閑話5 四大天使
私、トリシュ・カルディアは今、信じてもいない神に向かって祈っています。
ここはフラウラの街にある教会。ここでは毎朝、熱心な聖アウトリウス教の方々がお祈りをしています。
老若男女、農民に兵士さん、皆さん本気で神様を信じているのでしょう。一応、仏教徒である私にはちょっと気が引ける場所でした。
なぜ私はここにいるのか、なぜ祈るはめになったのか。
その原因はメイドのゲルダさんにあります。
「どうでしょうトリシュさん。教会で神に祈れば、心が洗われるとは思いませんか?」
「そ……そうですね……」
氷のように冷たい印象だった彼女は、熱心なアルトリウス教徒でした。
このカルポス聖国は国民全員が信者なのですが、彼女はその中でも本物。なぜ修道女を志さなかったのかと問い詰めたいところです。
目を瞑り、まるで一枚の絵画のように祈るゲルダさん。母性溢れ、まるで本物の聖女のようです。最も、彼女の本質は雪の女王なのですが。
私はそんなゲルダさんに合わせ、祭壇に置かれた長剣に祈ります。
この剣は聖剣コールブランドのレプリカ。聖アウトリウスが泉の精エレインから授かったもので、アルトリウス教のシンボルにもなっています。
私の世界で言う十字架ですね。武力にものを言わせる聖国に相応しいシンボルかもしれません。
「神の声を聞く預言者が、剣を携えているのも不思議な話ですね」
「アウトリウス様は聖騎士ですから。この国では彼の名を語り、他国に攻め入ることを聖戦と呼んでいます。あまり大きな声では言えませんが、私はそれが神の意思だとは思いませんが……」
周囲の空気が個人の意見を殺し、聖国こそが正義だという思想が根付いています。恐らく、主という絶対神の存在が影響しているのでしょう。
日本人では八百万の神々という思想があり、神とは複数の存在を示しています。ですが、アウトリウス教含めた聖国周辺の宗教は、主を唯一神と見ていました。
「主とはどんな方なのでしょう。絵画も像も禁止されていますし……」
「目に見える存在が神とは限りません。主とは天であり、地であり、人であり、真理であり、私であり、貴方であり、そして世界でもあります。それが、全知全能の極み。0と∞という存在です」
偶像化が禁止され、姿形のない存在。それが多くの宗教の根本にある全知全能の神。
宇宙を作ったのは彼一人であり、他の神を認めていません。
徹底されていますね。信者の数、世界への影響力から見ても明らかに抜きん出ています。
そんな主の端女を名乗るジブリールさん。彼女からの手紙が切っ掛けで私はここにいます。
私の異世界転生はある女神、褐色肌の少女によって行われました。
ですが、それを斜め上の角度から見下ろし、導こうとしている存在がいます。
それが主。そして、彼に仕えるジブリール。
調べる必要があると思い、詳しそうなゲルダさんに聞きました。その結果、教会へと同行する羽目になってしまったのです。
正直、ただの布教に捕まったと思いました。ですが、彼女の口から驚くべきことが語られます。
「主は姿形がないので祈れません。ですから、私たちは彼の啓示を聞いた聖アルトリウスさまに祈ります。間接的であれ、主のお言葉を聞いた存在は預言者。そして、偉業を成し遂げれば救世主と呼ばれます」
間接的でも預言者……?
待ってください。では、主の言葉をジブリールさんから聞いた私は……?
いえいえいえいえ、待ってください! 待ってくださいよ……! ないでしょう! それは流石にないでしょう!
私が預言者とかないでしょう!
い……いたずらです! これはジブリールさんが行った壮大ないたずら! 神の端女が普通の便せんでメッセージを送るはずがないでしょう! 罰当たりにもほどがあります!
ドアの向こうには誰もいませんでしたが、きっと魔法か何かで手紙を転送したんです! そうに違いありません!
