リリナやジーナは多方面に友達が居るからな。鴨木さんは大体本読んでる。
「いや、ちょっと何でもない。思い出し笑いだ。」
「そんなに禍々しい思い出し笑いねーよ…」
「ちょっと黒いオーラが出てた気がするんだけど…」
マジか。俺そんなに真っ黒だったの?自分でもびっくりだ。
「…ついでにちょっと嫌な事を思い出してな。
それより、次理科室だろ?早く行かないと遅れるんじゃないか?」
「……マナさんの準備待ちなんだけど。」
「え?あ、ゴメンゴメン!えっと、理科理科…」
理科の教科書とノートを机から引っ張り出す。
わたわたと取り出す様は狸と揶揄されるロボットを思いださせるだろう。やってる俺が思い出したんだ、間違いない。
「よし、行くぞ!」
「あ、ちょっと待てよマナ!思い出したって何思い出したんだよ!」
返事をせずに廊下を走る。
すぐに先生に止められて注意を受けた。廊下を走るのは良くなかったよ、うん。
「どうしたのリリナちゃん?こんなところに呼び出して。」
桝田はいやらしい笑みを浮かべてリリナに訊く。
相変わらず不愉快な奴だ。その言動一つ一つにイライラさせられる。
時は放課後。場所は体育館裏。そこではリリナの言っていた待ち合わせが無事果たされていた。
その結果が気になって仕方が無かったので待ち伏せしてまで2人の様子を見ている。
悪いとは思うがえっと…やべぇ正当化できない。あえて言うなら桝田の奴が別れ話を切り出されてもし暴力に訴えたら俺が割って入るくらいしか思いつかない。
…それでいーじゃん。
「それより昨日の事はゴメンね、ちょっとカッとなっちゃってさ…」
「いえ、昨日の事はもう良いんです。」
「あ、そう?なら良かった良かっためでたしってこと?」
「……ええ、そうですね。
貴方と別れれば全てめでたしです。」
…おおう、切り出すの早いな。
一秒たりともこんな奴に時間を使いたくないという意思を感じる。良いぞ良いぞ。
「…ねえ、今なんて言ったのリリナちゃん?
俺の聞き間違いじゃなきゃ別れるとかなんとか…」
「聞き間違いじゃありませんよ。
…別れましょう、私達。私は貴方が好きになれません。」
「…それって記憶が無くなったからなの?今までの事全部忘れちゃったから別れようって言うの!?ねえ!?」
ここに来て桝田の言葉に剣幕がついた。
リリナは少したじろぎながらも言葉を返す。
「…いえ、記憶が無くなったからではありません。
今の私が、どうしても貴方を好きになれないから…もう貴方には付き合いきれないから別れようと言っているんです。
このまま付き合い続けても、誰も幸せになれません。私も、貴方も。」
「それを決めるのは俺じゃん!リリナちゃんが勝手に決める事じゃないよね!?」
「確かに私が決める事じゃないかもしれませんが、貴方が決められることでもないんですよ。
自分さえ良ければ私なんてどうでも良いんですか?」
「そんなこと言ってないじゃん!
確かに今のリリナちゃんの態度はそっけないと思ってたけど、事故の前はメチャメチャ甘えてくれたじゃん!!
きっと今はまだ気付いてないだけなんだよ、俺の良さに!」
「過去がどうあれ、今の私が嫌なんですよ!
貴方から向けられる変質者のような視線に耐えるのはもううんざりなんです!!」
「へ、変質者!?俺が!?」
「そうですよ!貴方がですよ!!
ずっと気付いてないと思ってたんですか!?私の顔や胸や下半身に向ける貴方のいやらしい視線に!!」
うわぁ…そりゃ耐えられないだろうな…
俺、胸だけでもあんなに辟易としてるのに…
「べ、別にそんなこと無いって!気のせいだって!」
「気のせいじゃないなら貴方がデートの時に頻繁に向けてきた表情は何ですか!?
あれが真面目な表情とか言わないですよね!?少なくとも恋人に向ける表情とは思えませんでしたよ!!
いい加減限界なんですよ!もう貴方の事なんて知りません!!」
踵を返してずんずん足音を立てながら校舎裏を出て行くリリナ。
それを見た桝田は表情を焦りから怒りに変えてリリナに掴みかかった。
「な、なんですか!?もう顔も見たくないんですよ貴方なんか!!」
引きずり倒されて怯えるリリナは抵抗する様子が無い。
今の彼女は自分がか弱い女の子だと思っている。下手に抵抗しても状況は打破できず、余計に酷い目に遭うと思っているのだろう。だから怯えて攻撃することも出来ていない。
「うるせえ!こうなったら無理やりにでもぶべっ!?」
台詞を言い切る前に地面に倒れ込む桝田。
「…マナ、さん…?」
その理由は振り切られた俺の足にあった。
まるでサッカーのシュートのように蹴られた桝田の頬には靴の跡がある。俺の靴と形を合わせてみるとピッタリ合致するだろう。
「リリナに、リリナに何をする気だ!このゲス野郎!!」
怒りに駆られた俺は様子見を止め、とうとう直接手を下していたのだ。




