87 異世界でも衣装は綺麗でした
この世界におけるギルドとは、仕事の斡旋と同業者の交流を目的とした組織です。街々にギルドマスターがいて、彼らが個人でギルドを経営しているという形ですね。
中世でのギルドもそんな感じだと思います。弱者が協力して組織を作るのは当然。商業なら価格設定により、社会的にも政治的にも発言権が生まれますから。
だからこそ、強大なギルドは生まれません。貴族や王族がそれをさせないでしょう。
ですが、シャイロックさんが治めるギルドは全商業ギルド。このカルポス聖国における市場を支配していると言えます。
それは現日本における強大な組合という事。時には王をも凌ぐ権力を持ち得るでしょう。
マイアさんはそんな彼に涙を見せ、助けを求めるように抱きつきます。
「アントニオさん……! アントニオさん……!」
「おう、マイア元気だったか。随分と大きくなったじゃないか。もう大丈夫だ」
大きくなった……? 小人ですよね……?
それはさておき、どうやら彼は味方のようです。場数も踏んでいるようで、こういう場面にも強いという感じでした。
彼はマイアさんを肩に乗せ、私たちの前に出ます。そして、呆然とするトマスさんの頭にポンっと手を乗せました。
「坊主もよく戦ったな。ありがとう。後は俺に任せてくれ」
「お……おう……」
このおっさん、なんと心強い! 流石は商業ギルドのトップ、やっぱりただ者ではありません。
彼は騎士団長のロッセルさんと向き合い、懐から何かを取り出します。それはくるりと巻かれた紙面。どうやら何かの契約が記されているようでした。
「正式な手続きにより、これよりキトロンの街は商業ギルドが仕切ることになった。ツァンカリス卿の遺産、屋敷、炭鉱の権利は我々が引き継ぐ。もう一度言う。これは国王公認の正式な手続きだ」
「国王公認だと……!」
シャイロックさんは紙を広げ、それを騎士たちに見せつけました。
なんと、おっかなビックリ。彼はこの事態を想定し、既に国王との対談を済ませているようです。
キトロンは採掘街。商業ギルドが管理し、そのまま魔石を流通させても不思議ではありません。勿論、それ相応の条件はあるのでしょうけどね。
「ツァンカリス卿は抜け目のない爺さんだ。自分が死んだときのことを考えていないはずがないだろう。相続税なら払う。だが、我々の所有物に触れるのならば、こちらもしかるべき処置を取らなければならない」
この屋敷は既に商業ギルドの所有物です。これで身勝手に荒らすことは出来ません!
硬い口調で正論を唱えるシャイロックさん。やがて、彼は不敵な笑みをこぼし、態度も砕けたものへと変わります。
「なあ、カリュオン。利益はきっちり国に還元する。だから、今日はもう帰ってくれないか。みんな色々あって疲れてるんだ」
「ぐぬ……」
あ、今ロッセルさんを名前で呼びましたね。ギルドマスターのシャイロックさんと、騎士団長さんは知り合いでしたか。
どう考えても理があるのはこちら。それを理解してか、イケメン剣士のシャルルさんが隊長に言います。
「ロッセルさん、遺産がないのならば長居は無用です。私たちの目的は怪人ハイド。あまり時間は使えません」
「くっ……失礼したな……!」
シャルルさんの言葉を受け、ロッセルさんはそう吐き捨てます。
どうやら分かってくれたようですね。彼らはすぐに姿勢を正し、まるで行進するかのように屋敷の外へ歩いていきました。
そんな中、私は聖剣隊のエースであるシャルルさんと目が合います。彼はこちらを注意深く観察し、やがてぷいっとそっぽを向きました。
絶対に意識してましたよね? そんな疑問を抱くのと同時に、シャイロックさんが私の肩に手を乗せます。
「そう奴らを憎まないでくれ。あれは真面目すぎるだけなんだ。普段は良い奴らさ」
別に憎んでいませんがね。彼らもお仕事ですしー。
それはともかくとして、この人のおかげで問題解決です。彼は自らと旦那様の関係も言わないまま、この場を仕切り始めました。
「さて、あの偏屈爺さんの顔でも拝みに行くか。マイア、案内してくれ」
「はい!」
マイアさんは知ってるみたいです。やっぱり旦那様の友人でしょうか?
