86 最強騎士団のご登場です
老人が一人、ベッドに眠っていました。
口、耳、鼻に綿がつめられ、体中に油が塗られています。顔には綺麗な化粧が施され、氷魔法によって腐敗を防いでいました。
処置の丁寧さから、身分の高さが伺えます。これなら、旦那様も文句はないでしょう。
これらの処理を施したのはシスターのミテラさん。小人のマイアさんは彼女に向かって頭を下げます。
「ありがとうございます。旦那様は綺麗好きだったので、きっとお喜びになられると思います」
「いえ、私はシスターとしての仕事をしただけです。彼にはお世話になりましたしね」
旦那様は未婚、遺産を相続する家族も親戚もいません。
孤児院が借りていたお金も返せなくなっちゃいましたね。街の仕事を請け負う話も白紙ですし、また探し直さないといけません。
ですが、心配はしていませんよ。ミテラさんの認識が変わり、子供たちのやる気も十分です。次の領主相手でも、彼女たちは上手く立ち回ってくれるでしょう。
私は眠る旦那様の手に触れます。
とっても冷たくて、別世界の存在のように感じました。
「お疲れさまです。旦那様……」
作り笑顔で慰労し、そのまま部屋を後にします。
黒猫さんが眠ったとき、私は彼女の亡骸を『それ』と切り捨てました。
ですが、白猫さんが眠ったとき、私は『それ』を血眼になって運びました。
初めから割り切れてなんてなかったんです。ただ、無理をして我慢して……最後には心を病んで、幻覚や嘔吐に悩まされましたね。
なので、私は割り切れないことを割り切ることにしました。
誰だって、友人が死んだら悲しいんです。死んでほしくなかったに決まっています。
私も同じ、そんな当たり前のことをようやく理解したのかもしれません。
キトロンの屋敷。旦那様の部屋から出ると、そこにはトマスさんが座っていました。
廊下で一人、床に胡坐をかく少年。悲しんでいるのか、腑に落ちないのか、そんな複雑な表情をしています。
彼は特別ツァンカリス卿と親しかったわけではありません。会話をしたのは昨日が初めてでしょう。
ですが、あの一件で旦那様の夢を聞き、何か思う事があるようです。視線を伏せたまま、少年は口を開きました。
「俺、分かってたんだ。ツァンカリス爺さんが悪い奴じゃないって……分かってたんだ……」
ある人にとっては悪人であり、ある人にとっては善人である。評価なんて人によって変わります。
だから私は正義にも悪にもこだわらない。自分の感じたままに動き、感じたままに表現する。トマスさん、貴方も同じですよね?
「勝手に屋敷に入ったこと、謝れなかった……あーあ、スッキリしないなー」
「謝ったら謝ったで情が移るだけです。良いんですよ。子供なんて、やんちゃで反省しないぐらいが丁度いいんです」
人生なんて後悔の連続です。
あの時こうすれば良かった。こうしなければ良かった。なーんて、意味のない妄想膨らませて大きくなるんです。
走って止まって、歩いてつまずいて、落ちるわ転がるわで良いんですよ。そうでなくても、勝手に大きくなるんですから。
私は身をかがめ、トマスさんの両肩に手を乗せます。
とりえず、元気出してください。保障なんてありませんが、私がついているから大丈夫です。
なんて、励まそうと思った時でした。
今、この時。事態は最悪な方向へと動いていきます。
「失礼する!」
突如、名前も知らない男性の声が屋敷に響きます。
お客さんでしょうか? 旦那様がお亡くなりになられたこのタイミングで……?
胸騒ぎがしますね。声に続いて、何人もの足音が私の耳に入ります。使用人の許可もなく、彼らはズカズカと屋敷に上がっている様子でした。
明らかに異常です。これは穏やかではありません!