そう思った数日後、私にとって……
いえ、私たち転生者にとって大きな事件が起きました。
深夜、ふと目が覚めました。
ベリアル卿の屋敷にて、私は窓の外に目をやります。
小さく見えたのは、色取り取りの花火……
草原を超えた先にある王都。距離は離れていますが、高く大きく鮮やかなそれはここからでも視認できます。
この世界に花火なんて存在しません。これを打ち上げたのは間違いなく異世界転生者でしょう。
誰が……? 今確認されている異世界転生者はモーノさん一人。先日、彼は王都で暴れるドラゴンを退治しました。あの場に滞在している可能性は高いでしょう。
こんなにも露骨に現実世界の知識を晒したのは初めてです。
何のために……? 彼の身に何が起きているのですか……?
心臓がドクッドクッと鼓動します。
癒の異世界転生者、その血液が全身に巡ります。
私たちは死からの転生という禁忌を犯しました。
ですが、それは私たちが認められたからこその許容。ジブリールさんは誇りを持つべきだと言ってくれました。未来は輝きに満ちている。そう言って励ましてくれました。
便箋に描かれていた文字は異世界のもの。上手い下手は分かりませんが、それでも思いは伝わるものです。
彼女が偽物だろうと、本物だろうと関係ありません。
その思いを裏切りたくない!
私は部屋の窓に足をかけます。そして、そこから地上へと飛び降りました。
身体は一気に降下し、やがて地上へと衝突します。同時に、鋭い痛みが全身に走りましたが、すぐに治癒魔法によって回復させました。
いくら身を削っても、すぐに治癒してしまえば無敵。問題はありませんね。
ベリアル卿に気づかれたくない。私は魔法で宙に光を浮かべ、街の外へと走り出しました。
これは完全に直情に身を任せた行動です。走って王都に行くなんて馬鹿げています。ですが、心臓の鼓動が収まらず、私は草原を駆けていました。
深夜なので馬車はなく、瞬間移動魔法も使えません。ですが、私にはこの治癒魔法があります。失った体力を回復させ、永遠に走り続けることだって出来る自信があります。
「ですが、それではとても間に合わない」
そんな私の前に、一人の男が立ち塞がります。
白いローブを羽織った赤毛の悪魔。私を引き取ったフラウラの領主。
絶対に会いたくなかった悪魔、ベリアル卿でした。
「貴方が王都につくころには、事件は収束しているでしょう。夜の草原はモンスターも凶暴です。さあ、屋敷へと帰りましょう……」
「貴方は私を他の転生者に会わせたくない。だから、自分の傍に置いているだけでしょう……?」
私は足を止めました。止めざる負えません。
今日初めて、彼は私に対する妨害行為を行いました。その意味をよく分かっていたからです。
怖くないと言ったら嘘になるでしょう。人間相手なら軽く無双する自信がありますが、彼は正真上銘の悪魔。転生者と同等か、あるいはそれ以上の力を持っているのは確かです。
ベリアル卿は優しく笑っていました。だからこそ、余計に恐れを感じます。
「私が貴方をそばに置く理由と、帰宅を勧める行為に関係はありません。貴方を思っての行動です……」
手を差し伸べ、ゆっくりと近づくベリアル卿。もう戦うしかない……!
私は右手を握り締めます。そして、その拳に肉体強化の魔力を込め、大きく振りかざしました。
こいつをあのスカし顔に思いっきり叩きつける! 絶対にできます。私は異世界転生者、例え癒が本命であっても、こんな胸糞悪い悪魔には負けません!
