85 ウスノロの異世界無双
深夜、私と子供たちは客間で旦那様と向き合います。
孤児院の子供には不相応なソファー。それに行儀よく座るのはジェイさんとアステリさん。彼らは緊張からか、ガチガチに固まっていました。
やがて、小人たちがティーカップを運び、そこにマイアさんが紅茶を入れます。芳醇な香りから、かなり高級な物だと分かりますね。
私たちはまじまじと見つめつつ、旦那様の顔色を伺います。
いったい何の間なんでしょうか……余計な遠慮が癇に障ったのか、彼は威圧的に言葉を放ちました。
「どうした。手を付けないのか?」
「い……いただきます……」
私たち四人はティーカップに口をつけます。
久々に美味しい紅茶ですが、それどころではありません! 空気が重い! 誰かが話しを切り出さないと永遠に地獄ですよ!
そんな中、ジェイさんが勇気を振り絞り、ソファーから立ち上がります。そして、旦那様に向かって深く頭を下げました。
「ご……ごめんなさい! 冒険気分でこんなことして……」
「じ……ジェイくんずるい! 私もごめんなさい!」
そんな彼に誘発され、アステリさんも頭を下げます。二人の反応を見るに、悪意があっての犯行ではない。それは旦那様も分かりますよね?
そうです。これは子供たちにとっての遊び。ただのやんちゃだったんです! 加えて、私が仕組んだこともありますし、大目に見てもらいたい!
なんて、頼む必要はありませんでした。
旦那様は大きくため息をつき、呆れた様子で表情を緩めます。
「まったく、いい迷惑なものだ。なぜ、あの部屋に財宝があると思った?」
「街で噂になってたんだー。ツァンカリスさんには莫大な遺産がある。それが屋敷のどこかに保管されているはずだって……」
それは根も葉もない噂。真実とは大きく異なっていました。
ジェイさんの言葉を聞き、食い違いの原因が分かります。旦那様は紅茶を飲みつつ、正しい答えを返しました。
「遺産ならばここにはない。今残っているのは、私たちが暮らす最低限の金だけだ」
「ないって……領主と鉱山管理者で稼いだお金はどこに……」
ないはずがありません。鋭いジェイさんにもそれが分かったようです。
ですが、旦那様が嘘を言っているようには見えません。私は嘘つきですから、嘘をつく人の態度は分かるんですよね。
最も財宝に執着していたトマスさん。彼は旦那様を問い詰めます。
ですが、今の彼には宝なんてどうでも良い様子。本当に知りたいのは、あの部屋の意味という感じでした。
「何でだよ……何であんな部屋を大事そうに隠してたんだよ! 価値なんてないだろ!」
「ちょ……ちょっとトマスくん……」
止めるアステリさんを振り払い、トマスさんは身を乗り出します。
「爺さん! お前は街からお金をふんだくる悪い領主なんだろ! だから俺がその金を奪い、懲らしめに来たんだ! だけど……だけどあの部屋は何なんだ……! 答えろよ!」
「悪い領主か……そうだ、その悪い領主が若き頃に使っていたアトリエ。それを再現したものがあの部屋だ」
少年と小人の物語、演ずる主人公は旦那様でした。
この屋敷のシークレットルームとは、物語の中にあった小人の靴屋を再現したもの。彼の記憶にある思い出の部屋だったのです。
「老いても、若き頃の夢を忘れん。だからこそ、あの部屋で物思いに浸っていただけだ」
「分かんねえよ! 靴作りの何が良いんだよ! お金があった方が良いだろ!」
若き日の思い出に浸る旦那様。トマスさんには、そんな彼を理解できません。
目に見える財宝より、過ぎ去った過去が欲しい。歳を取るにつれて、この考えを理解できるものです。
両方には年齢差相応の違いがあるのでしょう。ですが、正反対の二人にも共通部分がありました。
彼らは夢に向かってひた走っています。旦那様は少年に向かって指摘します。
「トマスといったか。冒険者になる夢を持っているらしいな。お前は財宝を手に入れるために、その夢を追っているのかね?」
「そんなわけないだろ! 冒険は男のロマンだ!」
そうです。冒険はロマン。
ですが、それは他の職業でも同じこと。
「では、私の靴作りとお前の冒険に何の違いがある?」
「それは……」
言葉に詰まるトマスさん。彼はその疑問に答えることが出来ませんでした。
違いなんてありません。夢は平等に夢。老いも若きも関係なく、平等に見る権利があります。
これ以上は無駄な議論ですね。納得したのか、トマスさんは聞き返します。
「じゃあ、爺さんの夢もロマンなのか?」
「ロマン……か……どうだろうな」
旦那様はどこか遠い表情をしました。
ずっと孤独を望んでいた老人。そんな彼が、最近は子供たちに巻き込まれています。
まあ、私のせいですよねー。平穏を崩してごめんなさーい。
なんて、悪びれてもいません。こっちは楽しければそれで良いんですから。
「老いぼれめ……前進のみを考え、己の老いにも気づかなかったか」
不敵な笑みを浮かべ、旦那さまは子どもたちを見ます。
「もういい、疲れた。帰れ小僧ども。シスターに見つかれば面倒だろう? これ以上の問題事はうんざりだ」
うんざりという表情には見えません。巻き込まれたのはまんざらでもないようですね。
子どもたちを許した旦那様。ですが、責任は取らせるつもりなのか、私に視線を移します。
「テトラ、今日を持ってお前の仕事は終わりだ。ご苦労だったな」
「はい、私も素晴らしい時間を過ごせて感謝しています」
あー、やっぱり私の責任ですか。これにてお役御免ですね。
ま、目的は達成しましたし、良いタイミングでした。旦那様もそれを分かっているのか、言い方も優しい感じです。
もしかしたら、この街に留まる私の背中を押したのかもしれません。
さって、ようやく区切りがつきましたね。
これにて、キトロンの街で演じられる物語。老人と子供のタンゴは終了です!
