08 なんだか雲行きが怪しくなってきました
このお店に来てから、私は檻の中でグリザさんと勉強しています。
右も左も分からない私に、彼女は知識を恵んでくれました。魔法のこと、モンスターのこと、精霊のこと、ダンジョンのこと、魔王のこと……
ここにはゲームのような世界が広がっています。ようやく、少しわくわくしてきました。
「ま……魔法なんてあるんですか」
「あるよ。見せてあげる」
猫耳少女はそう言うと、夕食が入っていた器に手をかざします。
これは、まさかの生魔法ってやつですか! 興奮が収まらねえです!
グリザさんは力むように歯を食いしばり、必死に手を突き出し続けています。なんだか、結構無理してますよね?
「う……くう……」
やがて、掌の前からチョロチョロと水が現れ、それが器に注がれます。うーん、思っていたのと違う。魔法というより一発芸みたいですね……
水がいっぱいになった器をグリザさんは拾います。そして、それを私に手渡しました。
「はい、お水です。どーぞ」
え……いらない。
「こ……これを飲むんですか? なんか嫌なんですけど……」
「うわ、はっきり言うんだね……」
なんか、グリザさんの体内から絞り出されたみたいなのでいりません。実際そうじゃなくても、気分的にそう感じるからいりません。
ですが、この力があれば水不足は解決できそうですね。魔法というものは、この世界の大きなウェイトを占めているようです。
これで魔法がどういうものなのか分かりました。彼女の魔法は一発芸でしたが、本物はもっと凄いらしいです。
「私はこれぐらいしか出来ないけど、魔道士様は魔法を攻撃に使えるんだよ。モンスターもイチコロなんだから!」
「ほへー……世の中には凄い人がいるものですねー」
のんきです。完全に天の上の話しです。
練習すれば私も使えるんでしょうか。チート受け取り拒否したので無理でしょうね。無理無理。
でも、良いんです。自分が使うとなったら興味ありませんから。水がほしいのなら、小川に汲みに行けばいいんです。
モンスターと戦うなんて物騒なことも考えていません。魔法に携わらないのなら、それが一番平和なんです。
「まあ、私には必要ないものですね。モンスターとなんて戦いたくありませんから」
「あはは、スライムとかゴブリンぐらい倒せないと街から出られないよ」
あ、今私のことバカにしました? 出ましたよー、この武力至上主義。かっちーん。
いいですよいいですよっ! この世界が武力至上主義でも、私にはこの屁理屈がありますから!
悔しいですから、少しグリザさんを困らせてやります。困らせると言っても、ただ単に質問するだけなんですが。
「そういえば、スライムって目も耳も鼻もないんですよね? どうやって獲物を見つけて人を襲うんですか?」
「え……それは……考えたこともなかったな」
「これはこれは、おかしいですねー。この世界の人はモンスターをことごとく倒しているのに、その生態系を何一つ理解していない。シートンさんもびっくりですよー」
シートン、動物記で有名な人ですね。はい。
まったく、モンスターというものには疑問ばかり生まれてしまいます。モンスターという名称自体、私たち世界の人が現実にいない生物につけたものでしょう? それが存在したら、いろいろと矛盾が出るに決まっています。
気になったらすぐに指摘するべきですね。ずっとこの世界に来てから不思議に思っていたことをズバリ聞いてみましょう。
「そもそも、普通の動物とモンスターの違いはなんなんですか。狼だって、熊だって人を襲います。どっちも同じ生物じゃないんですか?」
「違うよ! 動物はいい子だけど、モンスターは悪いやつなの! だから倒していいの!」
な……なんですかその超理論……理屈の「り」の字もないじゃないですか……
つまり、これがこの世界の教育方針ってわけですね。さてさて、京に従うべきか、抗うべきか。シニカルに見極めないといけません。
私はひねくれた態度で異世界について考えます。
魔法にモンスター、どちらも目をそらすことのできないこの世界のルール。生き抜くためにはいつか向き合う時が来るでしょう。
真剣です。大真面目です。ですがそんな時、私の思考を遮るかのようにグリザさんが咳をしました。
ああ、無視したから怒らせてしまいましたか。これは完全に咳払いですね。
「すいません。ちょっと考え事をしていました」
「だ……ケホッ……! 大丈夫……ケホッ……! だよ……!」
グリザさんの咳は止まりません。何度も何度も、むせ返るように咳は続きます。
異常です。尋常ではありません。
これが咳払いであるはずがないでしょう。もちろん、ただの癖とも思えません。
では、なんなのか……
「調子が悪いんですか……?」
「さ……さっきの魔法を少し頑張りすぎちゃったかな! 全然大丈夫だから……! ケホッケホッ……!」