「トマスさん、お客さんがいらしたので一度教会へ……」
「客なわけないだろ! 騙されるかよ!」
ちぇ、トマスさんだけ逃がそうと思ったんですけどねー。
少年は木の枝を握り、一階へと駆け下りていきます。私もそれに続き、階段を一気に飛び降りました。
なんだかやべー雰囲気です。トマスさんには悪いですけど、好き勝手させるわけにはいきませんね。
例え相手が不埒者であろうと、下手に出るに越したことはありません。そうでなくても、私たちの立場は低いのですから。
一階は酷いありさまでした。銀色の甲冑に身を包んだ騎士たちが、屋敷中を徘徊していたのです。
棚を漁り、金品を物色し、まさにやりたい放題ですね。こんな勝手な真似が許されるはずがないでしょう!
私は叫びます。ここは旦那様の屋敷、彼らのような不埒者に好き勝手させるわけにはいきません!
「貴方たちは何なんですか! ここは旦那様の屋敷ですよ!」
「我々はカルポス聖国が聖剣隊! ツァンカリス卿は天涯孤独の身、残った遺産は全て我々が徴収する!」
な……聖国最強の騎士団がこんな強盗のような真似を……
そう言えば、ベリアル卿が彼らを呼んでいました。本当にあの人は問題事しか運んできませんね。
彼ら騎士団が国の命令で動いているのなら、こちらには止める手段がありません。下手に反抗すれば、知り合い含めて皆殺しです。
ですが、残念ですね聖剣隊の皆さん。旦那様は質素倹約、金目の物なんて殆どありませんよ。
「トマスさん、この屋敷に遺産はありません。彼らの行為は無駄足のはずです」
「いや、ダメだ……爺さんの部屋が……!」
部屋……そうです! 旦那様のシークレットルーム!
街で遺産があると噂になっていましたし、あの部屋がターゲットにされるのは確実です。彼らに荒らされるところなんて見たくありません!
私たちは廊下を走り、昨日訪れた工房へと向かいます。ですが、ことは既に手遅れでした。
甲冑の騎士たちは工房内入り、好き勝手に荒らしていきます。棚を倒し、物をひっくり返し、旦那様の夢は滅茶苦茶に壊されてしまいました。
「ツァンカリス卿の遺産は必ずこの部屋にあるはずだ! 何としても見つけ出せ!」
「部屋が……爺さんのロマンが……」
拳を握り締め、奥歯を噛みしめるトマスさん。これは頭に血が上っていますね……
本来なら彼を止めなくてはいけません。ですが私は「行けっ! トマスさん行っちゃえ!」と考えてしまいました。
たぶん、私も怒っているんだと思います。聖剣隊だとか何だか知りませんが、旦那様の夢を汚す権利はないっ……!
トマスさんは木の枝を握り、騎士団の一人に立ち塞がります。おそらく、今向き合っている彼が騎士団の隊長で間違いないでしょう。
「やめろ……! この部屋を荒らすな!」
「何だこの子供は! これは国王の意思なるぞ!」
兵隊帽子をかぶったガタイの良い男性。他の騎士たちとは違い、真っ赤な甲冑は動きやすい作りになっています。
鼻の下には真っ黒い髭が伸び、口が大きくて声もでかいですね。第一印象からして、明らかに話が通じる人には見えません。
こういう人は自分なりの正義を持っていて、それを意地でも曲げないんです。下手な悪人よりもよっぽどたちの悪い正義。まあ、やべー人ですよ。
「行き場を失った金は国に贈与するのが道理! キトロン領主であろうと例外はない! それに反逆する意思があるのならば、国家反逆と見なす!」
「この部屋に金なんてない! お前らが勝手なことを言ってるだけだ!」
黒髭男に対して一歩も退かず、トマスさんは木の棒を振り落とします。
こ……これは止めないとヤバい! このままでは彼が反逆者になってしまいます! 殺されても文句は言えませんよ!
