84 扉の向こうは過ぎし記憶でした
丑三つ時、綺麗な満月が輝く深夜に四人の人影が走ります。
一人は私、道化師のテトラ。残りは孤児院の子供たち、トマスさん、ジェイさん、アステリさんでした。
目的の場所はキトロンの領主、ツァンカリス卿の屋敷。私たちはその裏へと回り、豪邸を囲む柵を隙間から潜ります。
小柄じゃなければアウトでしたね。私はちょっときついですけど、子供たち三人は簡単に突破しました。
「さって、第一段階は突破ですね。ジェイさん、二階の窓から侵入しますよ」
「うん……」
乗り気ではないジェイさんの背中を押し、第二段階へと移行します。
彼は作戦のかなめですからね。以前見た植物魔法を使えば、屋敷への侵入は容易でしょう。
屋敷の外壁にて、私たちはジェイさんに期待の眼差しを向けます。もう引き返せないと覚悟したのか、彼は魔法の詠唱を始めました。
右手に握られるのは植物の種。それを地面に置き、得意の植物魔法を発動させます。
「伸びろー! 豆の木!」
すると、種から芽が伸び、一瞬にして蔓へと変わりました。
ジェイさんは植物魔法の天才です。マメ科の植物に限定されていますが、その精密動作性はターリア姫をも凌ぐかもしれません。
やがて、蔓は二階の窓へと丈を伸ばし、梯子へと変わります。途中に葉っぱの足場があるので、私のようにどんくさい人でも登れる仕様でした。
「ナイスですジェイさん。あの窓が開くことは確認済みです。さあ、上りますよ」
「いよいよだな。トマスさま伝説が幕をあけるぜ!」
木の棒を振り上げつつ、トマスさんが先頭を切って上っていきます。
実はこの侵入方法、魔法の発動光でバレバレなので成立しません。ですが、私が手を回しているので小人さんたちは侵入をスルーしています。
ジェイさんはそれに気づいたのか、首をかしげている様子。彼に余計なことを言われると厄介なので、無理やり登らせましょう。
「後ろがつかえています。早く上ってくださいよ」
「あ……うん……」
解せぬ……という顔をしている山高帽の少年。そんな彼をアステリさんは不思議そうに見ます。
トマスさんもアステリさんも気づいていませんね。ジェイさんだけが、あまりにも都合が良すぎる現状に疑念を抱いています。
ですが、それも問題にはならないでしょう。
彼はトマスさんの冒険を断れずにここにいます。今更、駄々をこねるような真似は絶対にしない。私にはその確信がありました。
二階の窓から屋敷の内部へと入り、一階のシークレットルームを目指して歩きます。
抜き足差し足忍び足で進みますが、その必要がないほど屋敷内はざる警備。小人一人いないというガバガバっぷりでした。
普通、大金が隠されている領主の屋敷で、使用人が全員寝てしまうなどあり得ません。
ましてや、この屋敷の小人たちは全員魔法の心得があります。彼らが警備を放棄しているのはあまりにも怪しいでしょう。
ジェイさんは私たちに向かってその疑問をこぼします。
「あれー? 順調すぎない……?」
「ふはは! トマスさまの作戦が完璧だったというわけだな」
私の作戦です。まあ、それにしても本来不可能な作戦ですけど。
ではでは、ならば本命の作戦へと移行しましょうかねー。私は自らの肩に向かって、ひっそりと言葉を投げます。
こちらが本当の仲間。子供たちを大冒険へと誘う仕掛け人さんです。
「マイアさん、作戦決行です。使用人さんたちに合図をお願いします」
「了解、ワクワクしてきましたね!」
遊びといたずらが大好物の小人さん。当然マイアさんも例外ではなく、普段の真面目さと違ってノリノリでした。
彼女は魔法の詠唱を開始し、屋敷中の小人さんたちへとメッセージを送ります。
マイアさんは音魔法の使い手。小さな身体でも魔法によって声を大きくし、人間と正確な会話をしています。小人と人間を繋げる要の魔法使いと言えるでしょう。
そんな彼女が音によって作戦の決行を伝えます。さあ、舞台が幕を開けましたよ!
「テトラさん、私はこのまま同行します。そろそろ、彼らが動き出すでしょう」
「ではでは、私は道化を演じましょうかねー」
ニヤニヤと笑う意地悪女二人。その瞬間でした。
ガッシャーン! と巨大な音が響きます。
廊下に置かれた花瓶が落下し、バラバラに割れた音でした。
「な……なんだ……!?」
「花瓶が落ちたんだ。アステリ、やらかした?」
「わ……私じゃないよ……!」
誰かが触れて落ちたと思ったのでしょう。ですが、花瓶が割れているのは視線の先、私たちの動きによるものではありません。
月明かりが照らす中、子供たちは静まり返ります。
彼らの動揺が伝わってきましたが、それは使用人に見つかってしまう恐怖。私の期待するものではありません。
うーん、これじゃダメですね。ちょっとフォローしちゃいますか。
「おかしいですよ……さっきの音で使用人が駆けつけるはずです。この屋敷に何かあったのでは……」
「な……何かって何だよ! どういう状況だよ!」
私の誘導により、トマスさんの動揺が別の方向へと傾きます。同時に、ジェイさんやアステリさんにも彼の恐怖が伝染していきました。
そして、ここが攻め時と思ったのでしょうか。花瓶の音に続き、仕掛け人たちによる更なる一手が打たれます。
バンバンバンバン! と、一室の扉が殴打されました。
同時に、廊下に轢かれた絨毯が不自然になびき始めます。
「な……なななっ! これはトラップか!?」
「いや……こんな魔法、オイラ知らないよ……!」
動揺するトマスさん、警戒するジェイさん、完全に固まってしまうアステリさん。良いですねー! 道化の心が躍りますよ!