私の心に暗雲がかかります。ですが、それ以上このことについて考えようとはしませんでした。
最悪の未来なんて見たくありません。臭い物には蓋をして、都合の悪い事実から目を逸らしてなにが悪いんですか。
元気でいきたいんです。ずっと笑っていたいんです。涙なんて仮面の下に隠してやります。
まるで道化師のように……
「なんで私が異世界から来たって信じたんですか……頭がおかしい! って思わなかったんですか?」
思考を紛らわすように、私はグリザさんに聞きます。別世界からの人間なんて、いうなれば「ワタシハ、ウチュウジンデス」と同じことですね。
私なら絶対に信じません。実際、ダメ元で真実を打ち明けたんですから。
ですが、グリザさんは信じました。彼女にとって、異世界転生も魔法も同じようなものらしいです。
「この世界には魔法があるの。精霊がいるの。そういうものって理屈じゃ説明できないほど不思議なものなんだよ。だから、他の世界から転生ってのも普通にあると思うんだ」
普通ですか……まったく、普通の概念が壊れそうですよ。
この世界には私の世界にある常識は通用しません。あるのはこの世界での常識だけです。
その新たな常識をグリザさんは丁寧に教えてくれました。ここ数日で私はこの世界のことを理解したつもりです。
なんで彼女はここまで献身的になってくれるのでしょうか。不思議で仕方ありません。
「色々教えてくれて感謝してます。ですが、なんで私に色々教えてくれるんですか?」
「うーん……私が生きていたって証明がほしいからかな」
ファンタジーの固まりみたいな人が哲学的なことを言っています。ですが、彼女の言葉は理解できるものでした。
遠い目をしながら、猫耳少女は語っていきます。
「もし、私が消えちゃったら、多分この世界に何も残らないんだって思うんだ。だから、私が今まで覚えてきたことをテトラちゃんに引き継いでもらいたいの」
「縁起でもない事を言わないでください」
それが、彼女の運命を示していると容易に想像できました。
見えてる旗こそ恐ろしいものはありません。いっそ、見ずにここから消えてしまいたかった。卑怯な私はそう思います。
真剣な眼差しをするグリザさん。やがて、彼女は肉球のついた両手で私の手を握りました。
「テトラちゃん、死んでもいいなんて思っちゃダメだよ。二人で一緒にここから出よ。約束!」
「はい、約束しましょう」
狐と狸の騙し合いです。
優しい嘘でも嘘は嘘。いつか必ず報いを受けます。
なら、背負いましょう。覚悟はすでに完了してますから。
日が明け、新しい一日が始まりました。
いつものように手足を拘束され、商品として見世物にされます。ですが、道行く人たちはそんな私に驚いた様子でした。
それもそのはず、奴隷の一人が商人さんと楽しそうに会話しているのですから。まあ、普通に考えればありえねえ状況でしょうね。
私は商人さんから商売の心得を学んでいます。ここから出て、外の世界で生きていくためには必要な知識。これがあれば、やがて現れる未来のご主人様に認めてもらえるかもしれません。
悩みはありますが、態度には出しません。ただ、さりげなーく商人さんに聞きたいことを聞きます。
「あのー、もし……もしですよこれ! もし奴隷の中に病気の人がいたら、どうするんですか?」
「……どうもしない」
ピクッと反応しながらも、商人さんは冷徹な言葉を吐きます。
「死んだら死体を破棄する。伝染症の危険性があるなら、死ぬ前に破棄する。それだけだ……」
これには冷静な私も激オコです。こぶしを握り締めて、思わず叫んでしまいました。
「見捨てるんですか……女性一人を見殺しにするんですか!?」
「商売だッ!」
ですが、そんな私の叫びをかき消すように商人さんが叫びます。目を血走らせ、唇を噛みながら彼は言い返しました。
「商売なんだよ……分かっているだろう。テトラ……」
「……ええ分かっていますよ。よく分かっています」
薬を買うにもお金が要ります。それでも治る保証はありません。
メリットはありません。むしろデメリットだらけです。お店のためになるとは思えませんでした。
それは私も同じ、彼女を助けて何になるんですか? そもそも、そんな力を持っているんですか?
原因は分かっていますか? 治療方法は? 誰かの手を借りるにも誰の? 自分の行いに責任を持てるんですか?
自問自答が繰り返され、行き着く答えは『どうにもならない』。
得られたものはただ一つ。冷徹だった商人さんの心が揺れ動いています。それは確かな進展でした。
これは諦めではありません。
今はただ、それだけで十分なんですから……
テトラ「咳を何度もして……熱もあるみたいですし……この病気は風邪なんですか?」
グリザベラ「結核だよ。人口の三分の一が感染しているんだけど、発病するのはその中の一握りなんだ。重度になるかどうかは生まれつきの免疫力次第かもね」