初めて、自分の覚悟でここまで来たんです。
私は感情のままに拳を振りぬき、ベリアル卿の顔面に叩きつけました。
が……
「元気が良いですね……そのような人は好きですよ……」
私の拳は彼の顔を突き抜けました。まるで、気体を殴ったかのように何の手ごたえもありません。
それもそのはず、殴られたベリアル卿の右頬は別の存在へと変わっていました。
闇夜に揺らめく真紅。それは炎……
彼の身体は業火へと変わっていたのです。
「炎の堕天使。そう呼ばれていたこともありました。シンプルで分かりやすく、何より美しい能力だとは思いませんか?」
相手が炎では殴れないのも当然。これでは回復によって負けることはなくても、勝つことも絶対に出来ません。ベリアル卿の思惑通り、時間だけが過ぎていくでしょう。
彼を突き抜けた右手は炎に包まれました。ですがまったく熱くありません。こんな状況でも、彼は絶対に人を傷つけないと決めているようです。
「先に進みたいのならば進めばいい。ただし、貴方は間に合わない。私を倒すことも出来ない。無力さを感じ、涙する意味があるのならば、さあ足を踏み出しない。私はそれを嘲笑うだけです」
拳を解き、後ずさりをします。自然と涙腺が緩んできました。
なにも……出来ない……? 初めて屋敷を飛び出して、自分の足で進むって覚悟したのに……
私、ただ泣いてるだけじゃないですか……ベリアル卿の傍につくことは自身の望み。いつか、その悪事を明るみにするって決めたのに……
悔しくて悔しくて……
哀しみが溢れて……
「よく戦ったね。キミの勝ちだよ」
諦めかけたその時、草原に第三者の声が響きます。
それと同時に、ベリアル卿の上半身が何らかの攻撃によって吹き飛びました。
当然、炎の身体には効果がなく、散った火の粉は再び人の形へと戻ります。ですが、私は確かに感じました。彼が初めて、僅かな焦りを見せていると……
ベリアル卿の足元には一本の矢が刺さっています。さっきの攻撃の正体はこれですか、いったい誰がこれを……
すぐに振り向き、乱入者の顔を見ます。
「ベリアル、確かにキミは悪事を行っていない。でも、胸糞悪い奴をぶっ飛ばすのは気分が良いよね」
「とても治癒と浄化の天使とは思えない言葉ですね。四大天使ラファエル……」
現れたのは、いかにも冒険者という風貌をした青年。弓を持っているので、さっきの攻撃はこの人が放ったのでしょう。
緑のマントを羽織り、赤い羽根のついた帽子をかぶっています。弁当や水筒などの身支度を体中にぶら下げ、とても天使には見えません。
そんな彼がアークエンジェル……? ラファエル……? 私は耳を疑います。
「その名前で呼ばないでよ。この世界ではロバート・アニクシィで通っているからね」
「フラウラの冒険者ギルドでお告げ事件がありましたが……まさか貴方とは……」
アークエンジェルの称号を持つ者はミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四人のみ。大いなる主を含めても、彼らは間違いなく天界で五本の指に入る存在です。
そんな彼が目の前に……では、やはり私が預言者というのは本当……?
頭がいっぱいで理解が追いつきません! ですが、そんな私を放置してベリアル卿は会話を続けます。
「異世界転生者に対し、いよいよ貴方が出たという事ですか。これは恐ろしい」
「キミは大きな誤解をしている。ボクが出た? 違うね。『ボクたち』が出たんだ。死者の転生という世界のルールに背く行為。それが許されている意味をよく考えた方が良い」
物腰が柔らかそうなロバートさん。ですが、その優しい瞳からは確かな殺気を感じました。
彼はベリアル卿に背を向け、こちらへと歩いてきます。そして顔を近づけ、右手をそっと握りました。
「さあ、王都まで送るよ。あとはキミ次第だ」
するとその瞬間、周囲にエメラルドグリーンの光が広がります。
光源はロバートさんの背中から生えた四枚の翼。普通の天使は二枚の翼なのですが、彼の場合はその倍。正真正銘、大天使に見られる特徴でした。
何も言えないまま、私の身体は空中へと浮き上がります。ロバートさんが翼を羽ばたかせ、飛行を始めたようですね。
見知らぬ天使に抱かれ、私は王都へと運ばれていきます。
ここからが私の戦い……何が待っているのか、この目で確かめる以外にないでしょう。
私だって異世界転生者です。私にしか出来ないことが絶対にあります。
それを他の転生者に見せつけてやりましょう!