最後に、ご主人様の声によって隠れていたキャストが集結します。
「お前たちも出てこい。全員だ」
物を動かし、子どもたちを怖がらせた小人たち。彼らは主人の命令を受け、物陰から次々に出てきます。
男性は三角帽子をかぶり、女性はリボンをつけた使用人たち。彼らは怒られるのではないかとビクビクしています。
ですが、旦那様が行ったのはその逆。彼は萎縮した小人たちに向かって、ぶっきらぼうに言います。
「お前たち、そしてマイア。世話になったな」
「も……勿体ないお言葉です!」
すぐに答えるのは、クローバーの髪飾りをつけたマイアさん。和やかな空気に包まれ、舞台は幕を下ろします。
もう、この街はもう安心ですね。
領主のお爺さんと、夢を馳せる子供たち。その未来はどこまでも明るいと思いました。
あの舞台から一日が経ち、私はモーノさんと話します。
彼のダンジョン攻略も順調で、いよいよ対決のときが迫っていました。それに比べて、私の報告は平和ですね。
モーノさんはニヤニヤ笑いながら、話しに茶々を入れます。元気に戻ってホッとしましたよ。
「で、首になったわけか。自業自得だな」
「違いますよ! 私と話す必要がなくなったんです!」
そうです。ご主人様のイライラはなくなり、愚痴を話す必要はなくなりました。
全て思い通りですね。みんなが幸せにする目的は達成され、心の異世界転生者としての力を証明できたと思います。
キトロンの街は今日も平和。お天道様は暖かく輝いています。
良い気分ですね。私は天狗になり、高らかに勝利宣言します。
「孤児院は救われ、トマスさんは学び、旦那様もご満悦。つまり、このテトラの完全勝利で……」
「テトラさん!」
そんな私たち兄弟の元に、一匹のツバメが舞い降ります。
背に乗っていたのは小人のマイアさん。彼女は慌てた様子で地面に着地し、ツバメから転がり落ちます。
怪我はないようですが様子がおかしいですね。息切れをし、顔色も優れません。それでも、彼女は私に何かを伝えにここまで来ました。
すぐに両手に乗せ、何があったのかを聞きます。
「マイアさん! どうしたんですか!?」
「旦那様が……旦那様が……!」
息を整えるマイアさん。
やがて、彼女は胸に手を当て、強い瞳ではっきりと答えます。
「旦那様が、先ほどお亡くなりになられました……!」
「……え?」
えっと、無くなったって……なにが……?
言っている意味がよく分かりません。これは、どんな状況でしょうか?
マイアさんは言葉を続けます。
ツァンカリス卿に仕える執事として、的確に正確に伝えなくてはりません。
ですが、それが不可能なほど、彼女の心は乱れていました。
「お金を貸していた街の人に……! ナイフで刺されて……! それで……それで……」
やがて、ずっと抑え込んでいた何かが、マイアさんから溢れ出ます。
「う……うああ……あああああ!」
小さな身体から流れる一杯の涙。
声は響き、採掘トロッコの音すらも掻き消します。
哀しみ、涙するマイアさんの姿を見てようやく理解します。
つい先ほど旦那様は……ナノス・ツァンカリス卿は命を落としました。お金のトラブルによって、ナイフに刺されて死んだのです。
ですが、それは全く意に沿わないものでした。
「おかしいですよ……だって……だって昨日まで! 昨日まで一緒に! 一緒に……!」
何でですか……訳が分かりませんよ!
いきなりです! 何の脈絡もなく、突然この仕打ちはないでしょう! 伏線も何もないじゃないですか!
ふざけないでください……理不尽です……! こんな糞展開があってたまりますか!
『その思想は怨み嫉妬を買う。忠告はしましたよ』
混乱する中、ベリアル卿の言葉を思い出して戦慄します。
私はまた、この世界の理不尽に勝てなかった……
ただ、悔しくて悲しくて仕方ありません。本当に救いようはなかったのでしょうか……
呆然とする私に対し、モーノさんは言います。それは、彼からの指摘であり、激しい叱咤でもありました。
「この街に来るとき、俺は近道のために森を通ることを提案した。だが、お前はモンスターとの接触を避け、遠回りすればいいと返したな。その心がけが争いをなくす。正しくそうだよ。そうあるべきなんだ」
モーノさんは私の思想を肯定します。ですが、同時にその愚かさも指摘しました。
「だけど、誰もそんなのを待ってはくれない。それがお前の唯一にして最大の弱点……」
心の異世界転生者。誰とでも心を繋げ、最高の舞台を演出する友達作りの天才。
その弱点が彼の口から明かされます。
「テトラ、遅いんだよ。お前の異世界無双は遅すぎるんだ……」
私はマイペースでした。のんびり遠回りをしますし、気長に会話を続けます。
間違いだとは思いません。時間をかけることによって、少しずつ相手を理解します。時間があるからこそ、相手も私を分かってくれました。
ですが、その間にも物事は進みます。
人の命なんて一瞬で奪われてしまいます。
どうにも出来ないんです。
「くっそおおおおう……!」
私は膝を落とし、悔しさのあまり叫びました。
街に響く負け犬の遠吠え。いくら叫んでも命は戻りません。
生きとし生ける者、生まれたからには必ず死にます。
最悪の魔王、最強の勇者。どんな存在より、何より強く恐ろしいもの。
それは理不尽。
予期せぬ悲劇こそ、対処できないものはないと感じてしまいました。