ま、味方なのは確実でしょうし、助けてもらったので文句はないですね。むしろ不安なので仕切ってほしいです。
恐らく、彼が新しいキトロンの領主なんでしょう。第一印象は最高。マイアさんも信用している。
よしっ合格! っと上から目線で評価しました。はい。
再び旦那様の寝室に戻り、シスターのミテラさんと合流します。
女性三人、男性二人、五人で旦那様の遺体を囲みました。重い空気の中、商業ギルドのマスターは老人に頭を下げます。
「師匠、只今戻りました……」
帽子を取り、目を僅かに潤ませるシャイロックさん。
この人、旦那様のお弟子さんでしたか。なんですか、ちゃんと次の世代に繋いでいたんじゃないですか!
涙を一切見せないまま、毅然とした態度で顔を上げます。やがて、彼は視線をミテラさんに移し、再び頭を下げました。
「お初にお目にかかるシスターミテラ。師匠の件は礼を言わせてくれ」
「い……いえいえ! 当然の事をしたたたた!」
超テンパるミテラさん。ギルドマスターを前に、ポンコツモードに入りました。
彼女のおかげで場は和みます。ですが、シャイロックさんの表情は険しいままでした。
どうやら、旦那様の死に疑問を持っているようですね。
「マイア、師匠は誰に殺されたんだ?」
「街の若者です。政治、組織、宗教、その他への関わりはないと調査結果が出ています。本当に一時的な気の迷いだったようです」
陰謀ではなく、ただの悲劇だった。そう思わざる得ない状況です。
実はモーノさんの鑑定スキルにより、犯人が操られていないのは確認済み。命令を受けたという疑惑もありません。
シャイロックさんは諦めます。引っ掛かっても証拠が出ないのですから。
「嫌な奴を殺す。それが人のすることか。憎い奴を殺す。それが人ってものなのか。分からないものだな」
私も分かりません。ですが、両方含めて人が好きです。
だから、悲劇が起きないように相手を理解したい。もうこれで旦那様との関わりも終わりますし、最後に全てを聞いてみましょう。
「あの、私はテトラ・ゾケルと申します。旦那様の宮廷道化師を務めさせてもらっていましたが、彼のことを何一つ知りませんでした。是非、その英雄伝を聞かせてください」
私のお願いを聞き入れ、シャイロックさんは静かに語り始めます。
そんな彼を横目で見るトマスさん。興味のない素振りをしつつも、しっかり耳に入れるみたいです。
「ナノス・ツァンカリス、彼は商業ギルドの創設者であり、裁縫技術の先を行く天才だ。彼の投資によって靴や衣類の制作技術は発展し、この世界に大きな影響を及ぼした」
それは、あまりにも合点のいく事実でした。
小人の靴屋として技術を学び、経済力を付けた旦那様は商業ギルドを設立したんです。全ては商業によってこの世界を変えるため。戦争によって両親を奪われ、底辺に陥れられた彼なりの報復だったのです。
ただのギルドではありませんよ。聖国全土に影響を及ぼす強大な組合。
これが中世に出来てたまりますか。
ツァンカリス卿が行ったことは、一世紀も先の偉業だったのです。
「下水の処理、街の清掃、入浴による衛生。それらの文化は近年、ツァンカリス卿がこの国に広めたものだ。彼は何よりも人目に気を使う男だった。金にがめついが、その金によって世界の常識を変えたんだ」
また、中世ベースと思われるこの世界が異様に綺麗な事。街の人たちに入浴の文化がある事。それらは全て旦那様が広めたものでした。
何という影響力。何という経済力。私はとんでもない偉人と関わりを持ったことに気づきます。
シャイロックさんはそんな彼に魅かれ、弟子入りしたんでしょう。そして、商業ギルドのマスターという席を手に入れたんです。