調子に乗った私は、彼らに更なる追い打ちを加えていきます。語る事こそジェスターの本分! なので、私はどんな状況でも語ります!
「私、聞いたことがあります。この屋敷には前の主人がいて、その人は不可解な死を遂げたって……彼の屋敷を守るという強い怨念がまだ残っているとしたら……」
「残っているとしたら何なんだ……!」
私の口から出た出まかせにトマスさんが食いつきます。
瞬間、普段は無口なアステリさんが大声で叫びました。
「み……みんな殺されちゃうんだー!」
「わぎゃー!」
叫ぶトマスさん。泣き出すアステリさん。ジェイさんが落ち着かせようとしますが、彼の力ではどうしようもないほど二人は混乱していました。
これをチャンスと思ったのか、テンションの上がった仕掛け人たちが一斉に仕掛けてきます。
扉を開いたり閉じたりして動かし、屋敷中のありとあらゆるものを落とし、中には子供たちに飛びつく人もいました。完全にやりすぎです。
たまらずマイアさんが仕掛け人たち……いえ、屋敷の使用人である小人たちに指示を送ります。
「皆さん好き勝手しすぎです! 旦那様に気づかれてしまいますよ!」
「いえ、もう手遅れかと思いますよー」
あははー、これはもう収拾付きませんねー……
どうやら私もマイアさんも、小人たちに眠っていた悪戯心をなめていたようです。
ですが、効果はありました。口だけだったトマスさんの化けの皮が剥がれ、その本性を表に出してしまったのです。
「ご……ごめんなさいー! 助けてー!」
「と……トマスくん待って……!」
女の子であるアステリさんを見捨て、トマスさんは一人でその場を走り出します。
こ……これはカッコ悪い! 情けない! まあ、子供ですしねー。ちょっとがっかりですけど仕方ありません。
私たちは彼を追って、一階へと向かう階段を駆け下ります。もう旦那様の財宝どころではありませんね。
ですが、この大混乱の中で奇跡が起きました。トマスさんの冒険者としてのセンスが光ったのか、財宝への執念が残っていたのか。彼は旦那様のシークレットルームまでたどり着いてしまったのです。
「と……トマスさんストップです! ここですよシークレットルーム!」
「え……?」
恐らく、彼は訳も分からず走っていただけでしょう。ですが、目的の部屋は目の前にあります。
涙と鼻水で顔がぐちゃぐぐちゃのアステリさん。そんな彼女を雑に引っ張り、疲れ切った様子のジェイさん。二人に財宝を求める執念は残っていません。
が、逃げ出す元気のあったトマスさんは違います。私の言葉を受け、彼の中に眠っていた冒険者魂に火が付きました。
「お宝……お宝~! このトマスさまは悪霊に勝った! ついに財宝にたどり着いたんだー!」
「マイアさん、鍵を開けてください!」
マイアさんは私の肩からドアノブに飛び乗り、背中に背負っていた鍵によって施錠します。同時に、トマスさんがドアノブを強く握りしめました。
ついに、ついに旦那様の隠していた秘密の部屋が開かれます。これで、子供たちの大冒険は終わり、ツァンカリス卿の謎も明かされるでしょう。
全ての答えは扉の向こう。
さあ、私に真実を見せてください!
「何だこの部屋……」
呆然とするトマスさん。彼の瞳に映ったのはブラウン色の世界。
どこからか現れたツバメに飛び乗り、マイアさんが部屋のランプを灯していきます。彼女の気遣いによって、部屋の全貌が見えてきました。
皮切り包丁に手縫い道具。木型に金槌、そして何種類もの皮革……
領主の屋敷には似つかわしくない。この豪邸に存在するはずのない空間。
それは職人の部屋。靴作りの工房でした。
「ここにお前たちの求める物はない。あるのはつまらん道具だけだ……」
部屋を見つめていた私たちは一斉に振り返ります。立っていたのは白髭の老人、ツァンカリス卿でした。
騒ぎになったので目覚めたのでしょう。ですが、怒っているという様子ではありません。
怒りを通り越して呆れているのでしょうか? それとも、隠していた部屋を見られて気持ちが沈んでしまったのでしょうか?
恐らく両方ですね。ごめんなさい……
彼の顔を見て、その思い出を踏みにじったことに気づきます。
この部屋は旦那様が使う趣味の部屋。同時に、彼が少年の心を持ち続けるための場合。時の止まった部屋だったのです。
玉手箱が開かれ、混乱した世界は元に戻りました。
ツァンカリス卿に見つかってしまいましたが、ジェイさんとアステリさんは安堵しています。ですが、トマスさんだけは納得のいかない表情でした。
「宝は……お宝は……!」
彼の第一声を聞き、旦那様は大きくため息をつきます。そして、仕掛け人の一人であるマイアさんに指示を出しました。
「マイア、紅茶を用意しろ。五人分だ」
「はい、かしこまりました」
これより、旦那様による説教が始まります。
まあ、一番怒られるのは私でしょうね。その自覚は大いにありました。
ですが、今の彼は説教をするという雰囲気ではありません。何かに覚悟したような……遠いものを見るような表情。
恐らく、これが老人と子供による物語の占めとなる。そう、私は感じてしまいました。
テトラ、またやらかす。