すぐに反応し、ご主人様の操作を自らに与えます。ですが、そんな私よりも速く、トマスさんの行動を止める者がいました。
一閃。
目にも止まらない速さで、彼の握った木の棒が切断されます。
ま……全く見えなかった……いったいどこの誰が……
私はトマスさんの方へと視線を移します。すると、そこには目前にサーベルを突きつけられた少年がへたり込んでいました。
一歩でも動けば串刺しです。やんちゃな彼もこれは制止せざる負えません。
「う……」
「そこまでだ。我ら騎士団の意思は聖国の意思。これ以上の抵抗は子供であろうと容赦はしない」
サーベルを突きつけるのは茶髪に女顔の青年でした。
彼だけは甲冑ではなく布装備。マントをなびかせ、大きなマスケット帽がカッコよく決まっています。
善意で止めてくれたのでしょうか、それとも職務を全うしただけ? いずれにせよ、彼のおかげでトマスさんの命が救われました。
あ、この人知ってるかもしれません。髭の隊長さんも知ってます!
間違いありません。この世界に詳しくない私でも、この二人は有名人です。王都でも噂を聞いていました。
聖剣隊の隊長、カリュオン・ロッセルさん。カルポス聖国最強の騎士団長。
聖剣隊のエース、シャルル・ヘモナスさん。王都で人気のイケメン天才児。
転生者としての感が言ってます。この二人は敵にしたら不味い! 明らかな強者です!
ですが、このまま屋敷が荒らされるのを黙って見ているわけにもいきません。旦那様の夢が踏みにじられるのは我慢なりませんよ!
ご主人様の操作を使うか……使った場合どのように誤魔化すか……
そんな思考を巡らせている時でした。突然、屋敷全体に響く大声が私たちの耳に響きます。
「いい加減にしてください……!」
音魔法による激しい衝撃。それが直接脳へと響き、私たち全員へのけん制となります。
魔法の主は小人の執事、ツバメに乗ったマイアさん。彼女の声に騎士たちは驚き、捜索の手を止めました。
マイアさんは涙目のまま、机の上に着地します。そして、怒りを抑えながらはっきりと言い放ちました。
「遺産は全て商業ギルドの設立費、維持支援に使用しました。ここに貴方が求める物はありません。お引き取りください」
「何だと……」
消えたツァンカリス卿の遺産。その在処がようやく分かりました。
そう、お金は全て使ってしまったのです。旦那様はカルポス聖国の未来を考え、自分の信じる商業の発展に託したのです。
あはは……旦那様、最後の最後にやってくれましたね。見えますか、あの隊長さんの悔しそうな顔。
そうです! お金はないんです! ざまあ見ろですよ!
ですが、その事実に納得していない黒髭の隊長、ロッセルさん。彼は歯をむき出しにして悪態をつきます。
「ツァンカリス……バカな男だ……! 我らが聖国のために金を使わず、くだらん商業ギルドにそれを捧げるとは……! 実に無駄な人生を過ごしたものだ!」
「はーん、俺を前にしてそれを言う度胸。逆に感服だな」
突如、この場に第三者の声が響きます。
いつの間にでしょうか。彼はするりとこの屋敷に入り、そして会話にも入ってきました。
黒い衣服を纏った貴族風の男。ロッセルさんと同年代かそれより上のおじさんで、赤い帽子をかぶっています。
よほど身分が高いのでしょうか、彼は上から目線で騎士たちを叱りつけました。
「輝くもの、必ずしも金ならず。慈悲は義務によって強制されるものではなく、天降りきたって大地を潤す雨のようなものだ。お前たちにとやかく言われる筋合いはない」
「な……なぜ貴殿がここに……」
大きな口をさらに大きく開け、ロッセルさんは驚愕してしまいます。同じようにシャルルさんも驚き、すぐにサーベルを収めました。
えっと、誰ですか……? 私とトマスさんは訳も分からず首をかしげます。
まあ、聖剣隊の隊長さんが止まりましたし、結構な有名人なんでしょうね。とりあえず、マイアさんに聞きます。
「えっと、彼は?」
「カルポス聖国、全商業ギルドのマスター。アントニオ・シャイロックさんです」
ワッツ? 全商業ギルド? どこかの街のではなく?
全……すべての……?
って、滅茶苦茶凄い人じゃないですかー!
何でこんなところでエンカウントするんですかッ!
ツァンカリス卿の屋敷にて、私は著名人さんたちに囲まれてしまいます。
旦那様の死がこの国に影響を及ぼしている。それを自身でよーく実感しました。