「自分の愛する靴や服に愛情を注ぎ、それ以外には冷徹な態度を決め込んでいた。実際、嫌な奴だったろ? これからこの街は我々生産ギルドが治めることになる。負債のことは忘れてくれ。支援はこちらで……」
「返すよ……!」
彼が負債の免除を提案した時、トマスさんが突然声を張り上げます。
真剣な顔つきでした。ただ、冒険者というおぼろげな夢を語るだけではありません。
旦那様の『孤児たちが立派になったときに負債を返せる』という言葉。彼はそれを聞いていませんが、自然と実行に移ろうとしていました。
「借金なら返す。俺が一流の冒険者になって! あの爺さんより偉くなって! 借りたお金を百倍にしてギルドに返してやる! それでお前らは喜ぶんだろ!」
「……ああ、期待してるよ。お前のお金で、この国の生産技術はさらに進歩するな」
視線を上に向け、感慨深い表情をするシャイロックさん。世代はこうやって受け継がれていくんですね。
旦那様の死は確かに悲しいことかもしれません。ですが、生きとし生けるものは必ず死にます。大切なのは何を残すかなのかもしれません。
だから、残された私たちは少しでも恩返しします。それは、どの世界でも同じですね。
「さて、師匠の死を聞いた奴らが街に集まってくる。マイア、葬儀の準備だ。忙しくなるぞ」
「はい、早急に取り掛かります」
そう、葬式です。シャイロックさんとマイアさんはその準備に移りました。
まったく、めんどくせー文化ですね。まあ、めんどくせーですけど手伝っちゃいますか。
私は二人に続き、屋敷を後にします。何にもできない私ですけど、少しは役に立てるかもしれませんから。
街外れ。孤児院の子供たちと協力し、私は旦那様を埋める穴を掘ります。
土魔法や魔石を使えるため、以外にも作業はサクサクと進みました。流石にシャベルカーには負けますが、スコップよりもは遥かに進化してますね。
作業をしていると、葬儀に参列する人々が集まってきます。その数は二桁を超え、旦那様の影響力が伺えました。
「嫌な爺さんなのに凄い人だな……」
「人望と影響力は比例しません。何だかんだで、たくさん関わりを持っていたんですよ」
泥だらけのトマスさんに対し、私はそう返します。
まあ、関わりがが多かったからこそ、旦那様は殺されたんでしょう。加えて性格が悪いのですから、恨みを買われて当然です。
遅かれ早かれ死んだんですよ。人に冷たい態度を取れば報復を受ける。
全ては自業自得で……
「お姉ちゃん……見えたよ……虹色の世界……」
突然、ジェイさんが言葉をこぼします。
私はふと視線を上げ、この街に訪れた人々を視認しました。
瞬間、ずっと我慢していた涙が一気に零れ落ちます。
「これ……全部ツァンカリス爺さんが……」
トマスさんの声は震えていました。
当然です。私たちの目に入ったのは、十人十色に彩られた人々の衣服だったのですから。
ネクタイ、リボン、フリルにレース。まるで物語に見る世界のようです。
私は……私は何も知りませんでした。
この世界の衣服は中世より発展している。そういう世界なんだから意味はない。特に疑問を抱かずにここまで来ました。
ですが違います。
理由は確かにありました。
この世界に咲く美しい靴と衣装。
それは一人の天才、一人の投資家がもたらした奇跡だったのです。
ナノス・ツァンカリス、商業ギルドの創設者。
カルポス聖国の文化発展に大きく貢献し、街の下水処理計画の着手に努めた男。
彼の投資によって裁縫技術は大きな進化を遂げ、その財力はタカ派への牽制となっていた。
更生に名を残す偉人。
享年、七十五歳。
中世ベースなのにこの部分進化しすぎだろ!
と、突っ込みたくなる作品があったとして、
もしかしたらその世界には、物語では語られていない一人の偉人が存在しているのかもしれません。
もしかしたらね。